89.街、そして旧坑道入口にて

「おや、ジェリちゃんじゃないの。おっすおっす」


「パン屋のおねーちゃん、おっすおっすです」


 アンジェリーナがよく分からない挨拶を交わして右手を上げる。あの三十歳前後と見える金髪の女性は、屋敷から二本先の通りにあるパン屋の主人。アンジェリーナとは幼い頃から見知った仲だという。


「やあねえジェリちゃん、もうお姉ちゃんって歳じゃないのよ」


「おばちゃん、おっすおっすです」


「パン窯にブチ込まれたいかい」


「いいですか後ろのお二人、これが辞書にも載ってる『理不尽』の意味です。『社交辞令』で引いてもここに誘導されます」


「目立つことは避けようよ、アンジェリーナ……」


「人間さんは不思議でして」


 アズラ奪還から三日が経った。アズラの体力回復にあてる時間としたところ、肉を食べさせていたら一日で快復してしまった。ドワーフがそういう種族なのかアズラが頭抜けているのか……。それは分からないが、ダンジョン攻略に向けて準備の詰めに入っているところだ。


 ただアンジェリーナの屋敷には食料らしいものがほとんどなかったため、親子連れに変装して買い出しにきて今に至る。手配書が出回っている様子がないのは幸いか。騎士団としては街に不穏分子がいることを喧伝したくもないのだろう。


「で、いつ帰ってきたの。言ってくれればモカカ茶のパン焼いたのに」


「急用だったです。ちょっと世界を救いに行くのでパンください」


「はっはっは、そりゃいっぱい持っていかないとねぇ」


 世界を救う。アズラの言う超S級ダンジョンというのが本当なら、あながち冗談とも言えないのが厄介なところだ。


「超S級、か」


 騎士団の攻撃は二日目以降はゆるやかで、五日経った今では雇われたらしいゴロツキがたまに現れる程度だ。向こうもダンジョン探索の準備に注力していることは間違いあるまい。

 この状況はまた、俺が打った『偽物のソドムとゴモラ』という布石がまだ生きていることも示していた。


「しかしマスター、なんで騎士団がダンジョンを攻略するのでしょう。彼らは亜人狩りを目的とした組織のはずですが」


「場所の問題なんだと思う」


「場所、ですか」


「アズラの言うことが本当なら、ダンジョンがあるのはドワーフたちが掘った鉱山の奥だ。そこにギルドや軍を入れると騎士団が持ってる利権を削り取られることになる」


「だから内々で処理し、ダンジョンも含めて手中に収めようと?」


「たぶんね」


 そんな話をしていたら、アンジェリーナたちがパンの包みを抱えて戻ってきた。何事もなく買えたようでほっとする。


「おば……おねーちゃんが日持ちのするやつ包んでくれたです」


「助かるな。いくつスキルがあっても飯がないんじゃダンジョン攻略はできない」


「おコメも欲しいですが売ってないので諦めます。では早いとこ帰るです」


「……うん?」


 用事も済んだし帰ろうというところになって、不意に肩を叩かれた。振り向くと先ほどのパン屋の女性が物陰から目配せしている。


「悪いみんな、先に帰っていてくれ。好物のパンがあったから買ってくる」


 コエさんは残っているが問題はないと見て女性に話しかける。引き止めて悪いねと型通りの謝罪をした後、パン屋は声をひそめて言った。


「あんた、もうここに来ちゃいけないよ」


「……コエさん、パンを選ぶフリをして時間をもたせて」


「はい、マスター」


 剣呑。穏やかでない様子だが心当たりは当然にある。市井むけの手配書でも回されていたか。


「それはないよ。でもあそことあそこ、見えるかい」


「【心眼駆動】【斥候の直感】、起動」


 視界の外へ目をやると、ドワーフ族――ヒゲを剃り、都会風の服を着たほうだ――が二人。一人はベンチで読書に耽り、もう一人は荷運びの仕事をしている。


 しかし、目はちらちらとこちらを観察していた。


「ここ最近、ああいうドワーフが街に出てきててね。おとなしいし紳士的なのはいいんだけど、何考えてるのか分からないのよ」


「ああ、俺も何人か話した」


「あの二人は、あんたたちが屋敷に入ってから急に見かけるようになったんだ。あんたたちをずっと見てる。気をつけた方がいいよ」


「分かった、もう来ない。貴方も気をつけてくれ」


「事情は分からないけどね、この街で妙なことが起きてる気がして仕方ないよ。あんたも気をつけなさい」


「……助けてくれるのは、アンジェリーナのため?」


「ま、腐れ縁みたいなものさね。あの子もなかなか難儀な家の生まれだから、一人でご飯食べてることが多くてね。気まぐれに声をかけたのが運の尽きさ」


 くれぐれも頼むよと念を押され、餞別にやたら硬いパンを渡されて店を後にした。年単位で日持ちするこの地域の保存食だという。


「マスター、ご用は?」


「ああ、済んだよ。急ごう」


 これ以上ここにいては、アンジェリーナの周囲にも迷惑がかかる。それがはっきりしただけでも収穫だった。もとより、キルミージが攻略に乗り出せば多くのドワーフが捨て駒にされるのだ。ゆっくり構えるつもりなどない、


「攻略、急がないとな」




    ◆◆◆




 ――翌日。


「ここより坑道にございます」


 アズラの体力回復を待つつもりでいた地下入りを早め、俺たちはアズラの案内で坑道の入り口にいた。正規の入り口は当然に騎士団の監視があるため使えない。曰く、これは人間と暮らし始める前、鉱山を最初に開いたころの出入り口だという。


「ここはドワーフしか知りませんので」


 キルミージも、よもや全部の出入り口を聞くことはしていまい。そう判断して全員で中に踏み込む。


 寒風の吹く地上から一転して気温は高い。鉄鉱山だというトンネルをアズラの先導で進みながら、シズクは周囲への警戒を続けている。


「曖昧な言い方をしても得はない。ボクはアズラの言葉を疑っている」


「『紅奢ぐしゃの黄金郷』はあります……」


「信頼はするけど信用はできないんだ」


 彼女がまだキルミージの暗示の中にいることは確実だ。

 自覚なく虚言を口にしている可能性も、罠へ誘導されている可能性もある。今のアズラは敵か味方かに関わらず危険を孕んだ存在なのだ。


 彼女自身も理解はしているのだろう、消沈したアズラの頭をアンジェリーナが撫でている。


「確かめるまで断言はできないですが、おそらくダンジョンは本当です。それも特大のやつです」

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