68.狼たちの初穂

 領主軍の侵攻と騎士団の事件より、ひと月と半分ほどが経った。


「ま、まだ駄目、かな? ボクもう、限界で……」


「まだお預けだ」


 ベルマンたちを改めて住人として加え、だいぶにぎやかになったこの頃。里はひとつの節目を迎えようとしている。


「ジェリ、そろそろ我慢できないです……」


「まだ駄目だ」


 アンジェリーナもすっかり里の一員だ。『里の正確な位置を知ってしまって帰してもらえない』で学術院には通しているらしい。もちろんそんな強要はしていないが、彼女の知識とゴーレムには今も助けられている。


「マスター、身体が熱くなる未知の感覚が……」


「まだ早い」


 コエさんもここでの暮らしにだいぶ馴染んできた。

 住民にスキルを貸しては回収する作業も彼女に任せている。数は多いが「ナイフで柑橘類を食べるよりよほど簡単です」と、目に汁を飛び込ませて泣きながら教えてくれた。

 おかげでスキルポイント総量も着実に増えている。


 内政的な面ではアサギが相変わらず忙しそうに駆け回る日々だ。


「マ、マージ殿、その、そろそろお許しをくださらぬか……?」


「よし」


 そして今日。俺は里中の民が待ち望んだ命を発した。


「皆の衆、収穫だ!!」


 ワッ、と歓声が上がった。


 稲の栽培を試みて四ヶ月弱。晴天に恵まれたこの日、全ての狼人、人間、ゴーレムが一枚の水田を囲んでいた。

 七枚の水田のうち出穂に至ったのは二枚。うち一枚は出た穂をほとんど虫に食われてしまったが、最後の一枚には垂れ下がるほどの穂が風に揺られて刈り取りを待っている。水田を囲む朱い花たちとの対比が美しい。


黄金原コガネバラ、と呼ぶそうだ。黄金色に染まった草原という意味らしい」


「【装纏牙狼ソウテンガロウ】と同じ色だね」


「エンデミックスキルとの相性もいいかもしれないな」


 この地が実りを取り戻し豊かになれば、土地のマナが充実しエンデミックスキルが強化されるのではないか。

 その仮説を証明するように、出穂以降、シズクのスキルの出力は少しずつ上昇している。


「……行くか」


 全員が揃ったところで俺は黄金色の田に足を踏み入れた。すでに水は抜かれており、よく乾燥した稲は香ばしい香りを放っている。


「見よ、この里の初穂だ」


 手にした鎌を振るい、最初の一束を刈り取った。それを高く掲げて成功を宣言すると里の民が喝采でもって応えてくれた。


 俺の後にコエさん、アサギ、シズクと続き、それぞれ刈り取った束を感慨深げに見つめている。


「里の者全てに刈り取りの権利を与える。一本の鎌を順に使い、一束ずつ刈り取ってゆけ」


 皆が子供のように今か今かと順番を待つ。その様子に、やっと少しだけ肩の力が抜けた。


「坂を登りきりましたね、マスター」


「ああ、まだ油断はできないけどな」


 種籾や農具の調達に尽力したシズクも、自分の里の生まれ変わった姿をじっと見つめている。


「マージ」


「どうした、シズク」


「正直に言うと、胸の奥で思ってたんだ。狼人ウェアウルフが狩りでなく土から糧を得るなんて、それでいいのかって」


「なら、今はどうだ」


「生きることそのものが戦いなんだって分かってきた。命をかけた場で意味もなく手段を選り好みするのは、子供の駄々と変わらな……っとと?」


 そんな話をしていたら、近くにいたゴーレムが俺たちを担ぎ上げた。

 高い場所から見下ろした里には木と石の家屋が並び、その間を縫うように清涼な水路が走る。初めて飛び込んだ時の破壊され炎上する姿とは見違えるほどだった。


「偉い人はおめでたい席で辛気臭い話を始めるからだめです」


「全くその通りだな、アンジェリーナ。ところで君はこの結果をどう見る?」


「六枚の水田で失敗したことでかえって知見を得たです。来年は五割は成功させてみせます。その次は八割です」


「よし。引き続き頼む」


 少なくとも再来年までは居座るつもりらしい。


「で、そんなことよりです。イネってどう食べるです?」


「アンジェリーナ殿。熟した実は『コメ』と呼ぶのだ」


 文献を読み漁っていたアサギが俺の代わりに答えてくれた。


「ほー、コメ。で、どう食べるです?」


「小麦と同じことはおおよそできるとのこと。粉に挽いてパンにする、練り固めて煮るなど。中でも粒のまま炊くのが最も旨いとか」


「おー、まさに主食です」


 里の姿に目を細めるアサギの回答にアンジェリーナがポンと手を叩いた。

 主食の条件は様々だろうが、多彩な食べ方ができるというのは意外に侮れない点だろう。麦だってかゆやパン、麺、パイなど多様な調理法がある。


「ただ炊くだけで毎日食べても飽きない、っていうのならいいんだがな」


「いくらなんでもそこまで都合のいい話はないです」


「そんな穀物があるなら是非お目にかかってみたいですな」


 それもそうだとひとしきり笑い、俺は次の命令を発した。


「刈り取ったものをよく乾燥せよ。あとは臼を使って中身を取り出せば完成だ」





 そして、また半月後。


 試行錯誤しながらの一年目の稲作がついにその完成を見た。量も質も決して上等とはいえない出来であったが、それでも皆の目には一粒一粒が水晶のごとく輝いて見えている。

 もったいぶる必要もない。俺はすぐさま指示を飛ばす。


「早速炊いて皆で試食だ! ありったけの鍋を持ってこい!」


 人の波が動き出し、一斉に皆の声が飛び交う。


「必要かと思いまして、ワインを用意しておきました。コメと合うかは分かりませんが……」


「流石だコエさん。コメから酒が作れるというし量が穫れるようになったら試してみよう」


「マージ、肉と山菜があったからこれも煮ていい!?」


「いいぞ、存分にやれ」


「ジェリが水路で育てたお魚も塩かけて焼くです! 一番大きいのは王様のですが二番はジェリのです!」


「アンジェリーナ殿、このめでたい日に塩だけで焼いた魚など……」


「ジェリの計算ではこれが最適解です! 一口だけあげますから『もっとください』って滂沱の涙を流すといいです!」


 この里の住人はなんというか、食のこととなると人が変わる気がするなどと思いつつ。

 白く炊きあがったコメはツヤツヤと宝石のようで。湯気の立つそれを皆で頬張った時の感動は、きっと永く語り継がれることだろう。


「あの、ジェリ殿……」


「なんにも聞こえないです」


 なお、コメに合わせる食材はアンジェリーナの塩焼き魚が圧倒的な支持を集めた。疑いの目を向けた者たちがアンジェリーナにひれ伏して分けてもらう羽目になったことも語り草である。


「ところで、マージ殿」


「どうしたアサギ」


 すっかり日も落ちて宴もたけなわという頃、アサギが俺に耳打ちしてきた。


「このような日ではありますが、当日のうちにお耳に入れておきたく」


「……例の件で進展があったか」


 領主軍と衝突した日、白鳳騎士団の隊長が去り際に言っていたことが俺は気にかかっていた。『捕虜から情報を得て狼人族の根城を探していた』と。アサギに調べさせていたのだが、折しも何かの結論が出たらしい。


「情報統制が厳しく難航したのですが、どうやら確からしいことが一つ」


「言ってみろ」


「騎士団に囚われているのは、かつて森でともに暮らしたドワーフ族の娘であるとのこと」


 思わず腰の宝刀に目が行った。この名刀はドワーフの始祖が打ったものと聞いている。その末裔が騎士団に囚われている?


「どうやら、まだまだ里の外にも仕事がありそうだな……」


 星のまたたく空を見上げながら、俺はひとりごちた。


「それと、ベルマン隊よりもう一点。アルトラたちのことですが……」


 ついでのように、アルトラたちの現状についてもアサギは聞かせてくれた――。

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