第18話 そして彼女はいなくなった

(―――仕留めた)


 剣から伝わる感触に、アニエスは勝利を確信する。

 ルルエライト=レプリカドールのコア

 この一撃で間違いなくそれを砕いたはずだ。

 ルルエライトは相も変わらず無言だ。しかし、全身を痙攣させていた。


(……危なかった)


 静かに喉を鳴らすアニエス。

 正直なところ、相当に際どい戦いだった。

 罪架の鎧には損傷も見られる。この鎧が無ければ致命傷レベルだった攻撃も受けた。胸部の大きな亀裂などそれを物語っている。ルルエライトは確実に進化を遂げていた。

 だが、進化しているのはアニエスも同様だった。

 自分を極限にまで追い込んだ修練。その成果のおかげで今回は勝利を掴み取れた。

 戦闘時間は四分十三秒。タイムリミットも限界寸前だった。

 兜の下の額には、玉のような汗が滲んでいる。


(ルルエライト=オリジンドールの情報通りなら、後は自壊するだけのはず)


 アニエスは小さく呼気を吐いた。

 ルルエライトの喉元に突き立てた剣はまだ抜く気はない。

 勝利を確信した時こそ危険なのだ。

 自壊を確認するまで決して残心は解かない。

 その判断は正しかった。

 自壊を待つだけのはずのルルエライトが、不意に腕の一本を動かしたからだ。

 最後の悪足掻き。しかし、それはアニエスを狙ったモノではなかった。

 ルルエライトの狙いはリタだった。

 最悪のタイミングでこの場に現れたアニエスの娘の命だった。


(リタッ!)


 ――ゴウッ!

 矢のような速度でルルエライトの腕が伸び、手刀がリタを襲う!

 アニエスは娘に目をやり、凄まじい勢いで跳躍。高速の手刀を切断して娘を救った。銀色の腕が宙を飛び、遠い地面に落下した。


「え? え?」


 流石に状況が全く分からずリタは動揺していた。ライラとカリンの方もだ。

 三人とも無事のようだ。アニエスは安堵の息を零す。

 すると。

 ……ズズズ。

 五本の腕を駆使してルルエライトが立ち上がった。


(まだ足掻くの?)


 アニエスは赤い剣を構えた。

 状況は分からずとも、危機だけは察してリタたちも身構えた。

 と、その時だった。

 ボコンッと。

 突如、異変が起きる。

 いきなりルルエライトの心臓部が大きく膨れ上がったのだ。

 まるで心臓だけが飛び出したかのようだった。ドクンドクンと脈打っている。

 それは即座に黒く染まった。


「――なんじゃと!」


 その時、屋根の上から声が響いた。ロザリンの声だった。

 彼女は即座に屋上から飛び降り、大通りに着地した。

 リタたちは「え?」と驚くが、ロザリンは構わず、


「馬鹿な! ルルエライトにそのような機能はないはず!」


 そう叫んで、右手をルルエライトへとかざした。

 直後、ルルエライトの体が一気に圧縮される。拳大のサイズまでにだ。

 もはや一刻の猶予もなしと、ロザリン自らが処分に動いたのである。

 しかし、それも一歩遅かった。

 拳大のサイズになってなお、ルルエライトの残骸は脈動していた。

 そうして次の瞬間。


 ――ズオッ!

 黒い球体がその場に現れた。成人男性の身長ほどの宙に浮く球体だ。


 アニエスもリタたちもギョッとする。


「――『深淵の門』じゃ!」


 一方、ロザリンが叫ぶ。


「転移装置を応用した禁忌の業よ! 黒い球体に触れるな! どこに跳ばされるか分からぬ! この世界ならばまだよし! 下手をすれば彼岸の果てを彷徨うぞ!」


 アニエスとリタたちにそう警告する。それから険しい表情で舌打ちし、


「どこの阿呆あほうじゃ! ルルエライトにこんなモノを仕込みおって! 放置すればこの街ごと呑み干すぞ!」


 ロザリンは黒い球体に向けて両手をかざした。

 だが、その直後のことだった。

 黒い球体が凄まじい勢いで周囲を吸い込み始めたのは。

 瓦礫や炎。建造物の一部。次々と呑み込んでいく。

 ロザリンは「チィ!」と舌打ちしつつ、両手の指を鉤爪のように曲げた。

 すると、黒い球体が徐々に縮小していく。

 どうやら彼女の何かしらの力で抑え込もうとしているようだった。

 その傍らで、アニエスは吸い込まれないように剣を地面に突き立て、リタたちもその場に伏せようとした――が、


「――キャアッ!」


 悲鳴が上がる。カリンの声だった。

 猛烈な吸引力に彼女の体は、ふわりと浮いた。

 体力の低いカリンでも、普段ならば耐えられたかも知れない。

 しかし、運悪く、今のカリンは疲労しきっていた。


「「――カリン!」」


 リタとライラが、青ざめた顔でカリンの名を呼ぶ。

 吸い込まれていくカリンを追って二人とも駆け出そうとした。

 ――が、その前にアニエスが動いていた。

 地面に突き立てていた剣を離して加速。一瞬でカリンに追いつき、その右腕を掴んだ。

 ガガガガッと地面に両足で火線を引いた。

 黒い球体へと近づくほどに吸引力は威力を増していくようだ。

 カリンを掴んだアニエスは、黒い球体の直前でどうにか踏み留まることが出来た。

 まさにギリギリの救出だった。

 しかし。


(まずいッ!)


 アニエスは強く歯を軋ませた。

 もうタイムリミットだ。強制送還が始まる。

 罪架の鎧による転移対象は鎧と剣。そして装着者であるアニエスのみだ。

 あと数秒ほどで転移が始まってしまう。

 アニエスがカリンの命綱になったこの状況でだ。


「――ひ」


 カリンは真っ青な顔でアニエスの腕を両手で掴んでいる。

 浮いた両足が今にも黒い球体に呑み込まれそうだった。


『――陛下ッ!』


 ――私の強制送還を解除して!

 その意志を込めて主を呼ぶが、ロザリンは「無理じゃ!」と即答した。


「即座に解除は出来ぬ! 抑え込むにも時間が――おのれ!」


 ロザリンさえも焦燥に駆られていた。

 それほどまでに危機的な――絶望的な状況だった。

 全力で黒い球体を閉じようとしているが、それでもあと一分はかかる。

 対し、アニエスの強制送還はいつ始まってもおかしくない。

 そうなればカリンは――。


(どうする! どうすればよい!)


 必死に打開策を講じるその時だった。


「――カリンッ!」


 リタが地面に両手を突きながら、カリンの名を呼んだ。


「頑張って! いま助けるから!」


 続けてそう叫んだ。

 すると。


(―――な)


 ロザリンは目を剥いた。

 莫大な数の精霊たちがリタから離れ、カリンの元へと移動したのである。

 その数――恐らくは二十万。リタの精霊数そのものだ。

 リタの願いを聞き届けて、精霊たちがカリンの守護についたのだ。


(この世界とカリンを繋ぐ楔となってくれるというのか! 感謝する! ならば!)


 ロザリンは即座に最善手を導き出した。


「受け取れ! カリン!」


 そう叫び、カリンに自分の力の一部を分け与える。

 カリンは一瞬「え?」と驚いた顔をするが、


「――うぐっ!?」


 と、目を見開いて背筋を伸ばした。


「「カリンッ!」」


 リタとライラが叫ぶ中、カリンの薄い桃色の髪が他の色へと変化する。その瞳の色も同様にだ。光が点滅するように六色が入れ替わっていく。


「許せ!」ロザリンが叫ぶ。


「強制的に妾の御霊を分け与えた! 髪も瞳もすぐ竜種の一色に定着する! その時のそちは竜人族にも劣らぬ!」


 そこで大きく息を吸って、


「生き延びよ! 諦めるな! 精霊たちが全霊を賭してそちをこの世界に繋ぎとめよう! 世界のどこに跳ばされようとも、そちは必ず妾が救う!」


『陛下! 限界よ! もうタイムリミットが――』


 アニエスも叫ぶ。直後、彼女の姿は消えた。

 とうとう強制送還されてしまったのだ。命綱だったアニエスが消えてしまい、カリンは目を見開いたまま、黒い球体へと吸い込まれていった。


「「――カリンッ!」」


 思わずリタもライラも立ち上がった。

 吸い込まれるのも厭わず、黒い球体の方へと駆け出した。

 だが、リタたちがカリンを追う前に、


「――ぬゥん!」


 ロザリンが両手を重ねた。

 途端、黒い球体が一気に縮小し、瞬く間に消えてしまった。

 リタたちは唖然とした。


「カ、カリン……?」


 ライラが茫然とした顔で両膝をついた。

 一方、リタはギリと歯を鳴らし、


「――リンッ!」


 ロザリンへと詰め寄った。

 険しい表情でロザリンの胸倉を掴んで、


「どういうことよ! カリンはどうなったの!」


 そう問い質した。

 それに対して、ロザリンは沈痛な面持ちで、


「……許せ」


 小さな声でそう返して、リタの手を胸倉から強引に外した。

 そして同時に大きな竜翼を広げた。

 羽ばたき、飛翔する。


「すべて妾の慢心の結果じゃ。カリンは行方知らずとなった」


 リタたちの頭上でロザリンがそう告げる。


「だからどういうことなのよ! 降りてきて説明しなさい!」


 リタが地上からそう叫ぶが、ロザリンは静かな眼差しを見せて、


「あそこまで危険な真似をする者を放置したのは妾の失態じゃ。じゃが案ずるな。カリンは二十万もの精霊たちが自身の存在を引き換えにしてでもこの世界に留めてくれよう。いずこかまではまだ分からぬが、この世界にはおるはずじゃ。ゆえに妾は――」


 一拍おいて、


「これよりカリンを探す。カリン=カーラスを必ず救うことをここに誓おう。我が名、ロザリン=ベルンフェルトの名に懸けてじゃ」


「ロザ、リン……?」


 リタは困惑した表情を浮かべる。


「そして詫びにもならぬが、そちに一つ情報を与えよう」


 ロザリンはそう告げた。

 それから、とある方向を指差して、


「東方大陸の中央地方。そこに『シロック』という街がある」


「……何の話よ?」


 険しい表情でリタが問うと、


「その街に『ガラサス=ゴウガ』という男がいるはずじゃ」


「……誰よ。それ」


 ますますリタが険悪な面持ちを向けると、ロザリンはふっと笑い、


「巨拳ガラサス。S級パーティー・悠久の風シルフォルニアのメンバーの一人。すなわち、そちの父であるライド=ブルックスの盟友たる男じゃ」


「―――――え」


 リタは目を見開いた。


「パパ? パパの仲間? え? どうしてリンがそんなことを――」


「妾は博識なのじゃ」


 ロザリンは苦笑を浮かべつつ、そう返した。

 そしてさらに高く飛翔して、


「巨拳から父の話を聞くがよい。そして改めて宣言するぞ。カリンは必ず見つけてそちらの元へと送り届けよう」


「――ま、待ちなさい!」


 リタがロザリンを呼び止めようとするが、ロザリンは「すまぬな」と告げて、


「また会おう。リタ=ブルックス」


 竜翼を羽ばたかせて飛び立ってしまった。

 瞬く間にその姿は遠ざかっていく。

 残されたのはリタと、未だ両膝を突いて茫然自失となっているライラだけだった。


「……何がどうなってるのよ」


 リタは唇を強く噛んだ。

 そして、


「……カリン」


 ただ、親友の名を呟くのであった。


 ――カリン=カーラス。

 こうして彼女は消えていってしまった。





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