第16話 招かざる者

 ――一週間後。深夜近く。

 エウリードに到着した日にチェックインし、そのまま拠点とした宿にて。


「……あいたた」


 カリンは一人、廊下を歩いていた。

 全身が筋肉痛で歩くだけで辛い。ちなみにリタたちは自室で寝込んでいる。

 一番体力のないカリンが無理をしてまで廊下を歩いているのは、部屋にいなかったリンを見つけるためだった。


「……ふゥ」


 大きく息をついて足を止めた。壁に手をつき、小休憩をする。

 そうして自分の胸元に視線を落とす。

「……はぁ」と盛大な溜息をついた。

 この一週間。どれだけリンに揉まれたことか。


(しかも、あの子、容赦ないし……)


 心なしか少し大きくなってしまったような気がする。

 カリンは珍しく眉をしかめた。

 少し不満そうな声で、


「……おじさまにだってまだなのに……」


 ポツリとそう呟いた。

 数瞬後、自分の独白にハッとする。

 耳まで顔を赤くして、ブンブンと顔を横に振った。

 ともかく今はリンだ。

 胸を揉まれたのは報酬 (?)の一つなので納得している。

 しかし、まだ気になることもあるのだ。

 リンが最初に言った契約だ。何やら自分に望むことがあるらしい。

 当事者のカリンとしては、それが非常に気になっていた。

 今日までは「いずれのことじゃ」とリンにはぐらかされてきた。しかし、明日の昼には出立になる。だからこそ今夜のうちに聞いておきたかった。


「うんしょ」


 カリンは痛む体をおして再び歩き出す。と、


「カリン」


 不意に後ろから声を掛けられた。

 カリンが「え?」と驚いて振り向くと、そこにはリタとライラがいた。


「リンのところに行くの?」


 リタがそう尋ねつつ、二人がカリンの方に近づいてくる。

 魔法剣士と戦士だけあって、二人の足取りはカリンよりもしっかりとしたものだ。


「あのお嬢ちゃんが言ってた将来の選択の話を聞くのかい?」


 ライラが腰に片手を当ててカリンに尋ねる。

 カリンは「うん」と頷いた。


「約束は約束だし、訓練後に今さら反故する気なんてないけれど、流石に内容は気になるから。今夜のうちに聞いておきたいの」


「……そうよね。当然よね」


 二人の隣でリタは苦笑を浮かべた。それから、


「……ごめん。カリンに変なこと押し付けて」


 真剣な顔で謝罪する。


「リンの雰囲気からたぶん怪しいことじゃないと思ったの。きっと嘘も言ってない。実際に戦ってみても実直な――というよりも小細工なんてしない性格みたいだし」


「……確かにそうだね」


 ライラがボリボリと頭をかく。


「ありゃあマジで王者の戦い方だ。小細工なんて一切不要だ。本気でカリンをご所望なら私らを全滅させてからカリンを攫えばいいんだろうしね」


 一拍おいて、


「あの嬢ちゃんの言葉に嘘は一つもないよ。私もリタに同意見だ。けど、それでもあの話は気になるよな」


「あはは……」


 カリンは乾いた笑みを浮かべるだけだ。


「あたしたちも付き合うわ」


 リタが言う。


「せめて内容は問い質さないと。女の子だけの方が聞きやすいことかも知れないから、ジョセフは席を外してくれたわ。ジュリは――」


「流石にグロッキーだね」


 ライラが肩を竦めて、リタの言葉を継いだ。


「ジュリは精霊魔法師とは思えないぐらい動けるけど、移動砲台だから訓練中はあの怪物みたいな嬢ちゃんにずっと狙われ続けてたしね。それが一週間だ。今回ばかりは疲労が激しすぎて立てないみたいだよ」


「うん。確かにジュリちゃんとリタちゃんは特に狙われていたよね……」


 カリンが、あごに指先を当てて呟く。

 精霊魔法が使えるからだと思うが、リンは特に二人に容赦なかった。

 まるで何かの不満や因縁でもあるかのような猛攻だった。

 接近戦もこなす魔法剣士のリタに比べて、動けると言っても、本来は中遠距離が専門であるジュリの神経はさぞかしすり減らされたことだろう。


「とりあえず三人でリンのところに行きましょう」


 二人がいてくれる方が心強いのは確かだ。

 リタの提案に、カリンは「うん」と頷いた。


「けど、あの嬢ちゃんはどこにいるんだい?」


 ライラがそう尋ねると、カリンは「う~ん」と呻く。

 そして、こう告げた。


「たぶん上かな。この時間帯、あの子が屋根の上に座ってるの見たことあるから」



       ◆



 宿の屋根の上。

 カリンの推測通り、リンこと、ロザリンはそこにいた。

 衣装は華衣を纏っている。刺繍こそ違うが、焼失した服と同じデザインだった。

 ロザリンは屋根に腰を下ろし、遠い空を眺めてみた。

 すると、


『……陛下』


 背後から声を掛けられる。

 ロザリンの後ろには赤い刀身の長剣を携えた黒い鎧の騎士――アニエスがいた。


「……なんじゃ。そちか」


 ロザリンは顔を横に向けて、アニエスに視線を送る。


「何故ここにおるのじゃ?」


『それは私が聞きたいわ』


 アニエスはロザリンの横に移動して告げる。


比翼風雀エア=リナがリタの危機を伝えてきたのよ。けど、転移で来てみれば、何故か陛下がリタたちを一方的に蹂躙してるし』


「やれやれじゃのう」ロザリンは肩を竦めた。「いささか熱が入り過ぎたか」


 そう呟いてから、


「あやつらに少々戦闘の手解きをしてやっていただけじゃ。この東方大陸を進むにはレベルがまるで足りないようじゃったからな」


『……東洋大陸?』


 アニエスは少し驚いた。


『ここは東方大陸なの? どうしてあの子たちがいきなりこんな場所に……』


「それは城に帰還してから教えてやろう。後にそちの同胞となるやもしれぬ妾の新たな眷属候補についてもな。それよりもじゃ」


 ロザリンは双眸を細めて地上に目をやった。


「妾自ら処分せねばならぬかと面倒に思っておったが、そちが現れたのは僥倖よな」


『……どういう意味? 陛下?』


 アニエスは兜の下で眉をひそめつつ、ロザリンの視線を追った。

 そして表情を鋭くする。

 地上。宿の前。深夜近くであり、人気のない時間帯だ。

 だが、そこには今、一つだけ人影があった。

 灰色のローブを頭からかぶる大柄な人物。恐らくは男だ。

 男はロザリンたちの視線に気付いたか、顔を上げた。


(―――な)


 アニエスは息を呑んだ。

 男の瞳は虚。さらに顔の一部が腐敗していたからだ。


「……醜いのう」


 不快そうにロザリンが呟く。


「そして情けなくもある。骸を被らねば擬態もままならぬのか」


『……陛下。あれは』


 そう尋ねつつ、アニエスが赤い剣の柄を強く握る。

 それに対してロザリンは、


「敵じゃ」


 明確にそう返した。


「そちの娘の命を狙っておる。醜態を晒してまで追ってきおったわ。それがあやつの本懐とはいえ、流石に哀れよのう……」


 ロザリンは腐敗した男に対し、少しだけ憐憫の表情を見せるが、


「ここで止めてやるのも慈悲というものじゃな。アニエス=ストーンよ。汝が主、ロザリン=ベルンフェルトが命ずる」


 腐敗した男を一瞥し、彼女は己が騎士に命じた。


「かの招かざる者に引導を渡せ」





  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る