第13話 魔城の訪問者

 コツコツコツ。

 石造りの長い廊下に足音が響く。

 足音の主は女性だ。その身に纏うのは喪に服したような黒いドレス。それと対照的な黄金色の輝く髪を肩辺りで切り揃えたスレンダーな美女。

 アニエス=ストーンである。

 ただ、アニエスは今、その美貌を隠していた。

 顔に白い仮面を着けているのである。瞳の部位まで覆う完全な仮面だが、視界は塞がれることはなく、アニエスは問題なく歩いている。

 ルルエライトが用意してくれた認識阻害効果のある宝具の仮面だった。

 アニエスは仮面にそっと触れて、


(……ただの自己満足ね)


 仮面の下で自嘲気味に口角を上げた。

 予想もしなかった出会い。それを受け入れた結果、アニエスは魔王のような少女の眷属になることになった。

 そのこと自体はもう構わない。

 魔王の眷属となったことで、アニエスは力を得た。

 娘を守る上で最適な力だ。


 ただ、元々アニエスは人前ではもう顔を見せないと決めていた。

 眷属となったことで、それがなし崩しになっているのは否めない。

 だから、せめて普段は仮面を着けようと決めたのだ。


(そもそも陛下が何者なのか。ここがどこなのかも私は分かっていない)


 アニエスは足を止めて、廊下の窓から外の景色に目をやった。 

 周囲は森に覆われている。その果ては見えない。

 気候としては不安定だ。暖かい日もあれば今日のように肌寒い日もある。

 果たして、ここはどこの大陸なのか。

 いや、もしかしたら巨大な島なのかもしれない。

 この巨城にしても謎に満ちた建造物だった。

 少しでも情報収集しようと訓練の合間に探っているのだが、まず人がいない。

 陛下とアニエスを除くと、この城にいるのは、自動人形であるルルエライト=オリジンドールを始めとした、ルルエライト=レプリカドールたちだけだ。

 全員が同じ顔、同じ姿。そして一体一体が今のアニエスと同等か、それ以上の戦闘能力を有する古代の怪物たちである。オリジンドールに至ってはさらに強いらしい。魔王の城の従者としては相応しい存在かもしれない。


 しかし、この城の一番の謎は城門がどこにもないことだ。

 一階には行ったことがある。

 けれど、どれだけ彷徨っても出口がない。完全に閉ざされた城だった。


(陛下が空を飛べるから? けど、不便過ぎるでしょうに)


 一階と二階には窓もない。三階以降には窓はあるが、固く閉ざされており、アニエスには開くことが出来なかった。

 牢獄という言葉が脳裏によぎる。

 しかし、わざわざアニエスのためにこんな大層な城は用意しないだろう。

 この城が魔王ロザリン=ベルンフェルトのための居城であることは確かなはずだ。

 やはり油断は禁物だった。

 不要な情報を与えないという意味では、この仮面にも意味がある。

 アニエスは歩き続ける。

 今は絶好の探索の機会だ。陛下が留守の間にこの城を少しでも把握しておきたい。

 陛下にとってアニエスは『贄』らしい。

 陛下が愛する男に捧げる貢物とのことだ。

 こんな中年女のどこにそんな価値があるのかとは思うが、そこは陛下の判断だ。今はまだそれなりに尊重してくれているが、いつ評価が変わるのかも分からない。

 いざという時のために情報は集めておきたかった。

 何より、アニエスはどうにか外出できないかと模索していた。

 その理由はライドだった。


(……ライド)


 アニエスは、肘に片手を当ててぐっと掴む。

 リタの方はその危機をいつでも知れるようにしている。

 駆けつけることも陛下との契約のおかげで一瞬だ。

 しかし、ライドの方はそうはいかない。


 ――ライド=ブルックス。

 アニエスの幼馴染であり、幾度となく傷つけてしまった人。沢山のモノを押し付けてしまった。彼もアニエスが償わなければならない人だ。

 リタだけでなく、ライドも守らなければならない。

 だが、その彼から教わったアニエスの精霊魔法――比翼風雀エア=リナは一度対象者と接触して掛ける必要があるのだが、アニエスはライドと十五年以上も会っていなかった。

 正体を隠しつつ、一度ライドに会って魔法を掛ける。

 そのためには外出する必要があったのだ。


(ライドは冒険者になったってシータさんは言ってたけど……)


 アニエスは仮面の下で唇を噛んだ。

 彼女の知るライドはまさに天才だった。

 精霊魔法においてはアニエスなど足元にも及ばない。剣技勝負では一度も負けたことはなかったが、きっと優しい彼は手加減してくれていたのだと今は思う。

 もし、冒険者に成れば、ライドはアニエスの届かなかったA級――いや、S級にさえ届くと感じるほどの才能を持っていた。

 しかし、それは少年期に冒険者に成っていればの話だ。

 ライドが冒険者に成ったのは三年前。二十七歳の時だ。一般的に冒険者の多くは十代からスタートしている。二十代後半は冒険者としてのスタートとしてはかなり遅い。

 もしかすると、パーティーを組むのも難しく、ソロを強いられているかもしれない。


(……ライド)


 立ち止まったまま、アニエスは表情を曇らせた。

 ライドが思慮深く慎重な人間であることはアニエスもよく知ってはいるが、もしソロなら、冒険者としてはパーティーを組んでいるリタ以上に心配していた。

 だからこそ、早くライドを見つけたかった。

 そのことは何度も陛下に伝えたのだが、


(陛下は許可をくれないし……)


 アニエスは小さく息を零した。

 リタに対しては許容してくれるというのに、陛下はライドに対しては厳しい。

 陛下にとっては、ライドは会ったこともない見知らぬ相手なのだから当然と言えば当然だった。リタと違ってアニエスの血縁者でもない。メリットがないのだろう。


(だから、自力でどうにかしないと)


 アニエスがそう決意して再び歩き出した時だった。

 ――ふわっと。

 不意に芳しい香りがした。コーヒーの香りだ。

 それは廊下沿いにあるバルコニーに続く大きな窓の一つからした。

 アニエスは眉をひそめる。この城に人間は陛下とアニエスだけだ。ルルエライトたちは食事を必要としない。コーヒーを飲むとしたら二人だけということだ。


(陛下が戻って来たの?)


 そう考えた。アニエスはその窓に近づき、バルコニーに移動した。

 森と空を一望できる広大なバルコニー。一つだけテーブルがある。

 そこには人影があった。

 しかし、その人影は陛下ではなかった。


(―――え)


 アニエスは仮面の下で目を見張った。

 この魔城にて、陛下以外に初めて出会った人間だった。


「……おや」


 その人物もアニエスの存在に気付いたようだ。

 コーヒーカップをソーサーに置き、アニエスに視線を向ける。

 年齢は五十代ほどか。

 灰色の髭が印象的な、茶色のトレンチコートを纏う紳士である。

 よく見れば、ステッキをテーブルに立て掛けている。


「これは驚いた」


 紳士は立ち上がる。


「まさかここに人がいようとは。お嬢さん。あなたは?」


「……私は」


 アニエスが困惑しつつも答えようとした時、


「ああ。失礼。まずは私から名乗るべきですな」


 そう告げて、紳士はアニエスに一礼した。

 そうして彼はこう名乗る。


「私の名はイリシス=ガド。偉大なる盟主レディに仕える臣下の一人でございます」






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