110.最終防衛機構
――クゥルルル……!
その巨体は、竜の姿をしてはいた。だが腕と首はあまりに太く屈強で、全体に流線型をした躯体でしなやかに動く姿はどこか水棲生物を思わされる。黒ずんだ赤の鱗で体を覆っているのは竜種の例にもれない特徴だろう。
「ニーズヘッグ、に近い。地底深くに棲むとされる『怒り噛み砕く竜』。たぶん火のダンジョンの影響を受けて変化した亜種だ」
「あの口にあるのは、やはり」
「ああ、『パパからのお土産』だ」
鮫のそれに似た口には、あの朱竜の頭が咥えられていた。ダンジョン入口近くに置き去りにされていたものを拾ったのだろう。巨竜が顎に力を篭めるとバキリ、と鈍い音がなり、神代魔術でも貫けなかった頭はまるで卵でも噛み割るように粉砕した。
破片を飲み下した巨竜は、次の獲物を求めるようにこちらに視線を向けた。
「……本当に、あの朱竜は『将』でしかなかったんだとよく分かったよ」
ロード・エメスメスが縛り付けていたあの朱竜は、S級下位のダンジョンであれば間違いなく『王』の器だった。あれほどの威容を誇った竜がダンジョンの途中を守る門番にすぎないという事実。
頭で理解はしていても、冒険者としての経験が「そんなことがあるものか」とどこかで叫んでいたのだが……。実物を目にしてやっと実感が伴ってきた。
「あの朱竜の六倍、いや八倍はある。力量の差も相応か」
「いかがしますか?」
「大きさならアンジェリーナの最大型ゴーレムと互角だ。殴り合うところを見てみたかった気もするが、準備に手間取っているなら俺たちで相手をしよう」
「はい、マスター」
コエさんが後ろに下がると同時、悠然とこちらを見下ろしていた巨竜の気配がわずかに揺らいだ。それはわずかな攻撃の予兆。
「ッ!」
来る。そう直感した次の瞬間には巨竜の不揃いな牙がもう眼前にあった。家の一軒は軽く収まるだろう巨大な口が迫りくる。防御スキルが頭をよぎるが、後ろのアンジェリーナたちに余波が飛ぶとみて攻撃に転じた。
「【阿修羅の六腕】、起動!」
六腕全てを左に集め、巨大な顔面を横殴りに叩きつけて力を右方向に弾いた。空へと逃がした力の行方を目で追って思わず呟く。
「……豪快だな」
ただの噛みつき攻撃であるはずのそれは、右上方、はるか空高くにある雲を削り取った。大きく削り取られた雲間からのぞく空は抜けるように青い。
圧倒的な威力、それに攻撃範囲。一度でも食らえば人も街も奴の胃の中に収まる。
「なら口を開かせなければいい。【潜影無為】、起動」
――ク?
姿を消し、体勢を崩した巨竜の顔に迫る。こんな偽装など一呼吸もせず見破られるだろうが、それだけあれば時間は十分。
「【阿修羅の六腕】、挟め」
肉薄すると同時、俺は六腕のうち二腕で巨竜の口を上下から挟み込んだ。最上位スキルとは所詮は人間の技、容易く振りほどけるはずのそれを、しかし巨竜はほどけない。
「口を『閉じる力』と『開ける力』っていうのは、使う筋肉が違うからな」
朱竜の頭を砕くほどの咬合力。それを受け止めるなど【阿修羅の六腕】をもってしても不可能だろう。だが頭の大きさが決まっている以上、口を閉じる力が強いなら開く力は弱くなるのが道理なのだ。
「当然、口は開かなければ閉じられない。悪く思うな」
これだけの竜だ、何も攻撃手段は噛みつきだけではないだろう。だが突然消えた相手に突然開かなくなった口という状況が、ほんのわずか、瞬き一回に満たない時間だけ巨竜の意識に空白を作った。
そこに、残り四本の腕で連打の嵐を打ち込む。左右から殴れば衝撃は中央にとどまり続け、いくら鱗が堅牢でもダメージは蓄積していく。
――カ……!
角にヒビが入り、鱗は剥がれ落ち、牙が折れて弾け飛ぶ。やがて頬骨が砕ける音とともに巨竜の顎が大きくのけぞった。
「そこか」
首の中央、喉の辺りに鱗が薄い箇所を目視で捉えて右手を翳す。使うのは発動に一瞬の溜めがある【亜空断裂】。高位の相手にはその溜めゆえに避けられることもあるスキルだが、今なら確実に当てられる。
「【亜空断裂】、起動」
バツン、と鈍い音とともに巨竜の首が半ばまで切り裂かれた。何かしらの防護があるのか、空間ごと切り裂くスキルであっても一撃必殺とはいかないらしい。
それでも確かに効いている。ならばもう一度当てるだけのこと。
力を溜めた俺に向けて、しかし地上から声が上がった。
「回避を、マスター!」
「ッ、【空間跳躍】、起動!」
地上からのコエさんの声に攻撃を中断、距離にして二十歩ほど離れた場所へ後退した。念のため大きめに回避したつもりだったが、それでギリギリ。
――クル、カァァ……!!
「巨竜が、喰われてる……!」
巨竜の頭が、さらに巨大な口に咥えられていた。
竜の頭すら噛み砕く竜。その頑強な頭がベキベキと音を立てて潰れてゆく。上には上がいると誰かが言ったそうだが、こうも分かりやすいものか。
もし後退していなければ俺も一緒に口の中だ。
「ご無事ですか、マスター」
「ああ、ありがとう。可能性としては考えていたけど、思ったより早かったみたいだ」
「可能性、とは?」
「ロード・エメスメスが縛っていた朱竜は『王』並の力を持つ『将』だった。あの巨竜、ニーズヘッグの亜種も同じく『将』でしかないっていう可能性だ」
ダンジョンに『王』は一体だ。だが上位のダンジョンであれば『将』は何体もいることは珍しくない。より奥に行くほど強力な『将』が待ち構えているのも言わずもがなだ。
本来ならあの朱竜の先に、巨竜という『将』がいたというだけのこと。コエさんのところに降り立ち、噴火口を指差す。
「見てごらん。もう後ろから魔物が出てこない。つまり、奴が最後尾だ」
「つまり、どういうことでしょうか」
「今度こそ『王』のおでましだ」
地上から分かるのは、それが二足で立つ竜種だということ。全身を覆う鱗の色は迷宮の主にふさわしく曇りなき真紅。どれほどの大きさがあるのだろうか、あまりに高い場所にあって顔は見えない。
「いかがしますか、マスター」
攻めるか、退くか。巨大すぎる『王』を前にコエさんが尋ねるが、俺の返答はどちらでもない。
「どうもしない」
「と、言いますと?」
「どうやら、エメスメス家の予測は本当に正確らしい。街の方を見れば分かる」
「あれは……?」
振り返る。最初の噴火で少しばかりの火事が起きたのだろう、数筋の煙が上がる鉱都ヴィタ・タマの、その一角。俺たちから見てやや右手よりの住宅街に白い何かが姿を現した。
「なるほど、大きい敵がいるから大きい武器を用意する。合理的だ」
目の前の『王』と比肩する大きさの人形がそこにいた。
距離は遠いが、人形から人の声が聞こえた。よく見ればゴーレムの周囲を黄金の鎖が取り巻いている。
『エメスメス邸の庭にあるやったらめったら大きい工房風の建物……。あれは偽装した仮の姿。その正体は、四十二代当主が『一体で歴代当主全ての特技を扱える究極のゴーレム』という理想を掲げ、ついに完成させるも巨大すぎてダンジョン攻略に使えないと気づき、『やっちまったぜ』という言葉と共に遺した土人形の頭だったのだ……』
人形が立ち上がる。文様を刻まれた白磁の巨体が軋みを上げ、雲間から差す陽光を反射して白く煌めく。
さらにもうひとりの声が響く。それは賢さの中に幼さが残る、聞き馴染んだ赤髪の錬金術師の声。
「迎撃人形の第十六番! 最終防衛機構『待ちぼうけの大賢者』、起動です!」
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