113.縁結<エンユウ>のロール・オール

「【全てを返せ】」


 人間の脳は思考に使う器官だと言われている。一説では歩くにも話すにも全て脳が絡んでいるという学者もいるそうだ。スキルを使うにも必要なのは言うまでもない。生きることは脳を動かすことと言っても過言ではない。

 その脳を継ぎ足し続け、歪みきったそこに莫大な情報を詰め込んだキルミージ。生きるだけで壮絶な苦痛に苛まれる男の回答はもはや一つしかなかった。


「返、ス!! 早く、ハヤク!!」


【返済処理が承認されました。処理を開始します】

【処理が完了しました。 スキル名:神代の唄 債務者:キルミージ=ブレイ】

【処理が完了しました。 スキル名:無尽の魔泉 債務者:キルミージ=ブレイ】

【処理が完了しました。 スキル名:詠唱破却 債務者:キルミージ=ブレイ】

【実質技利10%での回収を開始します】


「助か、ッた……。おのれ、だがまだ私は……!」


 キルミージはまだ諦めていないようだが、粛々と処理を進めていく。

 今回は最短である一〇日のみの貸し出しである。よって利息も最低の一割にとどまる。アルトラたちのように何千万倍という利率になることはないが、違うのはその『元本』だ。


【貸与した全スキルの回収及び最適化処理を完了しました。次段階に移ってよろしいですか?】


「ああ、頼む」


【ユニークスキルのスキルポイントを差し押さえ、債権額に充当します】


「ユ……!?」


 うつろな目をしたキルミージが間の抜けた声を漏らした。だがこれは至極当然のこと。


「スキルは三つで一〇日だけの貸し出しだが、何しろ元本が大きすぎる。一割でも人生を何周もしてやっとという額だ。返済は当然足りていないし、足りない分は他で補うしかない」


「そんな、たった一〇日しか借りていない!」


「お前自身がそう借りた。借りたら返す、当たり前だ」


 これが普通の借金なら、身ぐるみ剥がされた上に歯を全て抜かれるようなものだ。差し歯の需要があって高く売れると聞いている。同じことをスキルポイントでやるだけのこと。

 やっと頭が明瞭になってきたらしいキルミージは、事態を理解して見る間に青ざめてゆく。そこに狡猾で悪辣な騎士団長の顔はもうない。


「ま、待て! 【偽薬師の金匙】は、私の血と汗を注ぎ込んだスキルなのだ! それも全て、努力した者が報われる世界を作るために……! 嫌だ! 嫌だ!! 待ってくれ頼む!! 待っ……」


「もう遅い」


【スキルが選択されました。処理を実行します】


【債務者キルミージより【偽薬師の金匙】を差し押さえました】


「あ……」


 頼みにする力を失った人間など脆いものだ。もう抵抗する気力もないと思っていたが、暗示を解除しようとしたら急に慌てだした。もっとも、それに構う時間などないが。


「【偽薬師の金匙】、起動。全ての暗示を解く」


「や、やめろ! それはいけない! それだけはやめてくれ!」


「『解き放たれよ、其は夢幻に過ぎぬ』」


 その数、二万三千人。キルミージという男がドワーフ族を縛っていたくびきを取り除く。

 最初にその効果を見て取れたのはアズラだった。ゴーレムの中からどこか間の抜けたような、それでいて明確な意思を感じる声がする。


「……はれ?」


「アズラちゃん、平気です?」


「ええ、なんとも。時にジェリ様。うちは先ほど、チュナルに何を命じまして……?」


「街や鉱山に取り残されたドワーフたちを避難させろと言ってましたね」


「なぜ……?」


「ダンジョンから魔物が出てきて危ないからです」


 一見すると何も変わっていない。だがアズラの放つ雰囲気がスゥ、と尖ったのをこの場の全員が感じ取った。


「魔物なら叩き潰せばよいのでは」


『やだ過激』


 キルミージが恐れて抜いたドワーフ族の牙。暗示を解いたことでそれが小さく顔を出したか、アズラはゴーレムの機構を使って大きく大きく呼びかける。


「この声を耳にした同胞たち。さあ、手に斧を取りなさい。我らドワーフ族を足蹴にしたことの意味を知らしめ、来世も消えぬ後悔として刻みつけるまで手を止めてはなりません」


「あ、アズラちゃん?」


「目覚めを与えてくださった方の名はマージ=シウ、そして我が友アンジェリーナ=エメスメス。その恩義は力で示してこそのドワーフ族ぞ。いざ、久しき戦いの刻でして」


 大地が揺れた。

 ゴーレムや『王』が巨体で歩いた時のそれとは違う。地の底から湧き上がるような、地獄の釜の蓋でも開いたかと思うような地響きが鳴る。オオオオオオという重低音は、しかしやがて無数の人の声となり、ついには地上へと溢れ出した。


「オオオオオオオオオオ!!」


 軍勢、と呼ぶにはあまりに荒々しすぎる。怒りと衝動に身を任せ、野生のままに突き進む益荒男の群れがそこにいた。コエさんも見たことのない大軍勢に思わず口元を抑えている。


「本当に万のドワーフがいたのですね、マスター」


「実際に目にすると壮観にすぎるな」


「終わりだ……何もかも終わりだ……。この地には草の一本も残らない……」


 キルミージはといえば、地に頭を擦り付けるように震えている。その心中はいかほどか。

 ドワーフの勢いは積年の恨みを晴らすが如し。肉の大波がたちまちに魔物の群れを押し流してゆく。狂化した魔物は恐怖など感じまいが、わずかに残った生存本能に進撃の足が止まって踏み潰された。あまりの光景にエメスメスの錬金術師たちも思わず息を呑んでいる。


『わーお……』


 アズラにせよチュナルたちにせよ、俺たちが出会ったドワーフは焼肉と黄金を愛する職人肌の人々という印象だった。キルミージが人間に寄せるためにそうしたのだと思っていたが……どうやら半分は間違いだったらしい。

 そういう風に抑え込まねば制御できなかったのだ。このドワーフという亜人族を。


「あ、でもジェリたちに取り付いてた魔物が挽き肉になりましたね」


『てことは好機だ。ジェリ、そろそろ終わらせようか』


「そうしたいのは山々ですが、足の修復がまだ……」


 よじ登ってくる魔物が消えても、下半身を消し飛ばされたゴーレムは未だ立ち上がれずにいる。身動きがとれねば手の出しようがない。そう歯噛みするアンジェリーナに、黄金の鎖は何のこともないとばかりにチリリと鳴った。


『足なんて飾りだよ。むしろ手も体も全部飾り。人型に囚われない当主の力を使えば、ね』


「パパ、まさか」


『悪いけれど時間が来たのさ。今より君が、エメスメス家の新たな当主だ』


 黄金の鎖が、溶けてゆく。

 さらさらと砂のように、あるいは霧のようにゴーレムの頭部、おそらくはそこにいるアンジェリーナへと流れてゆく。


 エメスメス家は代々同じユニークスキルを会得し、当主が己の知識と技術を継承してきた家系だ。ここでいう代替わりとは己をスキルの一部として捧げることにほかならない。それを『死』とみなすかは部外者である俺の考えの及ぶところではないが……。


 少なくとも、別れであることには違いない。


『大丈夫、この戦いが終わるくらいまでは意識も保てるさ』


「パパ、待って、まだ……!」


 引き留めようとするアンジェリーナ。その言葉を遮ったのはロードの軽薄な声ではなく、どこか懐かしさを感じるような、そんな女性の声だった。


『親というのはですね――』


「……ッ!」


『子の笑顔を見せてほしいものですよ、ジェリ』


 聞こえたのは、それだけ。

 たったそれだけだったが、それはロード・エメスメスの妻にしてアンジェリーナの母、わずかな鎖の切れ端が残るのみだったフラン=エメスメスのものに違いなかった。


『フラン、最後の一言ぶんだけは力を残してたんだねぇ』


「……です」


『さて、フランはああ言ってたけど、どうする?』


「今は戦いの最中です。笑ってるわけにはいかないです」


『うーん、この正論。じゃあどうしようか?』


 アンジェリーナの答えは単純明快。


「さっさと勝ちます」


『いいね。しかしだ、となると僕も二つ名を決めないといけないわけか。マージ君かコエさん、なんかいいの思いつかない?』


 破城、陰惨、鍛鉄、あなぐら……。歴代の当主たちは端的な二つ名を持つ。

 本来ならば生涯で成し遂げた業績や生き様で決まるという。だが何しろロール・オール=エメスメスは予定の狂いに振り回された身だ。錬金術師としては歴代当主に見劣りしてしまって思いつかないと、自虐的に言う。


 ならば、と。コエさんが口にした名をロードは気に入ったらしい。


『じゃあジェリ、行くよ』


 ゴーレムの巨体が、ほどけてゆく。

 腕も体も、頭の工房を残して全てが鎖となって宙を駆ける。もはや足の有無など関係ない。自由奔放なようでいて常に縛られていたロール・オール=エメスメスの人生を表したような、そんな姿へと変わってゆく。


 それは異質で異形、型破りな『鎖』のゴーレム。


「行きます。――『縁結エンユウのロール・オール』」

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