65.意思と立場
狼人族は魔物よりも危険であると。シズクを魔物に食わせてよいと、そう答えるのか。
それとも部下の過失を認め、それを安全に保護した相手を『害獣』として駆除するのか。
「アビーク公よ、返答を」
どちらと回答しても、兵士の士気か大義名分のどちらかは犠牲となる。『思慮深く、慈悲深く、そして寛容であること』を掲げる公爵にとってはどちらも欠かせないはずだ。
ふ、と。
返答を迫られているはずのアビーク公爵の身体から、どこか力が抜けたように見えた。
「返答の前に、ひとつ昔話をさせていただきたい」
「……昔話?」
「我がアビーク家の始祖は、王族であった」
「聞き及んでいる。時の第二王子が跡目争いを嫌って分家したと」
「それは半分のみ正しい。真の理由は亜人との戦争を巡る対立だったのだ」
アビーク公爵家は、戦争が終わったばかりで荒れ地だったこの一帯を再興すべく王族を離れた。そうコエさんに説明したことがあった。
仮にも第二王子ともあろう人物が、なぜそんな恵まれない土地に向かったのかは疑問だった。そういう事情ならば辻褄は合う。
「亜人をヒトとするか、しないか。ごく単純に言えばそういう対立であった」
「アビーク公爵家の始祖は前者だったと?」
「然り。そして敗れ、亜人が住んだこの地へと移り住んだが……。すでに亜人はほとんど残っていなかった」
亜人はおらず、国の方針は亜人を獣として扱う。領主といえど保護のしようもなかっただろう。
「私は三代目として、叶うなら貴殿のような人材ともに初代の意思を……」
「待たれよ」
俺は、公爵の言葉を遮った。
「初代の話はよく分かった。だが三代目である貴方は、あくまで国に忠義を尽くす者のはず」
「何を……?」
他人の言葉を遮るものではないが、これは緊急措置だ。
俺の感知スキルがここに来てはならない人物を捉えた。
「何をされているアビーク公! なぜ敵と悠長に会話などを!?」
「白鳳、騎士団か」
騎士団。亜人狩りを専門とする国家直属の武力組織。
白銀の鎧を血と泥で汚し、一戦を交えたことをありありと伺わせる騎兵隊が兵士を押しのけるようにこちらへ踏み込んでくるところだった。
「如何したアビーク公! 今すぐにその腰の剣を抜き、目の前の害獣を切り捨てなされ! それとも国是に歯向かうか!?」
「……騎士団といえど、ここは我が領地! 干渉は謹んでいただこう白鳳の!」
「干渉などめっそうもない。ただ、そうすることは国に従うことで、しないことは国に逆らうこと。私はそれを目で見て王家へ報告するのみ!」
隊長らしき男の言葉にアビーク公は拳を握る。こと亜人について騎士団は『正義』だ。正義とは国家であり、大貴族といえどそれに楯突くことは容易くない。
「――【空間跳躍】、起動」
音を空気ごと飛ばし、秘密の会話をするための技術。以前、メロと話すために使った技を俺は公爵と繋いだ。
「公が出撃せざるを得なかった立場も、私は理解するつもりだ」
「……不思議な術を使う。理解と申すか」
交渉は脅迫ではない。相手にも相手の立場があり、それを考慮しなくては何も生まれない。
「戦が無ければ困る者もいる。それが政治だということくらいは分かっている」
軍人に限った話ではない。「亜人は我らに不利益しかもたらさぬ。賠償と死を!」というような強硬な主張をする派閥にとっても、支持を保つためにはガス抜きが必要となる。
アビーク公爵は無為な争いを好まない穏健派だ。故にこの地には長く戦が無かった。
そこに降って湧いたS級冒険者からの告発。亜人の反乱、哀れにも侵蝕された宿場町。一部の人間にとっては喉から手が出るほど欲しかった機会だろう。愚かと切って捨てるのは容易だが、そういった人間たちを無視しては統治が進まないのもまた事実。
「アビーク公は公爵家と領民を守れ。私も、いや、俺もそうする」
数瞬の思案。公爵は小さく頷き、再び声を張り上げた。
「騎士団よ、我らはこれより一度帰投する! 然るべき検討と準備の後に再度、亜人どもを撃滅するものとする!」
「な、何を?」
「全てはそこにいる、アルトラなる男が有りもせぬ反乱を煽り立てたために起きたことと判明した。さらに敵戦力は強大。敵のゴーレムを撃破するなど損害は与え、当方の被害は軽微だが……殲滅することは叶わぬ」
毅然とした態度で述べる。大義名分の喪失、そして戦力の不足。撤退の理由としては鉄板ともいえる内容だった。
「なんと弱腰な! 亜人は今この時も領地を蝕んでいるのですぞ!?」
「ならば逆に聞こう白鳳の。貴殿らは三十六騎からなるはずだが、なぜそのように騎数が少ない?」
「そ、それは……」
「よもや、返り討ちにあったなどとは言うまいな?」
アビーク公の言葉に、隊長は言葉を詰まらせる。
「さらに聞こう白鳳の。その鎧の返り血は、誠に獣のものか?」
「は、反乱に与する者の血ですとも!」
俺とシズクは、そして彼自身は知っている。その血がゲランの、民のものであることを。
「反乱は無かったのだ。にもかかわらず我が民を傷つけ、さらにそれを積み上げようというのなら」
アビーク公は、両手を大きく広げて全軍を指し示した。
「アビーク領の精兵、七〇〇人が相手となろうぞ」
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