105.死なない程度に

 キルミージの身体から力が抜けてゆく。

 顔はうかがえないが、自信に満ちていた声は今や小さく震えている。


「私の、負ケだ……。何モかも……」


 キルミージが顔を伏せたまま動きを止めた。神代魔術の障壁も音を立てて崩れ落ち、手に集まっていた多重術式も霧散している。

 もはや抵抗する気力もないとばかりに赤鎧の騎士は頭を垂れた。


「スキルは、返す。殺してくれ。楽ニ、してクレ。いたい、イダイ、クるじい……!」


「断る。殺せばこちらにも不都合が多いんでな」


「せ、せメて、この痛みを、消シテ……」


 キルミージがズリズリと這いずる音がする。俺の足へすがりつくように指が靴に触れたと同時。

 がば、とキルミージの顔が上がった。


「【偽薬師の金匙】、起動!」


「ッ」


「フハ! フハハハ! やった、やったぞ! ざマ、みろ! やッタ、ヤッタ!!」


 キルミージが歓喜を顕にする声がする。一発逆転、捲土重来、どんでん返し。頭の痛みは続いているだろうに、今にもそんな言葉で歌い始めそうだ。

 ひとしきり勝ち誇ったところで、キルミージは息を切らしながらに命令を口にする。


「マージ・シウに、命じる! 私を、治療セヨ! いいや、治癒スキルを、貸し出して……」


 俺に向かって次々と命令を下すキルミージ。それに対する俺の返答は一言。


「断る」


「なっ……!?」


「騙し討ちとはいよいよ窮まったな、キルミージ」


 アズラの状態を目にした時に理解したことだ。キルミージの暗示にはいくつか条件があり、そのひとつに『互いの姿が見えていなくてはならない』があるのだと。

 ならば対策はアズラと同じだ。


「貴様も、自分の目、を……! いツの、間に!?」


「さっき、【亜空断裂】で目の裏側を切った。感知のスキルでお前の動作だけは追っているから、こういうことはできる」


 右手でキルミージの顔を掴む。キルミージとて騎士団の長、並み以上の肉体強化スキルは習得しているのだろうが……。俺が【腕力強化】の最上位進化スキル【阿修羅の六腕】を発動している今、きしみを上げる頭蓋骨から俺の手を引き剥がすことなどできはしない。


「ぐ、ぎ、が……!」


 魔術に支障が出たなら、キルミージが本来の得意技である暗示に頼ることは予想できた。だから攻撃に乗じて自分の神経を切っておいただけのこと。


『互いの姿が見えていなくてはならない』


 俺が自分で治癒スキルを使うまでこの条件は決して満たせない。

 そして念には念を入れる。俺はキルミージを掴んでいる右手に別のスキルを発動した。


「お前がドワーフ忠国隊を縛り付けていたのもこの方法だったな。人間も亜人も暗闇を恐れるのは変わらない」


「ま、待……」


「【亜空断裂】、起動」


 キルミージが目から鮮血を噴き出した。

 斬撃のスキルが、空間ごとキルミージの両目を削り取った。離した右手に生暖かい液体が降りかかる。


「ッ、アアアアアア!! 目、目、目が、目ェェェェェ!!」


 不意に襲いくる痛みと暗闇の恐怖に、人は抗えない。キルミージも平時ならいざしらず追い詰められた今は泥の上を悶えのたうっている。


 奴はもう暗示を使えない。


 キルミージが負けたと言ったとき、勝負を投げたかと俺も思いかけた。

 だが俺は知っている。自分こそ最強、自分こそ至上と信じた人間がいざ追い詰められた時、決して潔く諦めたりはしない。必ず最後の最後まで食い下がる。


「……そういう意味でも、お前の顔が見えなくてよかったと思うよ」


 顔を上げて勝利を確信したキルミージは、あの日、草原で再会したアルトラと同じ顔をしていたに違いないから。


「スキル、返ス、だカラ……」


「さて、ここで悪い知らせがある」


「マダ……?」


「お前が俺からスキルを借りたのは初めて会った日だな? それだと今日で九日目になる」


 俺の【技巧貸与スキル・レンダー】は一〇日以上経たないと回収ができない。よって、キルミージ本人にどれほど返済の意思があったとしても返すことはできない。

 あと半日も残ってはいないが、あと数鐘はこのままだ。


 ふと、後ろで静かにしていたドワーフのひとりが勝負が決まったものとみたか声を上げた。


「殺しちまえばいいんじゃないのか……?」


 ドワーフたちはまだキルミージや騎士たちを殺害できない。アズラが『壁に呑み込ませる』という特殊な方法をとったのもそのせいだろう。だからこそ俺に殺してもらいたいという感情は理解できる。


 ただそれを汲んでやるわけにもいかない。政治的にややこしくなるのもあるが、それ以上に。


「そうはいかない。【神代の唄】は必要なスキルだ」


「だから、ざかざかっと刻めば」


「【技巧貸与スキル・レンダー】はあくまで『貸してから一〇日目以降に、貸したスキルと利息を取り立てる』スキルだ。その時点でスキルが存在していなかったり、あるいは貸した相手そのものがいなければ空撃ちにしかならない」


 アルトラからスキルを回収しようとした際、差し押さえの対象になっていた【剣聖】を回収できなかったことがあった。あれは薬の副作用でスキルが変質してしまい、『【剣聖】というスキルが存在しない』状態となっていたためとも言い換えられる。


 人間は死ねばそれで終わり。スキルが存在しないのはレアケースだろうが、相手がいないというのは普通にありうるのだ。


「だから、キルミージにはスキルを返済するまでは生きていてもらう。その後のことはそれからだ」


「ウ、ウァ……?」


 俺の言葉を理解したらしいキルミージの身体から、絶望とも怒りとも言えない感情が噴き上がった。背中から舌のようなどす黒いものが伸びる。攻撃かと身構えるが、向かったのは奴の後方。その先には部下であるはずの騎士たちしかいない。


 黒い舌が、揃いの赤鎧をまとった騎士たちを絡め取りはじめた。


「だ、団長!?」


「ひい!!」


 騎士たちの身体はたちまちにやせ細り骨と皮だけになってゆく。今の俺でも聞いたことはある術種だった。


「敵意のない者から力を得る吸魂術式……。高潔さや潔白さの次は、組織の長としての矜持も捨てたか、キルミージ」


「乞えよ……肥えよ超えよコエヨコエヨコエヨコエヨコエヨ、『飽獣術ベヒモス』!」


「……抵抗しないなら、眠らせてやるくらいはしてもいいかと思ってたんだがな」


 吸魂術式は犠牲が大きい分威力も桁違いに高い。発動すればどこまで消し飛ぶか分かったものじゃないが、阻止は容易いと考えて【阿修羅の六腕】を起動しかけた俺の横に、ふと濃密で生暖かいマナがちらついた。


『マージ君、もしかして戦いをわざと引き伸ばしてくれてた? 僕らにも一発譲るために?』


 ロード・エメスメスの鎖が、ちりんちりんと澄んだ音を鳴らしていた。


「勢い余って殺さないよう用心してただけさ。……もう親子の話は済んだのか?」


 積もる話もあるだろうに随分と早い。いぶかしむ俺に、金の鎖は苦笑いするようにちりちりと軽い音を立てた。


『だってほら、パパと思春期の娘だよ? 会話がそんなに続くわけないじゃないか。ジェリ、君だって、おしゃべりよりもこっちの方がいいだろう?』


「です」


 アンジェリーナが、俺の隣に立った。

 その顔つきはすでに錬金術師のそれ。手には静かだがおびただしい力をまとっている。


「死なない程度にぶっ殺します」

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