57.人間の知恵
――同刻、キヌイ街路
騎士団の戦いは限りなく『人間らしい』とされる。では、人間と亜人の最大の差とは何か。
それを分かつのは『善意』であると騎士団は定義づけた。善意によって行動し、善意によって価値を生み出し、善意によって発展することができる。それが人間であり、亜人にはそれができない、と。
「貴様ら
騎士の眼前には傷ついた
特に生傷の目立つシズクは、それでも目だけは騎士をぎりりと睨みつける。
「それはそれは。……同じ人間を斬り殺そうとしてた奴が言うと、説得力が違うね」
「善意による正常化を語るな。虫酸が走る」
「善意、善意か。じゃあその槍に塗ってある毒も善意なんだ? 善意っていろいろだね」
【マナ活性度:1,6\1,jl5-0】
騎士団三十六騎に対して
シズクを包む【
槍によって傷を受けた右腕の爪は歪な形に捻じ曲げられ、すでに武器として用をなしていない。マナは活性し続けているがそれが攻撃力に変換されていないのだ。騎士は歪んだ笑みを向け、手にした槍の濡れた穂先を指でなぞった。
「この
槍に仕込まれた濃緑色の薬剤を指で掬い取ってみせる。柄から滲み出した水薬が槍の穂先を滴り、傷口を確実に冒す仕組みになっているらしいとシズクは理解した。
「鎮痛、剤?」
「よって我らの武器にて傷つけられた者は、さしたる痛みを感じることもなく死ぬ」
「……腕を斬られたゲランが妙に元気だったのはそのせいか。大した善意だね」
「だが過剰量を投与すると、マナの流れを乱す副作用が生じる」
騎士は穂先でシズクの歪んだ右爪を指し示した。その姿こそが人間の叡智の結果だ、とでも言いたげに。
「ボクの爪がこんなになったのも、その薬のせいか」
「肉体強化、或いは武装型のスキルを持つものならばスキルのマナを乱され、一種の混乱あるいは暴走状態を引き起こすのだ。己らには理解できまいがな」
「現れた亜人が狼人であったことは当然に調査済み。ならば過去の文献をあたり、対策するのが『人間の知恵』だろう」
「戦ってる敵に自慢げにつらつらと。三流のやることだな」
「笑止。夜闇に乗じて動き、こそこそ卑怯な闇討ちを繰り返すことを『誉れ』などという奸賊と我らとは違うのだ」
「ッ、父祖を愚弄するな、下衆が!」
シズクは吠えるが、軽々に飛びかかってゆく真似はしない。右半身の肉体強化も乱されて痺れたように動かない今、そんなことをすれば死に直結する。
何よりシズクは大切な部隊を預かる身。これ以上の毒を受けて行動不能になれば狼人全てを危険に晒す。そんな愚を冒すことは、シズクの脳裏に浮かぶ王の目が許さない。
「……信頼は、裏切れない。裏切れないんだ」
戦うべきか、逃げるべきか。その判断を巡らせるシズクを前に、騎士は町の人々にも聞こえるようにだろうか、ひときわ大きな声で叫んだ。
「どうした、かかって来い! 貴様らの先祖はそうして死んだ! さあどうした、誉れなのだろう? 誇りなのだろう? ええ?」
「ぐ……!」
「倫理観も何もないくせに、いらぬ知恵ばかりつけるから亜人は危険なのだ! よいか、我らは貴様らに『死ね』や『出ていけ』と言ったことなど一度としてない。ただただ、『他人の善意による行動を邪魔するな』と言い続けているだけなのだ」
なんだと、と。
その言葉すら口に出ないシズクに、構わず騎士は続ける。
「我らが善意をもって接した。貴様らがそれを拒んだ。だから戦になって貴様らが負けた。そうして歴史は紡がれてきたのだ。それすら理解できないから貴様らはそうして地を這うのだと、なぜ未だに分からない?」
何を言う。
あれは領土をめぐる戦争だ。己の子が、孫が生きる場所を残すための戦いだ。だから父祖たちは誇り高く戦って死んだ。
それが、善意ある者とそれを理解すらできない獣の戦いだと。
シズクの喉を数多の言葉が通ろうとして行き詰まる。あまりに異なる価値観、あまりに異なる認識を前に、シズクの声は何も発せない。
「お前らは、どうしてッ……!」
未来の為政者として、
ただただ睨みつけるシズクに、騎士はゆっくりと歩み寄った。
「何も言い返せまい。その知性があればこのようなことにはなっていないからな」
短槍を振りかぶる。濃緑色の薬液を滴らせる鋼の穂先がシズクに向く。その姿から、シズクはじっと目をそらさない。
「やってみろ。喉笛に食らいついてやる」
「やはり現状が見えておらん。なんと愚かな」
嘆息し槍を振り下ろさんとする騎士の、しかしその頭に何かがぶち当たった。
「……むッ!?」
壺のようなそれはバリンと音を立てて割れ、中に満たされていた酒が辺りに飛び散った。
さらに二個、三個と飛来したそれを騎士は動じることもなく鎧で受け止める。移した視線の先には女が一人。酒屋から身を乗り出し、抱えた酒壺を振りかぶるリノノの姿があった。
「ごちゃごちゃごちゃごちゃごちゃごちゃと……! 陰湿がすぎるんじゃないか銀ピカさんよ!」
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