67.決裂

 俺はコエさんから稲穂を受け取ると、それをアビーク公爵へと差し出した。


「この地はかつて豊かな森だったと聞く。しかし全てが奪われ、今や痩せた土地が残るのみとなってしまった。そんな故郷に実りを取り返すために狼人族は足掻いている」


 アビーク公は稲をじっと見つめながら、俺の話に耳を傾ける。


「俺を王に選んだのはそういう民だ。泥水を啜ってでもこの地で生きると決めた者たちだ。俺は、そんな奪われた者たちの王になると決めている」


「奪われた者たちの王、か。貴殿の考えは分かった。しかし悔いを残さぬよう、一度だけ訊こう」


「何か」


「私の部下となれ。爵位を与え、ゆくゆくは領土の半分を分け与えてもよい」


 冗談や社交辞令ではないことは公爵の目で分かった。後ろでアルトラが「貴族に……!?」と呟いたが、俺にとっては今や選ぶまでもないこと。


「お断りする。貴族となれば亜人を守れないことは、貴方自身が一番よく分かっているはず」


「……反論の余地もない。まったく、わずかばかり話したのみだというのに、一〇年来の知己と二〇年来の宿敵を同時に得た気分だ」


「俺のような冒険者崩れには身に余る話なのは理解している。非礼は詫びるが、それは受けられない」


 アビーク公爵は目を伏せ、深く息を吐く。

 そうして再び上げた顔は、すでに国家と領土を守る統治者の顔だった。


「奪われた者たちの王よ。しかし民を治めるにはまだ一つ足りぬ」


「何が足りない?」


「これだ」


 グシャ、と。


 アビーク公は青い稲穂をその手で握り潰した。俺たちが目を奪われた一瞬、公は腰の剣を抜き放つ。目にも留まらぬ白刃はシズクの耳に切り込みを入れて止まった。


「……アビーク公は争いを好まない、か。争いができないとは確かに聞いていないな」


 速い。スキルなしであれば現役冒険者のアルトラより剣速は上だ。

 アビーク公は剣を収めることもせず全軍に通る声で宣言した。


「亜人とその首魁よ、努々ユメユメ忘れるでない! 我らに一度でも牙を剥くことあらば、アビーク領が誇る精兵が貴様らを滅ぼすであろう!」


『敵』だ。


 アビーク公爵がそう言ったのが分かった。綺麗事だけでは民はまとまらない。仇敵こそが困難に立ち向かえるだけの団結を生む。

 自分たちは敵同士だ、憎み合ってこそ互いを守れる、と。


「ならば我らの返答はこれだ。――【神刃/三明ノ剣】、起動」


 アビーク公の剣を一閃にて叩き折った。そのまま踵を返し、コエさんとシズクを伴って氷の道を歩み出す。


「お、オレは……?」


「言ったろう。まだやってもらうことがあると」


 この戦の責任をとらせるために連れてきたアルトラはここに置いてゆく。公爵側で相応の裁きを受けるだろう。

 去り際、背後から公爵の声がした。


「……私を無能と笑え。貴殿が三ヶ月で成したことを、私は二十年かけて果たせなかった」


「誰かを無能と笑い、自分が偉くなったと錯覚する。そうして堕落した結果がそこにいる男だ、公よ」


 我々は何を間違えたのだろうか、と。

 それが最後に聞こえた言葉だった。





    ◆◆◆





 こうして狼の隠れ里は領内の知るところとなった。今も正確な位置は秘匿され、キヌイを通じて物資や情報のやり取りが続いている。

 そうして一ヶ月ほど経った頃、里に珍客がやってきた。否、帰ってきたと言うべきか。


「あの~……」


「……ベルマン?」


 アビーク公爵の私兵であり、捕虜として一時は里にいたベルマン隊の面々である。

 三人は約定通りにアビーク公へと返還済みだ。死亡届も取り下げられて人間の世界へと帰ったはずの三人が、なぜかまた里の入り口に立っていた。


「吾輩たちもここで暮らさせてもらうこととか、できたりせぬかなーなどと……」


 腰の低いやら高いやらの態度に、里人に呼ばれて応対に出たアサギも戸惑っている。


「しかしベルマン、いやベルマン殿。諸君らには帰る家も職場もあるはずでは」


「……か」


「か?」


「帰れるわけがないだろう! シズク嬢を魔物に食わせようとした外道として一躍注目の的だ!」


「……それはそうであろうな」


「抗議の声はまだいいのだ。過激な亜人撲滅派から、よくやった、もっとやれという投書が毎日毎日山のように……。吾輩は知らぬ間にとんでもない思想に染まりかけていたのだと痛感した……」


 曰く。シズクの里外での人気はそれなりに高いらしい。キヌイでの活躍と砲弾を噛み砕いた逸話が広まっているのだとか。

 そんなシズクを虫の餌にしようとしたと言われる肩身の狭さは想像に難くない。父であるアサギも渋い顔をしている。


「うーむ、そう申されてもだな」


「いや、吾輩とて分かっている。全ては自業自得だ。生かしてもらっているだけでありがたい。だがここ以外に仕事もないのだ! 頼む!」


「いいじゃないか。『蒼のさいはて』の採掘員が足りなかったところだ」


「マージ殿?」


 里の面々には返答しづらいと見て、俺が助け舟を出した。


「だが当然、馬車馬のごとく働いてもらうぞ。いいな」


「む、無論だとも! メロの遺志もまだ継ぎきれておらぬしな!」


 そうして加わったベルマン隊。彼らは里外の詳しい情勢を持ち込んでくれた。


 アビーク公爵は親亜人派として国から警戒されていたが、今回の件で亜人への対立を示したことで干渉を受けづらくなったという。

 途中で撤退したことを白鳳騎士団が責め立てたところ、当の騎士団が手痛い損害を出していたことで戦力の大きさが証明されてかえって公爵の後押しになったとか。


「ようやく一段落、といったところですな」


 話を聞き終えたアサギは壁に掲げられた額縁を見上げ、神妙な顔で呟く。

 そこにはアビーク公爵が握り潰した稲が旗印のように収められていた。


「敵こそが最大の理解者とは、因果なものです」


「それで里が守れるなら構わないさ」


 ベルマンによると公爵邸にもへし折られた家宝――あの剣は先祖伝来の品だったらしい――が飾られているという。いつか稲と剣が交わる日が来るのかは俺にもまだ分からない。


 そうして、また半月ほどが過ぎた。

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