117.【アルトラ側】西方にて - 2

「オレが何よりも嫌いなもの。それはな」


 アルトラの行動を察したエリアが、少女の目を手で覆った。


「『借金取り』だ! 覚えとけ無能!!」


「がッ!?」


 アルトラの右拳は過たず顔面に突き刺さり、【打撃強化】を乗せた鈍器は一撃を繰り出すこともなく地面に転がった。あっけない幕切れにアルトラはゲゲゲと笑って残る一人を指差す。


「おうゴードン、そっちはお前にやるよ。ボーッとしてねェで叩きのめせ」


「お、おれも? さっきと言ってることが違うじゃないか」


「観察結果。アルトラの手がぷるぷる震えている。スキルもなしに力任せで殴った結果と推測」


「は? 震えてねェが? ゴードンにも一匹譲ってやるって言ってるだけだが?」


「おいおい……」


「くっちゃべってんじゃねえ! くそ。でけえ図体しやがって!」


 刃物を手に走ってくる男に、ゴードンはどうしたものかと眉を寄せる。やはり厄介事は避けたいのが本音だ。

 だが向かってくるのなら仕方ない。ゴードンが何気なく放った右の平手打ちは、男の横っ面を直撃した。


「勘弁してくれ。痛いのは苦手なんだ」


「ごべっ!?」


 男は空中で一回転してそのまま地面に転がった。アルトラは「いや、加減しろよ」とゲラゲラ笑い転げている。追われていた少女はといえば、二人を一撃で叩き伏せたアルトラとゴードンを交互に見比べながら口をパクパクさせるばかりだ。


「つ、強いんですね……? あのヴェール家の借金取りを……。その、助けてくださりありがとうございます!」


 慌てて礼を言った少女に、アルトラは右手を差し出した。


「ん」


「え? こ、この手は?」


「謝礼に決まってんだろ」


「え、あ、そ、そうですよね! お礼しないとですよね! ただその、持ち合わせがですね、これしか……」


 少女が取り出したのは銅貨が数枚。しめて二〇〇インと少しといったところか。この国でも同じ通貨が流通しているんだなと改めて実感するが、そんなことはどうでもいいアルトラは大きくため息をついてしゃがみこんだ。


「チッ、ついこの前まで依頼は一〇〇〇万インからだったってのによォ」


「忠告。過去の栄光など無意味」


「分かってんだようるせェな!」


「動いたらまた腹が減ってきたな……」


 ぐるると腹から轟音を鳴らすゴードン。多少の金は手元にある。あるが、明日から仕事があるかも分からない身で何を食べればよいというのか。神経質な彼の胃は空腹と痛みを同時に訴えている。

 その様子に、少女は「でしたら」と手を打った。


「うちに来ませんか?」


「あァ? お前の母ちゃんの飯でも食えってか」


「いえ、うちは酒場なんです! といっても全然流行らないクソボロ酒場ですけど、ご飯くらいはごちそうしますから!」


「報酬が現物支給たァ、いよいよ悲惨だな。いいか、オレらは金くらい持ってんだよ。飯なんざ恵んでもらうほど落ちぶれちゃ……」


 口ではそう言いつつ、アルトラの腹も大きな音を立てた。

 ゴードン、エリアの顔を見れば、これでもかというほど「行きたい」と書いてある。今日だけで何度目か分からないため息をついてアルトラは立ち上がると、すっかり暗くなりだした路地を歩き出した。少女が慌てて後を追う。


「あ、あの、どこへ?」


「お前んちに行くんだろ。飯ぐらい食ってやるよ。ただし不味かったら店ごと叩き壊す」


「はい、精一杯作ります! あと逆方向です!」


「……チッ」


「推奨。回れ右」


「分かってんだよエリア!」


 文句を言いつつついていった先には、少女が『クソボロ』とまで形容したのも頷ける寂れた酒場があった。わずかに灯っている灯りで営業していることがやっと分かるほどの無人ぶり。開店休業という言葉がしっくり来るなとアルトラは白けた目で看板を見上げた。


「『おふくろ酒場』、ねェ」


「母さんはとっくに出ていったから、おふくろはいないんですけどね」


「思いっきり看板に偽りありじゃねェか」


 ともあれ中へと招かれると、意外に清潔なテーブルが並んでいた。その奥のカウンターではくたびれた顔の主人が手持ち無沙汰に皿を拭いている。死んだ目をした主人はアルトラたちの姿を見て数拍ほど固まったかと思えば、ようやく現実を認識して飛び上がった。


「……客だと?」


「違います父さん。あのクソ借金取りから助けてもらったんです」


「それでも人が来るのなんて何日ぶりだ……」


「な、なあアルトラ、どう思う?」


「オレは最初から不安しかねェよ」


 流行らない店といってもここまでは想像しておらず、少々の不安を感じだした二人。いくら空腹でも毒など食わされてはたまらない。帰ろうかという思いが頭をよぎるが、残るエリアはそんな男たちには目もくれずテーブルについていた。フォークとスプーンを手にとってじっと二人を見つめている。


「催促。語っていても腹は膨れない。早く。早く。早く」


「……行くか」


「ああ」


 とはいえ空腹には逆らえないわけで。三人は幾日ぶりかのテーブルについた。

 そんな不安の中で始まった夕食。初めはおそるおそるといった様子で口をつけていたアルトラたちだったが、次第にその手が早まってゆく。

 結論から言って、料理は美味かった。


「美味。美味。美味」


「おいエリア、オレの肉まで手を出すな!」


「指摘。早いもの勝ち」


「知るか! ぶった斬られてェか!?」


「テーブルナイフで人は斬れない。たとえ斬られても止めるつもりもない」


「少しは静かに食べさせてくれ……」


 肉は中にわずか赤身の残る絶妙の焼き加減。決して上等の肉ではないが、それゆえに多めな脂がたっぷりの肉汁となって全身へと染み渡る。そんな肉の横、ミルクでとられたスープにはほくほくと温かいカボチャが湯気をあげているからたまらない。炙ったパンを浸して食べれば至福の味が口に広がる。


 極めつけにはアビーク領と異なる地質が生む甘い酒だ。鉛の鍋で甘くしたものとは違う深みのある甘味が、積もりに積もった疲れを吹き飛ばしてゆくのが肌で分かった。

 件の少女もひとテーブルだけの客とは思えないほど忙しそうに動いている。


「お味はいかがですかー?」


「不味い。あと肉もう一皿」


「ありがとうございます!」


 会話が通じていないようでいて、空になった皿が言葉よりも雄弁なだけだった。またたく間に出された料理を食べきったアルトラたちは何ヶ月ぶりかも分からない満腹感を堪能していた。一番多く平らげたエリアは食後の茶を飲みつつ、当然の疑問を口にする。


「疑問。これでなぜ流行らない?」

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