第12話 その頃のライドは②
さて。
その頃のライドと言えば――。
一人、路地裏を進んでいた。
レオとは別ルートではあるが、ライドもスラム街を目指していた。
潜伏しているのなら、そこがやはり一番可能性が高いと思ったからだ。
街灯も所々にしかない、暗い路地裏を歩く。
ややあって広場に出る。
そこはスラム街というよりも繁華街のような場所だった。
街頭に立つ娼婦に、明らかに怪しい品を売っている露天商。
スラム街の生活区ではなく、商売区に出たようだった。
(流石にここには隠れにくいか)
ライドは歩きながら、そう判断する。
娼婦からの誘いを片手で制しつつ、ライドは別の路地裏に向かおうとした時。
……チチチ。
不意に小鳥の声がした。
ライドがハッとして鳴き声の主に目を向けると、丸々としたシルエットの愛らしい小鳥が肩にとまっていた。半透明の小鳥である。
これは生物ではない。バチモフと同じライドが創った魔法生物だ。
危なっかしい幼馴染のために、子供の頃、ライドが創った精霊魔法だった。
ランクとしては第三階位ほど。風系の精霊魔法であり、『
ただ、バチモフと違ってこの小鳥に意志はない。
あくまで小鳥の姿を象っているだけの魔法だ。その効果は特定の相手の危機を知らせること。対象範囲は基本的に駆けつけられる距離までに指定してある。
子供の頃に創った魔法だったので久しく忘れていた。
今回、一旦分かれて行動するので、念のために全員にかけておいたのだ。
この小鳥が鳴く以上、同行者の誰かが危機にあるということだった。
(いったい何が……)
ライドは表情を険しくする。
そして肩に乗った小鳥が羽ばたき、飛翔する。
ライドは小鳥の後を追った。
◆
二体の怪物は、狭い路地裏を縦横無尽に跳躍する。
戦闘開始から五分。死闘は激しさを増していた。
――ガガッ!
レオは爪を突き立てて、壁に立つ。
肩には未だミニバチモフを乗せているままだったが、すでにレオの姿は、人間とはかけ離れたモノになっていた。
巨大な両腕に鋭い爪。甲殻のような背中に四本の蠍の尾。両足はひしゃげた獣の脚だ。頭部は黒い狼の仮面。アギトの下からはレオの口元が見えている。攻撃特化の姿なのか、胸元から腹部だけは変化していない。
一方、白面の怪物も、より恐ろしい姿に変化していた。
膨れ上がっていた上半身。その背中から八本の長い腕が突き出ているのだ。機械的な構造の細く黒い腕だ。指先が鋭利になっている。あれで幾度もレオの装甲を削っていた。
ゆらり、と白面の怪物が動く。
一体どういう走法なのか、壁を音もなく移動し、八本腕の刺突を繰り出してくる。レオは全身から同数の槍を生み出して凌いだ。腕と槍が火花を散らす。
宙空で何度も攻守を交えた後、レオを地面に着地した。白面の怪物も同時にだ。
(こいつ、強えェ……)
何度かは攻撃も通っている。
しかし、まるで手応えを感じない。
あの黒い外套の下に何かを仕込んでいるのか。
(マジで何もんだ? 殺す気なのに殺意は未だ見せねえ。ここまで近づいても気配も匂いもしねえし、全く底が見えねえ奴だ)
レオは双眸を細めた。
(まさか、本物の『東の白面』なのかよ……)
――東の白面。
それは数百年前から存在が噂される伝説上の暗殺者だ。
黒い襤褸を全身に纏い、白い猿の仮面を被った異形の存在。
主に東方大陸にて行動していると言われ、いかなる方法でも殺すことが出来ない不死の怪物とも称される化け物だった。
(
様々な可能性が脳裏によぎるが、どれも確証はない。
いずれにしても、まともに戦うのは悪手だった。
ゆらり、と再び白面の怪物が動く。
――ギン、ギィンッ!
繰り出される怪物の刺突を、生み出した無数の武具で防ぐ。
続けて、レオは壁を蹴って跳躍した。
現在、彼女は戦いながらスラム街の方に向かっていた。
そこなら人がいるはずだからだ。もし裏繁華街ならさらに好都合だ。そこで別人に擬態して紛れ込む。ミニバチモフは腹部に隠して、金回りが良さそうな太った中年男にでも化ければ違和感もないはずだ。
レオは別に戦士ではない。逃走に躊躇はなかった。
(さて。もう少し頑張るか)
レオは重心を低くした――と、その時だった。
「――うわっ!?」
不意に子供の声が、白面の怪物の背後から聞こえてきた。
少年の声だった。レオが目をやると、怪物の背後には薄汚れたローブを羽織っている子供がいた。声と体格からして恐らく十歳程度の少年だった。
(スラムの
レオがそう判断した時、怪物がいきなり背後に振り返った。
そして、レオを無視して少年へと襲い掛かった!
(古式ゆかしい『目撃者は即殺』タイプかよ!)
レオにとっては実に好都合な展開だ。怪物が少年を殺す間に、レオはスラム街にまで逃げ込めばいい。まさに絶好のチャンスだった。
――しかし。
(……くそ!)
レオは舌打ちしつつ、怪物を追った。
子供だけはダメだ。特にスラム街の子供は。
かつての自分と同じ境遇の子供を、レオは見捨てられなかった。
「おいクズ!
注意を自分に向けるため、あえて声を出す。
すると。
グルン、と。
いきなり白面の怪物の上半身が反転した。互いの視線が重なった。
「―――な」
流石にレオも目を見開いた。
その瞬間、白面の怪物の黒い手刀が振り下ろされる!
(――こいつ!)
レオは歯を軋ませた。
行動を読まれた。子供に襲い掛かったのは誘いだったのだ。
(くそ! こいつ、最初からおれの性格を調べて――)
そこでレオの思考は激痛で遮断される。
彼女の胸元から腹部へと裂傷が奔ったのである。
路地裏に鮮血が散ったのは、その直後だった。
「――ガハッ!」
レオは吐血した。ミニバチモフが『ばうっ!?』と愕然とした様子で吠えた。
そのままレオは地面に落下し、大きくバウンドした。
(マズイ、傷が深い。早く止血しねえと……)
そう考えるが、激痛で体も死糸蜘蛛も上手く操れない。
瞬く間に全身の糸が解けてしまい、レオの本体がさらけ出される。
「え? か、怪物が女の人に……?」
少年の困惑した声が響く。レオはギリと歯を食いしばった。
「早く逃げろガキッ! 殺されるぞ!」
横たわったまま、そう警告する。
少年は「……う」と呻きつつ、レオの傍らで立つ怪物を見やり、
「セ……人を呼んできます!」
そう叫んで、走り去っていった。
レオは再び吐血した。白面の怪物は、逃げる少年にも、レオを守って吠えるミニバチモフにも見向きせず、横たわるレオだけを見据えていた。
そして、ゆっくりと八本腕を振り上げた。
トドメを刺すつもりのようだ。
(……くそったれ)
血だまりがどんどん広がっていく。同時に全身から力も抜けていった。
(こんな最期かよ。あ~あ)
死の際で、レオは苦笑を浮かべた。
(処女のまま死ぬのか。まあ、女であることから逃げてりゃあ当然か。こんなことならダーリンに早く抱いてもらうんだったな)
そんな後悔に似た想いを抱いていた時だった。
不意に、ヒュルルと路地裏に風が吹いた。
同時に強い悪寒を感じた。
気温が一気に下がったような寒気だ。
いよいよ死の直前かと思ったが、この寒気は風と共に路地の奥から届いていた。
レオがどうにか顔を向けると、路地の奥――そこにはライドが立っていた。
彼は魔王領でも見せたことのない冷徹な表情をしていた。
その顔に、レオの背筋はゾクゾクと震えた。
そこには静かに激昂する王者がいた。
「……レオから離れろ」
ライドは言う。
並みの者なら、その声だけで平伏しそうな覇気が込められていた。
その覇気も怒りも、すべてレオのためにだった。
(~~~~~ッッ)
瞳を潤ませて、レオは唇を強く噛んだ。
弱っていたはずの鼓動が高鳴る。
全身の震えが止まらないのは、死を前にしているせいだけではない。
一方、白面の怪物は、
「………………」
数瞬の沈黙の後、滑るような歩法でレオから離れていく。
そうして、ドプンと。
いきなり自分の影の中に落ちて消えた。
まるで湖にでも落ちたかのような消え方だ。
流石にライドも驚いて目を見張っていたが、数秒ほど警戒しても再び白面の怪物が現れる様子はなかった。どうやら退散したようだ。
「――レオ!」
そうして、ライドはレオを抱き上げた。
かなりの重傷――いや、致命傷レベルの裂傷が彼女の胴体に刻まれていた。
ライドは険しい表情を浮かべた。
「くそ! ロゼッタなら……いや探していたら間に合わない。教会まで持つか――」
「あ~あ、大丈夫」
すると、青ざめた顔でレオが言った。
「こんぐらいなら自前で何とかするよ」
そう告げて、レオは震える手を自分の腹部にかざした。
途端、掌から光が溢れ出して傷口と癒していった。
「……レオ。お前……」
ライドは目を丸くした。
これは神聖魔法の治癒の光だった。
「神聖魔法を使えたのか……。魔王領では一度も使わなかっただろ」
「無能なおれの数少ない隠し芸さ。まあ、何故か自分にしか効かねえけどな」
レオがそう嘯く間にも裂傷は完全に治癒した。
ただし、失った血液までは戻せない。レオはかなりぐったりした様子だった。
死糸蜘蛛で斬り裂かれた服を復元する余裕もなさそうだ。
ともあれ、ライドはホッとした顔でレオを抱えて立ち上がった。
ミニバチモフも『ばうっ!』と吠えると、壁を蹴ってライドの肩に乗った。
「……にひ」
そんなライドの顔を見つめて、レオは笑う。
「ダーリン。今のおれはマジで弱りきってるぜ。大チャンスだぞ。このまま宿に連れ込んだら棚ぼたで自分の女に出来るぜ」
「……お前は」
ライドは盛大に溜息をついた。
「こんな状態でも変わらないんだな。先に輸血だ。まずは医療院だろ」
「そんじゃあ、その後か?」
にひひ、と笑みを見せてレオは言う。
ライドは呆れながらも彼女を連れて医療院に向かおうとした時だった。
「――待て」
不意に背後から声を掛けられた。
ライドが振り返ると、そこには薄汚れた布切れを
声と体格からして女性か。
しかし、最も目を引くのは彼女の持っているモノだ。
狭い路地ではとても振るえなさそうなそれは長大なメイスだった。
まるで突撃槍である。超重量のそれを肩に担いでいた。
「あ。さっきのガキか」
ふと、レオが気付く。
長大メイスを担ぐ女性の後ろに先程助けた外套の子供がいることに。
「大丈夫ですか! お姉さん!」
少年がそう叫ぶ。どうやら本当に助けを呼んできてくれたらしい。
その傍らで、
「……貴様。その少女をどこに連れて行く気だ?」
メイスを担いだ女性が問う。
ライドは率直に「医療院」と答えようとするが、
「……いや、ここは無法のスラム街。問うまでもないか」
彼女は勝手に自分で結論付けた。
流石にライドもレオも目を丸くした。
そして、
「少女を離せ。この悪漢め!」
女性は身を覆う布切れを脱ぎ去った。
続けて、彼女は告げる。
「さもなくば、このセリア=フラメッセが相手になるぞ!」
――と。
かくして。
ライド=ブルックスの冒険は続くのであった。
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