116.【アルトラ側】西方にて
――西方のとある都市。
夕暮れ時の裏路地を薄汚い三人組が歩いている。大柄な男二人に小さい女一人、顔立ちだけはこの場に似つかわしくないほど整った面々が、ドブと生ゴミの臭いが充満する中を行く宛もなくさまよっていた。
「な、なあ。そんなに薬ばかり買うなよ。虎の子の金なんだからもっと計画的に……」
「あァ? うるっせェな、オレの金なんだから文句言うんじゃねえ」
中心を歩く金髪の男は緑色の丸薬を噛み砕くと、薬の苦みそのままに忌々しげに呟いた。隣を歩く大男はそのまま黙り込み、反対側の少女は草の茎を咥えてひもじそうに夕焼け空を仰いでいる。
「訂正要求。それは共有財産。パンを、とにかくパンを買うべき。早くパン屋に向かうことを強く推奨」
「あーへいへい。クソ、景気が悪くてかなわねえ。マージの置き土産で買ったと思うと薬の効きも悪ィぜ……」
剛剣士 アルトラ=カーマンシー。
王宮門番 ゴードン=フォートレイス。
魔術の才媛 エリア=A=アルルマ。
この薄汚れた浮浪者たちが、かつてはティーナ=レイリとマージ=シウを加えた五人でS級パーティ『神銀の剣』と名乗って最強の名をほしいままにしていたなど、遠い遠いこの街では誰も知らない。マージを切り捨てたことをきっかけに全てを失ってどれほど経つだろうか。辛く厳しい山脈越えを果たした三人は西方の街、ここ『ファティエ』へと流れ着いていた。
「それにしても、『溶けない氷像』があんなに高く売れるとは思わなかったな」
「戦術的勝利。やはり触れ込みは大切」
「オレの頭脳の賜物だな。言ったろ? マージみたいな冒険者崩れが作ったなんて言うより、山脈の奥地にある未踏の洞窟で見つけたことにしたら値がつくってよ。気合入れて話を盛った甲斐もあったってもんだ」
「肯定。アルトラの姑息さは未だS級。冒険者よりもそちらの才で身を立てるべき」
「エリア、お前は素直に褒めらんねェのか?」
この三人がアルトラの『ティーナ、探しに行かねえか』の一言から旅立って数ヶ月。
結論として、
アルトラたちは草原に落としたそれを路銀のあてにして旅立った身。早くも望みは絶たれたかと思われたその時、エリアが奇妙なものを見つけた。
それが『溶けない氷像』だった。
「……マージが言うには、千年は溶けない氷の蛇なんだとよ」
「夏には最高だな」
「肯定。飲み物も冷やせる。果物も冷やせる。ケーキも……空腹が加速した」
腹をくるると鳴らすエリアに、アルトラはやれやれとため息をつきながらマージとの戦いを振り返る。
マージがアルトラの放った矢を氷漬けにし、さらに力を見せつけるように蛇の氷像へと変えたものが『溶けない氷像』だ。草原の真ん中で誰に顧みられることもなく佇んでいるのを見つけて、汗をかきかき街へ持ち込んでみたらなかなかの高値がついたのである。
隠されていたわけでもないし、剣を回収にきたアビーク公の配下もおそらく発見はしたのだろう。その見事な出来栄えには驚いたに違いないが、所詮は氷。数日もせずに溶けてなくなるだろうと思って捨て置いた結果、四ヶ月以上も経ってやってきたアルトラたちに拾われたというわけだ。
広い草原の真ん中とはいえ、四ヶ月間も誰にも見つからなかったのはアルトラたちにとって最後の幸運だったと言える。
「クソ、喉も乾いてきやがったな。金ならあるしどっかの酒場にでも繰り出して……」
「だ、だめだだめだ! そんなことをしてたらすぐにまた素寒貧だ!」
「てめェの指図は受けねェよゴードン! オレに命令したいなら出世してからにしな!」
「いや、出世なんて今さら言われてもだな……」
「注視。前方から何者か近づいてくる」
我関せずといった様子のエリアの指摘に、アルトラとゴードンも口論を中断して前を見た。この二人の口論など喧嘩というより暇つぶしなのだからそんなものだ。
そうして目を向ければ、なるほど、薄暗い中を誰かが走ってくる。先頭はおそらく少女。その後ろに派手な緑髪の男二人が続いている。
「なんだ、ただのガキじゃねえか」
「待て、あれは追われてるんじゃないか」
「同意。おそらく捕まれば無事で済まない類の輩」
ゴードンとエリアの見立てが正しかった。近づいてきた少女は必死の表情で息を切らし、時折後ろを振り返っては懸命に走っている。
やがて間近まで来た少女はエリアに縋りついた。
「た、助けて! 助けてください! 助けて!!」
「推測。見ず知らずの私たちに助けを求めるほど危機に瀕している」
どうするか、と見上げるエリアに、アルトラは見れば分かるとばかりに一言。
「知らね。ほっとけ」
「お、おい……」
「ンだ? 気になんならゴードン、てめェ一人でやりな。ケツも全部自分で拭けよ」
「う、ううむ……」
これは明らかに厄介事だ。この街に着いたばかりだというのに、いきなり地元の人間とことを構えるなど賢いとは言い難い。ゴードンも思わず黙りこくって目をそらす。
救いの手などないと知った少女は涙を拭いて走り出そうとするが、すでに男たちは背後に迫っていた。男たちが手にしているのは少女一人を追っているとは思えない刃物や鈍器。あるいはこの街では武装するのが当たり前なのか、とアルトラは大した感慨もなく分析する。
「うぅ……!」
無駄と分かっていてもアルトラの後ろに隠れた少女に、男たちはニヤニヤと笑いながら歩み寄ってくる。
「逃げれば逃げるだけ時間が経って利息が膨らむって、なーんで分かんねえかなぁ?」
「そんな、だって父さんは騙されて……!」
「なんと言おうが借用書はこっちにあるんだよ。おとなしく金返すか、できねぇなら体で払えや! おい金髪、突っ立ってねえでさっさとどけ! うお……ッ?」
緑髪の片方がアルトラを突き飛ばして少女を引っ張り出そうとする。が、肩をどつかれたアルトラは微動だにしない。思わぬ手応えに一歩引いた男に、アルトラは舌打ちしながら尋ねた。
「てめェら、こいつに金貸してんのか」
ただならぬ空気を感じたか、男たちの手が止まった。だが引き下がるわけにはいかないとばかりに少女を指差す。
「ああ、そうだよ。だから取り立てに来てんだろうが」
「『借りたら返すのは当たり前』。そうだろ?」
「……ああ、そりゃそうだな。その通りだ」
だが、少女は涙ながらに言い返す。
「で、でも! 父さんが聞いてた話とは利息も、期限も、何もかも違ってる! そんなの詐欺じゃん! クソ詐欺師!!」
「でも借用書にサインしちまったからなぁ?」
「『もう遅い』んだよ、諦めな。ほら、分かったらどけ金髪頭」
今度はより強く突き飛ばされてアルトラもよろめく。そのまま少女の手を掴もうとした男の腕を、しかしアルトラの左手が捕まえた。
「な、なんだお前。離せ、離せよ! 正義の味方気取りか?」
「いんや? ただこれも何かの縁だと思ってな。お前らに『オレが世界で一番嫌いなもの』を教えてやる」
「はぁ? いいから離せよ、殴られてえか!? こっちは【打撃強化】を持ってんだが!?」
派手緑髪の男は凄むが、そんなもの毛ほども気にせずアルトラは右手を握りしめた。
「オレが何よりも嫌いなもの。それはな」
アルトラの行動を察したエリアが、少女の目を手で覆った。
「『借金取り』だ! 覚えとけ無能!!」
さて、ここにひとつの問いがある。
戦闘での『強さ』が『スキル』で決まるのは世界の常識だ。現在のアルトラたちは一切のスキルを持っていないのだから、かつての強さはほとんど失われてしまっていると言ってよいだろう。
では仮にも最上位であるS級冒険者は、スキルなしではそこらの小悪党にすら劣るのか? 武器が無ければ場末の使いっ走りにも負けるのか?
答えは当然『否』である。
「がッ!?」
アルトラの右拳は過たず顔面に突き刺さり、【打撃強化】を乗せた鈍器は一撃を繰り出すこともなく地面に転がった。
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