第17話 意思なき妄執

 ――ダンッ!

 アニエスは屋根の上から跳躍した。


 淡々と告げられた主の命に、アニエスは即座に応じた。

 アニエス自身、危険な相手だと判断したからだ。

 宙空に身を投げ出した後は、前転しながら赤い剣を振り下ろす!

 対する腐敗した男は右腕をかざした。二の腕と刀身が交差する。

 しかし、切断は出来ない。

 それどころか、ギンッと人間の腕とは思えない金属音が響いた。

 腐敗した男の腕に赤い刀身こそ喰い込んでいるが、どうやらその筋肉の下にある何か硬質な物体が潜んでいるようだ。


(――この男)


 黒い兜の下でアニエスは目を剥いた。

 間近で対峙して思い出した。この男を知っている。

 それはグラフ王国でのこと。

 かつて獣人族が住む森で無残に殺された重戦士の男だった。

 そして彼を殺したのは――。


(そういうこと! こいつの正体は!)


 アニエスがその正体を見抜いた直後、腐敗した男の肉体は四散した。

 まるで爆散だ。肉片に巻き込まれる前にアニエスは後方に跳躍していた。

 そうしてアニエスは赤い剣を構えて対峙する。


 男の死肉に塗れたそれは銀色の怪物だった。

 爬虫類を思わす硬質な皮膚に鋭い爪を持つ両腕。両足は少しひしゃげている。

 頭部は長い銀色の髪こそ持っているが、人間の顔ではなかった。鼻も口も耳もなく、顔の中央に複眼の巨大な一つ目だけがある。小柄かつ乳房を持っているので女性体であるのは分かるが、生き物のようには見えない。

 銀色の怪物が微細に振動すると完全に肉片は落ちる。するとさらに変化が起きる。銀色の鱗が逆立ち、鋭利な鎧のようになったのだ。両腕も伸びて関節部が増え、背中からも同じ腕が四本生えてくる。


『……随分と』


 緊張と共に、アニエスが呟く。


『様変わりしたのね。ルルエライト=レプリカドール』


「…………」


 銀色の怪物。

 かつてアニエスが撃破したルルエライト=レプリカドールは何も答えない。


「言語機能も破棄しおったか」


 屋根の上にて佇ずみ、腕を組んだロザリンが言う。


「ルルエライトには自己進化機能がある。敗北すればその情報を糧に自身を強化する。しかし、所詮は廃棄品よのう。劣化した性能ではいささか無理があったのじゃろう」


 そこで小さく嘆息する。


「擬態機能。言語機能を破棄して戦闘能力強化にリソースを回したか。そうまでして使命を賭すか。意志を持たぬ人形がまるで人の妄執のようじゃのう。とは言え、気を付けよ。アニエス。妾の見立てではそやつと今のそちの力はほぼ互角じゃ。ゆえに――」


 淡々とした声で、ロザリンは告げる。


「ここで確実に仕留めることじゃな。もしここで逃せば、そやつは間違いなく次はそちよりも強くなる。リタを守りきれなくなるぞ」


『……分かってるわよ』


 アニエスは強く剣の柄を握った。


『こいつが強いことは。ここで確実に倒さなければならないことも。こいつを――』


 赤い長剣を水平に構えるアニエス。


『リタに近づけさせてはいけないことも』


「死力を尽くすことじゃな」


 ゆっくりと、ロザリンは屋根の縁に腰をかけた。

 そうして美脚を組み、


「五分の戦闘制約は解かぬぞ。そちは言うなれば『贄姫にえひめ』じゃ。妾の眷属であり、その身と心は我が愛するヌシさまの供物である」


『…………』


「ゆえに限界と察すれば帰還させる。たとえそやつを倒しきれなくともじゃ」


 ロザリンはふっと笑い、双眸を細めた。


「一応言っておくぞ。妾は気まぐれじゃ。そちが帰還後、代わりに妾がリタを守るなどと期待せぬ方がよいぞ」


『……それも分かってるわ』


 アニエスは徐々に間合いを詰めながら主に返す。


『それがあなたとの契約だもの。本来、あなたにリタを守る義理はない。こいつはここで私が始末するわ。けど、一つだけいいかしら陛下』


「ふむ。なんじゃ?」


 小首を傾げるロザリンに、アニエスは少し溜息混じりにこう告げるのであった。


『贄でも供物でも何でもいいけど、流石に「姫」を付けるのだけは止めて』


 二十代前半でも通る美女。

 しかし、実年齢は三十二歳であるアニエスの素直な意見だった。



       ◆



 一方その頃、リタたちは宿の一階にいた。

 本当にリンが屋根の上にいるのか、外から一度確認しようと思ったのだ。


「けど、結局、あのお嬢ちゃんのことは何も分からなかったね」


 一階の食堂を通りながら、ライラが言う。


「分かってんのは名前だけ。武闘家を自称してるけど、訓練中、何気に精霊魔法も使ってたよね。あの子」


「うん」カリンが頷く。


「ジョセフくんが黒焦げにされてたよね。それで愕然とする私たちに『今のは焔裂戟フレム=ボウルガではない。火弾フレム=トッドじゃ』って」


「……本当に無茶くちゃで何でもありの子よね……」


 深々と嘆息しながら、リタが言う。


「流石に精霊数だけならあたしの方が上っぽいけど、あの子は魔法を使う時の収束している力が違うらしいの。ジュリがそう言ってた」


「リタやジョセフより速く、私より頑強で、ジュリよりも強い精霊魔法か」ライラも嘆息する。「これでもし神聖魔法まで使えた日には私らは立つ瀬もないよ」


 少し自信喪失気味になっているそんな二人に、


「はは……もしかしたら使えるのかも」


 渇いた笑みを浮かべつつ、カリンがそう告げた。


「結局、この一週間であの子に神聖魔法を使わせるような機会がなかったから……」


「「……へこむわ……」」


 リタとライラは同時に肩を落とした。

 この一週間で数えきれないほどの死線を越えて確実にレベルアップは出来たが、却って力の格を見せつけられた気分のリタたちだった。


「……まあ、あの子が許してくれる程度に素性も聞けたらいいわね」


 リタがそう言う。

 明日でお別れの相手だが、リンとはまたどこかで出会うような予感があった。

 もう少しぐらいは彼女と親睦を深めたいというのはリタの本心だった。

 そうこうしている内に、宿の出口に辿り着いた。


「さて。あの子はいるかしら?」


 リタがそう呟いて取っ手を握ってドアを開けた。

 そして、


「「「……………え?」」」


 思わず三人は目を瞬かせた。

 宿の前は大通りだ。今は深夜近くなので人もいないはず。

 静かな無人の街並み。

 そう考えていたのに、そこはあまりも想定外の世界になっていた。

 大通りの街並みなのは変わらない。

 しかし、地面に大きな亀裂やクレーターが多数あるのだ。

 砂埃もあちこちに立ち昇っている。火の手もだ。幸い建物の損傷は軽微のようだが、まるで戦場のような光景だった。


「な、何これ?」


 リタが唖然として呟く。

 しかも不可思議なのは、これだけの損害があるのに音がまるでしなかったことだ。

 リタはふらりと宿から大通りへと出た。

 途端、音が聞こえた。パチパチと燃え盛る炎。崩れ落ちる瓦礫の音。

 世界が音を取り戻していた。


「リタちゃん!」


 カリンが後ろで叫んだ。


「これ、神聖魔法だよ! 無音の空間を作る上位魔法!」


「まずいよ! リタ!」


 ライラがリタの肩を掴んだ。


「状況は分からない! けど戦闘があったんだ! 私らはいま武器を持ってねえ!」


 その指摘に、リタもハッとする。

 時間的にも就寝前だ。武器は部屋に置いていた。


「――く! ライラ! カリン! 一旦部屋に戻って――」


 リタがそう指示を出そうとした時だった。

 ――キイイイイイィンッ!

 突如、甲高い音が耳をつく。反射的にリタたちが自分の耳を押さえたその直後、ズドンッと何かが遥か上空より落下して大地に直撃した。

 衝撃によって猛烈な砂埃が舞い上がる。視界が遮られながらも、リタたちは険しい表情で落下して来たそれを確認しようとした。

 そうして十数秒後、ようやく砂埃が晴れる。

 リタたちが注目する中、それは姿を現した。


(―――え?)


 リタは目を見開いた。

 カリンとライラも驚いた顔をしている。

 砂埃の晴れた先。大きなクレーターの中にあったモノ。

 それはまるで英雄譚の一光景ワンシーン。仰向けに倒れ伏す銀色の怪物の喉元に、赤い剣を深々と突き立てた黒い騎士の姿だった。




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