第22話 這いずる者
さて。
時間は少し遡る。
裏街のジャラに吉報が届く二日ほど前のことだ。
ざわざわ、と。
絶えない喧騒が耳朶を打つ。
その男は、アルハジルの街中を無言で歩いていた。
年齢は三十代か。ボロボロの灰色のコートに無造作に伸ばした髭。まるで浮浪者のような風貌な男だ。ここは店舗が並ぶ表の大通り。その風貌では逆に目立ちそうなのだが、男は人混みの中に自然と溶けこんでいた。
その暗い眼差しは、ただ標的だけを見据えていた。
アルハジルには『ネズミ』が多い。
それは、いつしか商人たちの間で使われるようになった言葉だった。
衛生が悪いという話ではない。『ネズミ』とは窃盗犯の蔑称だ。
アルハジルの闇は深い。
その上、あらゆる流通の中継点でもあるのだ。当然、窃盗犯も多かった。
例えば、主に孤児たちで構成される『仔ネズミ』。
子供ということで相手の油断を誘い、金銭や荷を掠めとる集団だ。
それがそのまま成長した窃盗団が『大ネズミ』。
大ネズミは基本的には目立つことを嫌う。衝動的には動かず、綿密な計画と連携をもって荷を盗み出す輩だった。
そして群れからはぐれた個人の窃盗犯・『ドブネズミ』が存在した。
協調性がなく、盗みは衝動的。時には無計画な強奪まで行う。もはや害悪として群れから追い出された者が大半なのだが、中には例外もいる。
人混みの中を進む男――ロウはドブネズミの例外側の人間だった。
だが、群れから追い出されたのではない。
その窃盗技能の高さから、成果を独占するために孤独を選んだ人間だった。
事実、今のロウの人混みへの潜伏は、暗殺者も舌を巻くほどのモノだった。
標的も未だ気付いていない。
幾度かすれ違うたびに、ロウが少しずつ『齧り』を施していることにも。
(…………)
ロウは暗い双眸を細めた。
視線の先には二人の女がいた。
一人は長い黒髪を後頭部で結いだ女。
恐らく東方大陸出身の女だ。東方の羽織に刀を腰に差している。
笑顔を見せるその女は両手で紙袋を抱えていた。
中身が何かは把握している。保存食だ。買い出しに出かけた帰りだった。
(……あれも眩しい女だな)
直視するのが辛そうに、ロウは微かに眉をしかめた。
事前に得た情報ではB級冒険者だそうだ。
美貌に加えて育ちの良さが滲み出ている女だった。
どこかの良家の娘なのかもしれない。
そしてもう一人。
大剣を背に担いだ短い髪の女だ。若干青みがかっている黒髪だった。髪の色からこの女も東方大陸出身のようにも見えるが、そこまでの情報は得ていない。
ただ分かっていることは、驚くべきことにS級冒険者だということだ。
ロウなど瞬殺できるような恐ろしい怪物だ。
その怪物女は長い髪の女に対し、笑顔を見せていた。
まるで太陽のような笑顔だった。
(……くそが)
二人とも、スタイルから美貌まで目を見張るような美女だった。
ただ歩くだけで目を惹く存在だ。事実、二人に目を向ける通行人は多い。
しかし、そんな二人を見てもロウには不快感しか抱けなかった。
ロウはまだ三十歳。男盛りだ。
良い女を見れば欲情もする。触れたい。抱きたいとも思う。
だが、あの二人に対してはそんな欲情が湧かない。
ロウが自分の身の程を知りすぎているせいだからだろう。
自分の手は、あの女たちには決して届きはしない。
分不相応に太陽に触れようとすれば、ただ焼かれるだけだ。
見ただけでそれが分かってしまう。
嫌でも委縮してしまう。
(俺とあいつらでは生きる世界が全く違うんだろうな)
ロウの口元が暗く歪む。
あの二人は言わば天上の住人だ。生まれからして違う。
一方、自分は地の底の亡者だ。這いずるドブネズミに過ぎない。
そこにはあまりにも差が開きすぎていた。
自分に出来る事といえば、精々姑息に掠め取るぐらいだろう。
(だがな)
ロウは双眸を鋭くした。
(姑息だろうが、それに関してだけは、俺は誰にも負けねえんだよ)
歪な自負で心を奮い立たせる。
ロウはさらに気配を消した。
そうして……。
◆
同じ大通りにて。
雑多な人混みの中、レイとサヤは歩きながら談笑していた。
レイは後頭部に両手を置き、サヤは大きな紙袋を両腕で抱えている。
二人は旅用の保存食の買い出しの帰りだった。
「良かったね。サヤ」
「はい。レイさま」
にこやかな笑顔を見せるレイに、サヤも笑う。
「こんなに簡単に二人と連絡が取れるなんてラッキーだよ」
と、レイが言う。
懸念していたゼンキとマサムネの行方。
それはこのアルハジルの冒険者ギルドに訪れたことであっさり解決した。
二人はアルハジルにはいないそうだが、比較的に近い街でいるそうだ。
冒険者ギルド間の連絡網でやり取りした結果、ゼンキたちはアルハジルに来てくれるらしい。数日中には合流可能だそうだ。
レイたちは二人の到着を待つため、アルハジルに滞在していた。
「けど、そうですね」
その時、サヤが小首を傾げた。
「ゼンキたちとの再会は嬉しいのですが、少し大人数でもありますね」
そう告げる。レイも「う~ん、そっか」と呟き、あごに指先を置いた。
「合流すると全員で七人になるのか。旅をするには多いのは確かだね」
一般的にパーティーは五、六人で構成されることが多い。
戦闘や探索でのバランスのみならず、旅も視野に入れた最適な人数だからだ。
それ以上の人数だと『パーティー』と呼ぶよりも『クラン』に分類される。一定の地域に留まり、拠点を持って活動する冒険者たちの互助組織の名称である。
レイは少し考えて、
「……うん。流石にちょっと動きづらいか。帰ったらティアに相談してみよう」
そう呟いたその時だった。
ジジリッ、と。
不意にそんな音がしたのだ。
「へ?」「え?」
レイもサヤもキョトンとする。
と、次の瞬間、レイの大剣のベルトが千切れてしまった。
一気に解放されてベルトが大きく弾けるような勢いだ。ベルトによって抑えられていたレイの大きな双丘までぶるんっと揺れる。
「わわっ!?」
反射的にレイは自身の双丘を両腕で抱え込んだ。
それも仕方がない。レイにしてみれば、きついシャツで抑え込んでいた胸元のボタンがいきなり弾け飛んだような感覚だ。
しかし、その結果、落ちた大剣の切っ先部が地面を打ち付けた。
一瞬だけ鞘に収まった大剣が地面に直立した。ゆっくりと傾き始める。
お互いに両手が埋まっているレイとサヤは大剣に目をやった。
その直後のことだった。
人混みの間から腕が伸びてきたのである。その腕は大剣が倒れる前にベルトを掴むと、ぐんっと強く人混みの中へと大剣を引きずり込んでいった。
それはまさに一瞬の出来事だった。大剣の姿はすでに消えている。引きずり込んだ腕が誰のモノだったのかさえも分からなかった。
サヤは「え?」と目を丸くする。
一方、レイは未だ両腕で双丘を抱えたまま、
「――――はい?」
唐突過ぎることに唖然とした。
そうして、
「――ボクの聖剣ッ!? ちょっと待てエェェ!?」
数秒遅れて絶叫を上げたのだった。
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