20.エンデミックスキル -3

 返せ。


 返せ。


 返せ。


 シズクの心が聞こえる気がする。奪われたものを返せと、戦いながらそう叫んでいる。


「マスター?」


「……いや、なんでもない」


 自分の思考に思わず苦笑いする。


 俺はシズクと知り合ってまだ間もない。彼女がどんな経緯でこの町に来て、どんな生活を送ってきたのかを俺は知らない。考えていることが分かるなんて自惚れだと、そう思おうとしたけれど。


「……せ!」


 黄金色の軌跡を描いて走るシズクの叫びが、夜の冷たい空気を引き裂くようにここまで届いた。


「返せ!」


 押し包もうとする傭兵をことごとく薙ぎ倒し、シズクは進む。自分を苦しめたゲランから全てを奪い返すように。奴を守る人間の壁を一枚また一枚と破り捨てるように進軍する。


 返せ、返せ。シズクは叫ぶ。


「返せ!」


 財産を。


「返せ!!」


 時間を。


「返せ!!!」


 尊厳を。


「返せ! ボクの、全部!!!」


 自分は狼人ウェアウルフだ。誇り高い戦士の末裔だ。


 その想いだけを拠り所に、小さな体の奥底に押し隠していただろう感情たち。悔しさ、怒り、悲しみ、そして憎しみ。その全てを爆発させた一人の少女は、三〇人を超える傭兵を地に沈めてなお猛り狂う。


 そこに俺たちの介入する余地はない。だが、それでもできることはある。


「行こうか、コエさん」


「はい、マスター」


「【空間跳躍】、起動」


 追いかけるのは、傭兵たちを盾にして一人逃げてゆく太った背中。シズクから悪辣な手段で搾取を図った、全ての元凶といえる男ゲラン。その足が向かう先には予想がつく。


 先回りするように、俺たちは空間を跳躍した。


【マナ活性度:4064】






「ひい、ひい」


「遅かったな。運動不足なんじゃないのか」


 ヨタヨタと走ってきたゲランの進路上に立ちふさがると、その足が止まった。


「き、貴様らは」


「『地下』に用事か?」


「なっ……なぜそれを……!?」


 汗だくの顔は、しかし真冬のように青ざめてガクガクと震えている。


 ここは奴の事務所。真っ二つに切れた建物は夜闇の中でも異彩を放っているが、奴の目的は『地上』ではない。


「昼間に切り落としたお前の右腕は地下に転送したわけだが……。その時、地下に妙な空洞があることに気がついた」


 物体の座標を移せる【空間跳躍】は強力なスキルだが、行き先を誤れば『石の中にいる』ということも起こりうる。だから使用前には感知系・知覚系のスキルで跳躍先を走査することが必須だ。


 それによると、事務所の地下には人が数人入れるくらいの小さな空間があるらしい。


「そこに隠れるつもりなんだろうが……」


「じゃ、邪魔する気か!? 貴様ら、あんな化物をけしかけて逃げることも許さんとは……! 人の心はないのか! 悪魔めぇ!!」


 人の心はないのか。悪魔。


 ゲランの言葉に、思わずコエさんと顔を見合わせた。


「マスター、あれも冗談というものなのでしょうか?」


「そうだな。そう思っていればいい」


 たちの悪い、笑えない冗談だ。そんなものに付き合っている暇はない。


 さっさとこちらの用件を済ませるとしよう。


「聞け。地下に逃げればお前は死ぬ。石の部屋だろうが鉄の金庫だろうが、シズクがここに追いつけば藁でできた家と変わらない。フーと吹き飛ばされておしまいだ」


「ひっ……!」


「それは俺の望むところじゃない」


 傭兵たちはその道のプロで武装もしている。簡単には死なないだろうし、そもそも金をもらって戦うことが仕事だ。だがこいつは、ゲランは違う。


 不本意ながらこいつは『善良な市民』なのだ。シズクがこいつを手に掛ければ罪になる。俺にもそれは覆せない。


「俺はそれを防がないといけない」


「貴様ら、ワタシを守ってくれるのか!? なんだ、そういうことなら早く言え! まったく!!」


「マスター、今のは?」


「冗談の好きな人みたいだな」


「へ?」


 俺たちのやり取りにゲランの顔がぴしりと凍りついた。俺からゲランへの指示はたったひとつ。


「ここから一歩も動くな。一歩たりともだ」


「で、でもアイツがもうすぐここに……!」


「忘れたのか? 俺のスキルは切り落とされた手でも再生できる。お前がどんな状態に・・・・・・なろうとも・・・・・、必ず治せる」


「ひっ、ひっ、ひぃ!」


 情けない声を出すゲランだが、怯えている時間はどうやらないようだ。背後でズン、と何かを吹き飛ばす音がして、黄金色の光が夜闇の中から迫りくる。


「――見つけた」


【マナ活性度:81937】


 その金色の目にあるのはすでに怒りでも憎しみでもない。抱え込んだ感情を出し切り、過去を全て清算せんとする瞳。その眼差しがまっすぐとゲランを見据えた。


「ひいいい! 来る! アイツが来るううう! た、頼む! 助けてくれ頼むううううう!!」


「だから助けると言っている。お前は俺が死なせない」


「そうじゃなく……うわあああああああああ!!」


 キヌイの夜に、悲鳴が迸った。

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