104.証明終了

 キルミージの防御魔術『巨壁術ヘカトンケイル』の硬さは【金剛結界】に勝るとも劣らない。ヒビのひとつも入らない壁を【阿修羅の六腕】で打ち据えながら、俺はキルミージの周囲を渦巻くマナの流れをじっと観察し続ける。

 半透明な障壁の向こう、赤鎧のキルミージは誰にともなく語り続けている。


「まだ、まだ足りない! 誰よりも『努力』したこのキルミージにこそふさわしい力にはもっと、もっと……! 清潔で、高潔で、潔白で紳士的で何より理知的であらんとする、この私の道を阻む愚物を全て、全て、全て打ち払………………………………け、こ………………………………………………」


「キルミージ?」


「コケコッ」


 キルミージから漏れ出た声は、鶏に似ていた。


 神々の力を我が物とし、もはや自身が神に等しいまでの力を発していたキルミージ。その喉から、鶏が首を捻られた時のような声がした。同時に高まる一方だったマナが急激に霧散してゆく。


 続いて奴にやって来たのは身体の震え。キルミージはガクガクと身体を震わせ、青ざめた顔からは大量の涙と汗を噴き出した。両目は泳ぎろれつも回ってはいない。


「な、なんだ、ケ、これ、コケ、カ、ラキ、マ……?」


 術式はさらに乱れ、防御障壁にも揺らぎが現れる。キルミージに異変が起きているのは誰の目にも明らかだった。


「壮絶な頭痛で自我すら消し飛ぶ気分か? ああ、俺も一度似たような経験をしているからな、少しは分かるぞ」


「ドういう、コと、だ」


 口からは涎を垂れ流しながら、自分に何が起きているか分からない様子のキルミージ。コエさんも奴の惨状に戸惑っている。

 だが、俺には分かる。アンジェリーナから事情を聞いた段階でこの状況を予期していた。何より、俺自身にも覚えがあることだから。


「マスター、これは一体」


「【神代の唄】は、魔術の知識を得られる『知恵のスキル』らしい。神代魔術を覚えられるだけでなく、そのための人間離れした知能……いわば『頭の良さ』も必要なだけ手に入る」


 スキルの元の持ち主、エリア・アルルマも稀代の天才魔術師だったのは覚えている。古代魔術の知識があるだけでなく、複利計算を六年分も即座にできるほどの知能の持ち主だった。

 それだけの効果があのスキルにはある。古代どころか神代まで遡れる【神代の唄】ならばなおさらだ。


 俺の話を聞きながら、キルミージは子鹿のように震えだした膝を必死に支えている。


「それガナんだ、今シャ、ら」


「知能が手に入る。それは例えるなら、本にページを継ぎ足すようなものだ。百頁の本を百五十頁、二百頁へと増やせれば、書き込める量も増える。当然だな。……【亜空断裂】、起動」


「グッ!!」


 言いながら障壁に斬撃を加える。先までの堅固さはすでになく、盾の巨人が大きく揺らいだ。

 この手応えは演技ではない、キルミージの力は確実に弱まっている。


「ああ、百頁が二百頁になるのはいい。四百、いや五百頁でもまだ本として読めるだろう。だがお前は、強力無比な神の術を何百と書き足した。一体どれだけの頁がいる?」


 これはあくまで例え話。だが本質は捉えているはずだ。

 現に俺から【神刃/三明ノ剣】を借りたロード・エメスメスは、五百十二本の頭脳やいばのみを自分に融合した。命を捨てて、未来を捨てても、それが限界だと知っていたのだ。


 ロードのような天才的な頭脳の持ち主でさえ、いや、天才だからこそそれだけに抑えられた。だがキルミージは違う。

 どんなに知恵を継ぎ足そうが、根本の思想と人間性が歪んでいればそれを増幅させるだけなのだから。


「お前が際限なく習得し続けた神代の魔術は、いったいどれだけの容量だ? それを何重にも使うのにどれだけ頭脳を酷使した?」


「ア……!?」


「天才錬金術師ですら五百十二枚足すので限界だった『本』に、何千万頁も継ぎ足した『何か』。それが今のお前だ。無事で済むわけがない」


 魔術を覚えるには頭を使う。

 魔術を使うにも頭を使う。


 何千万ページと継ぎ足し、焼き切れんばかりに使い込んだキルミージという本。否、もはや本と呼べる形すらしていないだろう。今のキルミージの状況はごく単純。彼の綴じ紐がついに切れてしまっただけのことなのだ。


「そんナ、バかナこと……」


「俺自身がどう使っていたかは覚えてないが……。二つか三つの術式だけ習得して、他のスキルと組み合わせて使っていたんじゃないか。もちろん、脳にかかった負荷を修復するための治癒スキルと併用しながらな」


 スキルはシナジーで選ぶもの、ということだ。


 無闇やたらと数ばかり増やしても一つ一つがおろそかになったり、時には今のように大きな負荷となってのしかかることがある。だから『絞る』。自分の手のひらに収まるだけのもので工夫し、組み合わせてこそ強者たりうる。

 俺自身、パーティに貸すという目的がなければこれほどのスキルを覚えることすらしなかっただろう。


 焼き切れた頭で理解できているのかいないのか、キルミージは泥の上にうずくまった。


「こんナ、ハずガ……!」


「俺がそのスキルを最強と評価した理由も予想はつく。知恵は力だが、考えて工夫することもまた力。それを強化するスキルだから重要と思ったまでだろう。知恵しか見なかったお前の失敗だ」


 もっとも、危険な賭けではあった。

 万に一つ、キルミージが数百の術式を御しきったなら、それだけの魔術が折り重なって飛んでくる。そんなもの防げるはずもない。


「まあ、最悪の時は俺が死ねば済む。貸し手が死ねば貸し出しも全て無効だからな。簡単に死ねる身体じゃないが自殺ならどうにかなるだろうさ」


「な、ナ……!」


 キルミージからの反論はない。ならば、アンジェーナたちに倣って締めくくる。


「以上、証明終わりだ。最初に言ったろう、『お前はもう何一つ知る必要はない』と。あの言葉はな、キルミージ。お前自身のためにも言っていたんだ」

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