64.氷上の交渉

 氷でかたどるは蛇龍の背を模した一本の橋。俺はその先にいる人物へと目を向けた。この状況にあってなお堂々と動じない、この一帯を治める大領主。


「アビーク公爵よ。不躾ではあるが、『話し合い』の時間をいただけるか」


 最後方を固めていた近衛兵が命を受けたか脇へと下がった。護られていたのは全身鎧に身を包んだ壮年の男。その姿に、背後のアルトラが怯えたように呟いた。


「アビーク公爵……」


 出陣しているであろうことは旗印を聞いた時から分かっていたが、肖像画で見た姿よりも幾分か年老いているように見える。

 公は立ち上がり、その歳に似合わぬ通る声で名乗りを上げた。


「私がアティラン=アビークが長子にして現当主、イーシャバヌ=アビークである。貴殿の名を聞こう」


「マージ=シウだ。もはや隠し立てするまでもなく、狼人族の王を務めている」


 俺の返答に全軍がどよめいた。「王だと」「領内で王を名乗るなど」「同格以上として渡り合うつもりか」などとささやく声が聞こえてくる中をシズクを伴って進む。やや遅れて両手を拘束されたアルトラが後に続いた。


 やがて眼前までやってきて、アビーク公爵は俺よりも先にシズクへと目を向けた。


「……狼人族、それもエンデミックスキルを有した者がまだ残っていようとは」


 シズクは何も言わない。長と長の会談で許しも得ずに口を開くほど子供ではない、と目が訴えている。


「彼女はかつて戦でこの地を追われた狼人族の末裔だ。ある場所に隠れ潜み、三代に渡って血を守ってきた里長の娘にあたる」


「ならばかの狼王の血筋か。その勇名は我が家にも語り継がれておる。して……その王の座を再び名乗るからには、反乱の意図ありと取ってよいのだな」


 初手にして核心を突く問いに空気が張り詰める。これが反乱であるならば、アビーク公にはそれを鎮圧する権利と義務がある。いずれかが完全なる勝利を治めるまでは決して終わらない、そんな戦争が始まるだろう。


 この人物から狼の隠れ里の存続を勝ち取ること。それが俺の為すべき仕事だ。こうして対話の場を整えることこそ第一の関門だったが、それもあくまで出発点にすぎない。


 シズクがちらと俺の目を見て小さく頷く。俺はそれにゆっくりと頷き返して、アビーク公へ返答した。


「否。これは反乱ではない。決して反乱ではあり得ない」


「決して、と申すか。それは如何に」


獣畜生に反乱は起・・・・・・・・こせないからだ・・・・・・・


 シズクの身体がビクリと震えた。人間ではない、そう言われて搾取された記憶が彼女にはある。それでもまっすぐと前を見据えるシズクの肩に手を添え、俺は言葉を継ぐ。


「この国には彼女たち亜人を人間として扱う法がない。言葉を解し文明を持つが、彼女らは人間ではなく獣。そう定めたのは貴家の本流たる王家と理解しているが、如何か?」


 そう、この国では亜人は人間ではない。少なくとも法律の上ではそうなっている。だからこそゲランはシズクから堂々と搾取できたし、騎士団は法に則った措置として亜人とそれに与するものを殺戮しているのだ。


 果たして、アビーク公爵の返答は明快だった。


「然り、私もそれは承知の上。よってこの出撃は名目上、害獣駆除として行われるものだ」


「害獣とは?」


「読んで字の如く、領民に害を為す獣のことだ」


「ではお答えいただきたい。彼女ら狼人ウェアウルフが当地の領民にどのような害を及ぼした、あるいは及ぼそうとしたか?」


 この問いは布石。返答如何では一気に風向きが変わる。


「我が私兵が、狼人ウェアウルフにより殺害された疑いがある」


「……左様か」


 かかった。


 狼人族がベルマン隊殺しの疑いをかけられていることは想定通り。ゲランの件で出てきた傭兵は領民ではないし、ゲラン本人は――少なくとも実質的には――無傷で終わったからだ。

 大義名分になるのが死者のいるベルマンの件なのは必然だ。


 それでも人間なら疑いだけで処罰はできないが、獣なら容易に駆除されるだろう。

 だからこそアビーク公は疑いを根拠とした。それを、俺は逆に利用する。


狼人ウェアウルフはベルマン隊を殺害したゆえに駆除されると、その認識でよろしいか」


「立証責任などとは申すまいな。人と人ならいざ知らず、人が獣にそのような責任を持とうはずもない。無実と言うならば証を立てよ」


「ベルマン小隊長以下三名ならば、我が里にて保護している。待遇は捕虜相当だ」


 アビーク公爵の眉がピクリと動いた。


「……否、ベルマン隊は四名だ」


「メロ=ブランデ嬢のみ脱走した。追跡したが捕らえられず、西方へと消えた。必要とあらばここにベルマン氏を連れてきて証言させよう」


 そのような安易な嘘もあるまいと思ったか、アビーク公爵は証拠を求めることはせず次の問いに移った。


「ブランデのみ死亡でなく『行方不明』と届け出させたのはそのためか。しかし死亡報告の出されたベルマン隊が、何故に狼人族の里にいる?」


「ベルマン隊が魔物を野に放ち、彼女たち狼人族の殺戮を試みたからだ」


 ざわ、と。


 周囲の空気が変わるのを感じた。兵士たちの目が小さなシズクに注がれているのを感じる。


「……ほう?」


領主あなたの私兵が領内で獣を発見し、危険とみて駆除する。それは認められるべきことだ。だが、その手段として魔物を野に放ったことはどう弁明なさるおつもりか?」


 重要なのは魔物を野に放ったことそのものではない。そうしてまで駆除するに足るほどの害が狼人族にあるか、という点だ。


 兵士たちの間に懐疑的な目が生まれてゆく。その力を目にしたといってもシズクは小さな少女。そんな彼女を魔物に食わせて殺そうとしたという情報が、特に家族を持つ一般兵士には強く印象付けられる。


 これは問いだ。


 目の前の少女は、狼人族は、魔物よりも危険である。アビーク公爵はそう考えているのか。シズクを魔物に食わせてよいと答えるのか。


 それとも部下の過失を認め、それを保護した相手を『害獣』として駆除するのか。


「……マージ=シウといったな」


「ええ」


「首謀者と思しき人物がそこにいるアルトラ殿の元部下と聞いて、侮り過ぎていたようだ」


「アビーク公よ、返答を」

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