115.十日間の証明

「ドワーフ族は自分たちの町を建てて人間と少しだけ離れて暮らす。その距離感を維持するためにも、ヴィタ・タマの支配者はアビーク公でいてもらった方が都合がいいんだ」


 だから『紅奢の黄金郷』の魔海嘯が決定的になった段階でシズクを伝令に走らせた。この辺りの機微を理解できるベルマンを通じてアビーク公に情報を伝えれば、あとは向こうが勝手に動いてくれるという目論見だ。


「全速力で、ってわざわざ指示したのはそういうことだったんだ」


「ああ。一度ベルマンを通さないといけない分、時間は限られていたからな」


「……ある意味、今回の件で一、二を争う大手柄はベルマンかもね」


「……キルミージのスキルが暗示だと見破れたのもベルマンのおかげだったな。あながち冗談とも言い切れない」


 シズクと二人、あのやけに上機嫌でやかましい男を思い出したら苦笑いがこみあげてきた。里を離れてほんの数週間だが妙に懐かしく感じるのは何故だろう。


「でも、本当にマージは凄い。凄いよ。知恵のスキルを失っていたのに、あの状況でここまで考えていたなんて」


「必死だっただけさ。それに……知恵のスキルのせいにしたくはないが、やっぱり調子は悪かったらしい」


「……何か見落としてたとか?」


 シズクの言う通り、俺はひとつ大きな見落としをしていた。


「おかげで今、アンジェリーナたちが大変な目に遭っている」


「どういうこと……?」




    ◆◆◆




 話は、『王』の討伐直後まで遡る。


『いやー、僕の人生最後の輝きだったね。満足満足』


「パパ……」


『笑っておくれよ、ジェリ。僕らは全てを成し遂げたんだから。フランもそれを望んでる』


 戦いを終えたロード・エメスメスに残された時間は少ない。黄金の鎖は短く希薄な存在となり、消え去る目前なのは誰の目にも明らかだった。最後の別れは親子水入らずでと思ったが……。一人で耐えるのはあまりにも辛いだろうとアズラが気遣ったことで、この場に俺たちも別離の場に同席している。


「笑う、笑うから。もう少しだけ時間を……」


『大丈夫。こうして話すことはできなくなっても、【煌輝千年樹センネンジュ】がある限りずっと一緒なんだから』


 探して、努力して、戦って。ようやくゆっくり話せると思えば別れの時とは無情なことだ。それでも寿命ばかりはどうしようもない。勝利の後とは思えないほどの無力感に包まれる中、不意にアズラが右手を挙げた。


「あのー、ひとつ疑問がありまして」


「アズラ、それは今でないといけないことか?」


「絶対に今でなくてはいけないかと」


 なら聞くべきだ。全員が耳を傾ける中、アズラは疑問を口にした。


「マージ様の【技巧貸与スキル・レンダー】は、貸した相手が死亡するとスキルを回収できないとうかがいまして」


「ああ、そうだ」


「ということは、ロード・エメスメスにお貸しした【神刃/三明ノ剣】は……」


「消えるだろう。そのつもりで貸した」


 あのスキルの元の持ち主は『神銀の剣』リーダーのアルトラだ。奴の【剣聖】が進化した上位スキルが【神刃/三明ノ剣】であり、俺にとってはあまり好ましくない過去の象徴でもある。

 もちろん、そんな個人的な感情だけで貴重なスキルを捨てるわけにはいかない。俺がこのスキルを手放すのにはもう一つ重大な理由がある。


「ロード・エメスメス、たしか【神刃/三明ノ剣】を貸した時に言っていたな。『歪んでいる』と」


『言ったねー。っていうか今も思う。こんなに捻じ曲がったスキルは見たことない』


「たぶん薬のせいで歪んでるんだ。アルトラは、そういう戦い方をしていたから」


 アルトラはスキルを差し押さえられる直前まで劇薬を口にして戦っていた。【剣聖】はマナを乱す薬のために歪み、蝕まれ、一度は回収不可なまでに変質してしまっている。


 ここからは俺の推測だが、変質が修正されて回収された後にもごくわずかな歪みが残っており、それがスキルの進化に影響を与えたのではないだろうか。


『もしかしたら、歪む前に回収していたら別のスキルに進化してたのかもね。もしもの話をしてもしょうがないけど』


「別物に見えるほど歪んだことのある、しかも脳に干渉する性質があるスキルだ。将来を考えると好き好んで抱えていたくもない。ただ、消すのも大変でな」


 誰かに貸して殺せば消せる。そうと分かっていても軽々にできることではない。

 強力なのは事実だしすぐに悪影響がある様子もないからと、そのまま持ち続けて今に至るわけだ。


『だから最後に僕に貸して、そのまま消してしまおうってわけだ。進化したユニークスキルなんて歴史上数えるほどしかないのに、贅沢ゥ!』


「墓前の花代わりとでも思っておいてくれ。そういうわけだからアズラ、スキルが消えることは織り込み済みで……」


「それ、ほんとに消えるのでして?」


「……何?」


 アズラの質問の意味が分からず回答に詰まる。

 だが知恵のスキルを取り戻したためだろうが、俺は自分の見落としていた可能性にすぐ行き当たった。


「ロード・エメスメス」


『今さらだけど、もうジェリに当主を譲ったから僕ってロードじゃないんだよね。なんだい?』


「継承のユニークスキルでアンジェリーナに知識や技術、人格を託した場合、それはロール・オール・エメスメスとアンジェリーナ・エメスメスが同一人物になったりはしないのか?」


『そりゃそうと言えなくもないけど……あ』


「あ」


「あ」


「でして。債務がそのままジェリ様に移るのでは?」


 コエさんとアンジェリーナも同じことに気がついたのだろう。全員で同じ反応をしてしまった。

 とはいえ決めつけるのは早い。まずは確認だ。


「コエさん、どう思う?」


「【技巧貸与スキル・レンダー】に、いわゆる相続の概念はありません」


 大前提を踏まえた上で、コエさんは困ったように首をひねる。


「貸借はあくまでマスターと債務者本人との契約となります。親がスキルを借りたまま死んだからといって、子が返済の義務を負わされることはないのです。ただ親が子と一体となるのは、その、私にもどういった処理になるか……?」


 俺の【技巧貸与スキル・レンダー】の効果そのものはいたって単純。持っているスキルポイントの一部または全部を貸せる。一〇日目以降にトイチの利息をつけて回収できる。これだけだ。


 これだけなのだが、貸した相手が少々特殊すぎる。いよいよ薄くなった黄金の鎖にも結果が読めないらしく、気まずそうにプラプラと揺れている。


『……えーっと、ジェリ?』


「なんです?」


『パパが作った借金、もしジェリに行っちゃったら一生かけて返してくれる?』


「流石に嫌ですー!!」


 当然である。


「アンジェリーナが里に来た時にも話したが、もしそれで【泥土の嬰児】を取り上げてしまっても貸し戻すぞ?」


「そうかもしれませんし、あの時は駆け引きの一貫でそれでいいとも言いましたが! でもやっぱり自分のものじゃないのは気分が悪いので!」


「だよな……」


「まことにまことに失礼ながら、マージ様に万一のことがあればゴーレムのスキルも消えてしまいまして」


 アズラのいうリスクも無視はできない。そしてアンジェリーナにとってはそれと同じくらい重大らしい問題がもうひとつ。


「それにその、もし【煌輝千年樹センネンジュ】まで移ったら、ジェリの記憶がいろいろ見られるわけでして……」


「それは、気まずいな……。いくらアンジェリーナでも……」


「ちょっと失礼なことを言われた気がします」


 アンジェリーナとて嫁入り前の乙女だ。他人に、それも男に見られたくない記憶の一〇や一〇〇はあるだろう。俺だってそんなものを見せられてもどうしていいか分からない。


 これは一か八かで試すしかないのか。そんな思いが場を支配しかける中、しかし俺は思い出した。『不可能』を求めてやまないのが錬金術師だということを。


『やっぱり僕自身が消えないよう踏ん張るしかないかー。延命措置なんて限界だと思ってるけど』


「コエさん、パパが一〇日目まで生き延びれば何も問題ないんですよね?」


「はい、それは間違いありません」


「利息が大きいから差し押さえは起こるかもしれないが、アンジェリーナに影響の少ないスキルを選ぶことはできる。生き延びられなければどうしようもないが……」


「それ、本当に『不可能』なんですかね?」


 不可能なのか。それは錬金術師にとって最も根源的な問い。


『いいね、らしくなってきた。不可能と言われたら喜んで飛びついて、いざやってみたら可能になっちゃってガッカリする。それが僕らだ。それが錬金術師だ』


 そうして『可能になってしまった失敗』が成果として認識され、発展してきたのが錬金術という学問体系だと何かで読んだ。

 そしてここには二人も錬金術師がいる。


「過去の研究からして【熾天使の恩恵】による治癒は効きません。肉体を別に用意して蘇生術で意識だけを移せばあるいは……。ただ寿命を削る一発勝負になるから下策です」


『そもそもなぜ治癒できないかが問題だね。高位の治癒スキルと【範囲強化】を組み合わせると、肉体といっしょに装備も直すことができたはずだ。だから僕が鎖という無生物の体であること自体は治癒できない理由にはなり得ない』


「では、治癒スキルによる治療が本当に不可能なのかから検証するです。幸い、十四代当主『慈愛のフーガ』は治癒スキルが得意ですからゴーレムとして出しましょう」


『よし、エメスメス邸に移動だ。各条件を徹底的に洗い出そうじゃないか』


 こうして、二人は俺たちを置いたまま自宅へと向かっていった。

 それから五日経つが屋敷から出てくる気配はまるでない。




    ◆◆◆




「アンジェリーナ、見かけないと思ったらそんなことになってたんだ……」


「食事を差し入れてるコエさんによれば、中でまだ研究をしている様子らしい。昼も夜もなく大激論だとか」


 本来ならその日のうちに消滅してもおかしくなかったロード・エメスメス。それが五日経ってもまだ命を繋いでいるというのだから流石と言う他ない。

 アンジェリーナにはいらぬ苦労をかけてしまったとも思う。シズクは頷きつつ、「でも」と屋敷の方角を見つめる。


「それはそれで、よかったんじゃないかな」


「……ああ。他人の幸せの形なんて理解できるとは思ってないが、あの二人は最後の最後まで足掻く方が似合いだと俺も思う」


「うん。きっと、アンジェリーナにとって最高の一〇日間になる」


「だといいな」


 冬にしては暖かい風が、俺たちの頭上を吹き抜けていった。






 そうして、きっかり一〇日目。スキルが返ってきたのを感じてエメスメス邸に赴くと、中から出てきたのはアンジェリーナ一人きりだった。

 疲れ切って涙の跡の残る、けれど満ち足りた笑顔で彼女が口にしたのはたった一言。


「また、不可能でないことを証明してしまいました」






 これをもって、俺たちのヴィタ・タマでの戦いはすべて終了した。

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