66.息吹

「反乱は無かった。にもかかわらず我が民を傷つけ、さらにそれを積み上げようというのなら」


 アビーク公は、両手を大きく広げて全軍を指し示した。


「アビーク領の精兵、七〇〇人が相手となろうぞ」


「ふ、ふん、大言壮語を」


 騎士団の名が持つ力は『正義』。敵に回せばただでは済まないと誰もが知っている。兵士が自分たちと刃を交えるはずがないという驕りがあの余裕の根源だ。

 ならばと俺は二人の会話に割り込む。


「騎士団の長よ。この娘シズクに見覚えはあるな? あるだろうな、つい先ほどのことだ」


「……貴様は! い、いや、それがどうした」


「シズク、発言を許す。彼がキヌイで何をしたか教えてくれ」


 シズクが俺の顔を見上げる。その瞳に炎が宿った。


「その男はキヌイの民を『正常化』せよと命じた。キヌイの宝石商リノノと穀物商ゲランがそれを聞き、実際に刃を向けられた!」


『正常化』という単語を知る兵士ばかりではない。だが、その意味は即座に共有されてゆく。


「皆殺し……?」


「そうだ、『正常化』ってのは住民を丸ごと殺すことだ」


「こ、子供や老人も区別なくか!?」


「丸ごとってのはそういうことだろ?」


 恐怖、驚嘆、そして敵意。

 七〇〇人の意思が渦巻き、融け合い、ひとつの槍となって騎士団二十六騎へと向けられた。


「せ、正常化とは! 更生を望めぬ者が不幸に陥ることのなきよう計らう有情の措置で……!」


 騎士の言葉を遮るように、タン、タン、と足踏みする音がした。兵士の誰かが足で地面を踏み鳴らしている。


 タン、タン、タンともう一人が加わった。

 ガン、ガン、ガンと、まだ槍を手にしていた一〇人が石突で大地を叩きだした。

 五〇人、一〇〇人、二〇〇人。

 数が増えるにつれ、その音もドン、ドンと重低音に変わってゆく。


「う……!」


 七〇〇人が大地を踏み鳴らす音が鳴り渡る。それは守るべき民を脅かす者への抗議。立ち去れ、さもなくば踏み潰す、そんな騎士団への声なき最後通牒。


「そ、そうはいくものか! 我らは捕虜より情報を得て以来、狼人の根城を探し続けていたのだ! それが実ろうかという今になってみすみす……!」


「ここは引くのだ、白鳳の。こうなった兵士は私とて抑えきれる保証はないぞ」


「……!!」


 隊長は今一度周囲を見渡し、唇を噛んだ。


「……退却、退却だ。引け!」


「捕虜についてはキヌイから交換条件を送る。悪いようにはしないが、返答次第と心得ろ」


「ぐ、ぐ……! 承知した!」


 一目散に駆けてゆく背中に兵士たちが歓声を上げる。

 一人として殺さず、一人として死なずに勝った。彼らは家と家族と領民を守ることが務めの雇われ兵士。血で血を洗う戦場を望む者などそういないのだろう。


 歓声に紛れるようにアビーク公爵は俺に語りかける。


「マージ=シウよ。礼を言う」


「こちらこそ、理解に感謝する」


「貴殿は王と言ったな。狼人族を率いる王と」


「そうだ。この宝刀と首飾りがその証。借りものではあるがな」


「そうか。貴殿ならば聡明な王であろうが……」


 アビーク公は俺の目をじっと見つめる。領主の家に生まれ、この地を二〇年に渡って治めた男の目が俺を見つめている。


「人を統べ、地を治めることは口で言うほど簡単ではない。民の意思は確かに貴殿とともにあるのか」


「ある。俺は全ての民から王位を授かった」


「力はあるのか。民を守る力は」


「ある。俺一人だけじゃない。狼人族の若者たちは屈強な戦士に育とうとしている」


 今回、キヌイで本物の戦いも経験した。きっと先祖たちに劣らぬ戦士へと成長してゆくだろう。


「では、最も重要な問いだ。民に食わせるものはあるのか。人民を飢えさせる為政者を、天と地と人が許すことはない」


「…………。」


 ある。そう言おうとして声が詰まった。


 病に冒され、炎を上げて灰へ変わってゆく水田。出陣の直前に目にした光景が脳裏をよぎる。

 もしもこのまま、一本の穂も出ることなく終わったら。里に待つのはダンジョンとともに枯れてゆく未来しかない。

 だとしても、あると言うのが王の役目だ。


「あ……」


 それを咎めるように、俺の背後から声がした。




「マスター!」




「なんで、ここに」


 ゴーレムに担がれた、傷だらけのコエさんが氷上にいた。


「……アビーク公、すまないが少しだけ時間をいただけるか」


「なんと美しい……! いや、構わぬ。あまり猶予はないが」


「恩に着る」


 了承を得てアビーク公に背を向ける。コエさんの白い足は泥で汚れていた。


「コエさんどうして、いや、どうやってここに?」


「ベルマンさんたちに手伝っていただいて山を越えました。途中でアンジェリーナさんにも出会って、このように」


 ベルマン隊は独力で山を越えて里を発見した山歩きフィールドワークの達人だ。彼らならばコエさんを連れ出すこともできるだろう。


「でも、なぜ」


「……なぜという質問に、実は私は答えを持たないのです。マスターが出陣してすぐ、里の方がこれを見つけました」


 コエさんの手には布に包まれた何かが大事そうに抱えられている。


「これがあっても戦況は何も変わらないでしょう。しかしアサギ様は言うのです。『上に立つ者は常に迷いの中にある。振り払って差し上げなさい』と。私もどうしてか、すぐにお見せしなくてはと思ってここまで参りました」


 コエさんが布を開く。


「マスター、ご覧ください」


「……ああ、これは確かに何も変わらない。だが俺に必要だったものだ」


 中には一株の青い稲が包まれていた。その葉と葉の間からは、小さな小さな、しかし確かに。


「穂が、実ったのです」

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