86.猫

「かつて森でともに暮らした狼人族。健在なれば助力を願えと、老人たちに言われて這い出した次第。さすれば我ら二万三千人、マージ様の膝下につきまして」


「それを俺たちに伝えるために、一人で狼人族の里を目指していたと?」


「左様でして。さまよい歩くうちに囚われの身に……。持ち物で、狼人ウェアウルフの里を目指していたことは知られてしまいました」


「ダンジョンのことは?」


「今はまだ、ドワーフしか『紅奢ぐしゃの黄金郷』を知りません。人間たちに知られれば、きっとドワーフたちは、ええ、尖兵にされます」


「たしかにドワーフは屈強で地下にも強い。ダンジョンになだれ込ませるにはうってつけだ」


 ある地域では奴隷をダンジョンに投げ込んで観察し、その死に方を見て対策を立てるようなことをしていたという。


 効率だけを考えればなるほど、実に合理的なやり方だ。ダンジョンは何が起こるか分からないからこそ危険なのであり、実際に人間を放り込んでみられるならそれに勝る実験はないのだから。


「そうしてドワーフは死にまして、滅びます。それを防がねばと、いかな尋問拷問にも口を割らず今日まで……」


 違和感があった。アズラの話の内容にではない。その姿勢にだ。

 シズクが言っていたドワーフの粗暴さとの食い違いもそうだし、地下で出会ったチュナルたちもそうだった。何かがおかしい。


「だからなんで戦わないんだ! 地下ならむしろドワーフの独壇場だろう! 鉱山とダンジョンを要塞代わりにして二万三千人で抵抗すれば!」


「そう申されましても、ドワーフは書を愛する文明の徒でして」


「なん、なんだよ……。まるで牙の抜かれた獣じゃないか……!」


「皆で焼き肉を食べることだけが望みです」


 まるで手応えのない受け答えにシズクが戸惑っている。彼女の知るドワーフ族との差はあまりにも大きい。人間に支配され、抵抗する意思すら失ったように見えるのだから無理もあるまい。


「アズラ、ちょっとこっちを向くんだ」


 だが。

 俺には別の違和感があった。小首をかしげるアズラの肩に手を添え、こちらを向かせ言葉をかける。目をしっかりと見て、噛んで含めるように。


「はれ、これほど黒い瞳はお珍しく」


「よく聞け、アズラ。よく、聞くんだ」


「はい、聞きます」


「『宣言する』」


 ビクリ、と。アズラの身体が小さく震えた。


 反応ありだ。これはキルミージが暗示をかけた相手に、別の人間が追加で命令を出す時の符丁。よもやと思ったが、まさか。


「ドワーフのアズラは今から猫になる。自由気ままでわがまま勝手、日がな一日遊んで食べて寝ているだけの飼い猫だ」


「ま、マージ? 何言って……」


「にゃあ」


 シズクが何か言う前に、アズラが高い声で鳴いた。


「にゃあん。にゃおにゃお」


「アズラ? あ、ちょっ、尻尾にじゃれるな! しっしっ!」


「ごろごろごろごろ」


 猫じゃらしか何かと思ったのだろうか、シズクの尻尾にまとわりつくアズラ。かと思えば急に飽きたように壁際へ行って石壁をひっかき始める。


 アズラも見かけは小柄な少女。栗色のくせ毛が映える、異国の人形のように可憐な風貌だ。それがにゃあにゃあと鳴いてまわる様は、これが宴会の席ならば可愛い芸と見えなくもなかろうが。


「【技巧貸与スキル・レンダー】さん、これって演技……じゃないですよね」


「ああ」


 何の前振りもなく猫だと言われて、ここまでなりきれる者もそういまい。アズラが付き合う理由だってない。


 理由はひとつだ。


「『解き放たれよ、其は汝が見た夢幻に過ぎぬ』」


「にゃあんにゃあん……はれ? 皆様、うちがどうかしまして?」


 不意に正気に戻り、何も覚えていない様子のアズラ。


 コエさんたち三人も言葉を失っている。だが俺は知っている。事態は思ったよりも悪い。


「……アズラ、君の話は何一つ信用できなくなった」


「マージ様、それは一体」


 もっと早く気がつくべきだった。暗示というのは普通、かけられた側は気づかないものだ。右腕が勝手に動くだとかは例外。派手な見世物パフォーマンスにすぎない。


 アンジェリーナがベルマンを偽薬で治した時だって、ベルマンは暗示にかけられている自覚なんてなかったのだから。


「君はまだ、キルミージの暗示の中にいる」


「……!!」


「キルミージの暗示はその場で何かさせるだけじゃないんだ。いつでも自分の言うことを聞くようにする、そういう暗示も使えるのは地下で見た。しかもアズラは自分が何をしたかは覚えていられない」


「それって、どうなる?」


「アズラちゃんが騎士団に隠し事できてなかったってことですね。俗にいうところの筒抜けです。ダダ漏れともいいます」


 少なくともキルミージはダンジョン『紅奢ぐしゃの黄金郷』を知っていると思った方がいい。いや、そもそもそんなダンジョンが存在しているのかすら怪しい。


「『紅奢の黄金郷』はありまする」


「行けば分かることだ」


「だね」


「です」


 狼の隠れ里の『蒼のさいはて』だって人間に知られることなく存在し続けた秘境だった。そういう場所がまだ他にあってもおかしくない。


 ならば実際に行って見てくればいいことだ。


「しかしマスター、敵もダンジョンを知ったのなら待ち構えているのではありませんか? ドワーフの皆様も多数人質にとられるやもしれません」


「その可能性はある。ただ、全力でということはないはずだよ」


「と、いいますと?」


「ソドムとゴモラの話はさっきしたろう?」


 そもそも俺がドワーフに違和感を抱いたのはアズラが最初じゃない。地下でチュナルという青年ドワーフたちと戦った時だ。


 彼らは暗示が解けると、自分たちを操っていたソドムとゴモラに反撃したが……。


「殺していなかった。アズラを助けた後、俺はチュナルの右腕を治療するために様子を見に戻ったんだ。するとドワーフたちはソドムとゴモラを痛めつけはしても殺さず、そのまま地下に逃げた」


 それが違和感の始まりだった。今にして思えば、彼らも殺すことができないように暗示をかけられていたのかもしれない。


「じゃあ、ソドムは【技巧貸与スキル・レンダー】さんがどうにかしたです?」


「ああ、といっても殺したわけじゃない。ちょっとした置き土産・・・・をしてきたんだ」


「お土産は大事です。して、どんな」


「【熾天使の恩恵】はゼロから人間を一人作れる。なら、ボロボロの人間を治療がてら『加工』することも、あるいはできるんじゃないかと思ってね」


 騎士団は正義を名乗る組織だ。ならば敵対する俺たちは悪党で間違いあるまい。


「時間は稼げるだろう。今のうちにこちらも準備を進めるが……。ひとまず、今日はみんなも疲れたな。アンジェリーナの厚意にあずかって休むとしよう」


「はい、マスター」


「【技巧貸与スキル・レンダー】さんは当主の部屋を使ってください。どうせ誰もいないので!」


 悪党ならば悪党らしく、道を外れたやり方をとらせてもらう。誰にともなくそう呟き、俺はアンジェリーナに案内を頼んだ。




    ◆◆◆




――騎士団屯所。


「マージ=シウが二人いる、と?」


「は、はい。屋敷を襲撃した者たちが、マージらしき男を見たと報告を」


 部下の報告に、キルミージは思案を巡らす。


「マージ=シウは、ドワーフ忠国隊だった者たちと地下へ逃れたはずでは……?」

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