第10話 神刀の闇

 一方その頃。

 東方大陸の港町の一つであるシラッド。

 その街にある宿屋の一階食堂にて二人の人物がテーブル席についていた。

 青年と老人の冒険者らしき二人組である。

 二人はしばし沈黙していたが、


「……やれやれだ」


 ややあって、青年の方が口を開いた。


「これで少しはホッとしたな」


 年の頃は二十代半ばほどか。

 浅黒い肌に二本の角。白い総髪。筋肉質な上半身は裸だ。両腕にのみ鎖を絡めて手甲のようにしている。ボトムスには赤いズボン。黒い具足を装着していた。

 椅子の傍らには金棒を立て掛けている鬼人族の青年だ。

 名をゼンキと言った。


「…………」


 一方、老人の方は何も答えない。

 六十代後半ほどの剃髪の老人だった。印象的な長い白髭を蓄えている。装備は黒い和装の甲冑。そしてすぐ傍の壁に立て掛けた十字槍である。

 老人の名はマサムネ。

 マサムネは、ずっと手に握った手紙に視線を落としていた。


「あの状況からマジでおひいを救い出すとはな。やっぱ大した野郎だな」


 と、意気揚々にゼンキが言うが、やはりマサムネは沈黙したままだ。

 険しい表情で手紙から目を離さない。

 その手紙は、冒険者ギルド経由で届いたサヤの手紙だった。

 内容は自分の無事を知らせるモノと、一族からの別離の決意を記していた。


「……爺さん」


 ずっと沈黙したままのマサムネに、ゼンキが神妙な眼差しを見せた。


「一応宣言しとくぞ」


 ゼンキは告げる。


「俺はおひいを――サヤをガキの頃から知っている。これでも幼馴染だからな。だから、あいつがどれだけ祓魔剣薙の使命を大切にしているのかも知っている。そのためにどれだけ必死に修行をしてきたかもな。そんなあいつが決めたんだ」


 一呼吸入れて、


「一族と別離してでも惚れた男の傍にいると。真面目なあいつのことだ。半端な覚悟じゃねえ。だったら俺はあいつを応援するぞ」


「………」


 マサムネは初めて視線をゼンキに向けた。

 ゼンキは言葉を続ける。


「たとえ、ご当主さまの意志に反したとしてもだ」


「……おんし」


「この際だ。俺の本音を言わせてもらうぞ」


 ゼンキは、机の上に強く片手を置いた。


「世界は広い。一夫一妻に一夫多妻。同性婚。あえて離れて暮らすってのもある。どこぞには乱交文化まであるそうだ。流石に俺とは性の合わねえのもあるが、それは俺の価値観に過ぎねえ。文化も愛の形も人それぞれだ。当人らが納得して成り立ってんなら、他人がてめえの価値観で口出しすんのは野暮ってもんだって俺は考えてる」


 ゼンキは軽く舌打ちする。


「けどよ、掟を理由に引き離すのは違うだろ。それは野暮って話じゃねえよ」


「……おんしの言わんとすることは分かる」


 マサムネは手紙をテーブルに置いて嘆息した。


「おんしがおひいのことをどれほど大切にしておるのかもな。おんしはお姫ひいが覚悟したのなら最初から味方するつもりだったのじゃろう? おんしの気性は儂としても好ましく思うておる。しかし、おんしは知らんのだ」


 そこでマサムネは深く眉間にしわを刻んだ。


「祓魔剣薙の輝きが生み出した闇の深さを」


「……どういう意味だ?」


 ゼンキは眉をひそめた。


「祓魔剣薙とは魔を祓う神刀。それは唯一の尊きモノでなければならない。ましてや直系を奪われる訳にはいかんのじゃ。少なくとも」


 マサムネはきつく口を結んだ。


「あやつらはそう考えておる。数百年に渡って今もそう妄執しておるのじゃ」


「……は? 誰だ? 何のことを言ってるんだ?」


 ゼンキはますます眉をしかめた。

 マサムネは深く息を吐いた。


「愛に生きようとした直系はおひいが初めてではない。現当主もそうじゃった……」


 遠くを見据えて老人は語る。


「掟はすでに時代にそぐわない。変えるべきであると。じゃが、あやつらはそれを許さなかった。結果、当主が愛した英傑は――」


「……おい。爺さん」


 ゼンキの表情が剣呑なモノになる。


「なんかヤべえこと話してねえか? 聞いちゃマズいレベルの」


「……うむ。そうじゃな」


 マサムネはかぶりを振った。


「じゃが、おんしが、おひいの望みを応援するというのならば知っておくべきことじゃ。危惧すべきはおひいの心情や一族ばかりのことだけではないということを」


 そう告げて、老戦士は双眸を細めた。


「今回の件、恐らくあやつらが動くぞ」


「……誰だよ。そいつら?」


 神妙な口調でゼンキが問う。


「……神刀の輝きに魅入られた輩じゃ」


 マサムネは答える。


「儂とてあやつらの全容は知らぬ。儂がその話を聞いたのは、現当主の母君――すなわち亡き先代の当主からじゃ」


 そう切り出して、


「あやつらの祖は忍の者と聞く」


「……忍者って奴か?」


 ゼンキが眉をひそめる。

 ――忍。忍者。

 東方大陸の一地方にて諜報や暗殺を担う者のことだ。


「なら祓魔剣薙の裏の諜報機関ってことか? そいつらが、直系が一族を捨てて駆け落ちしようとするのなら、相手の男を始末しているってことかよ?」


 そこまでして一族の直系の血を守りたいのか。

 流石にゼンキも不快感を抱いていると、


「……その通りじゃ。おひいの父君もな。じゃが、事実でないこともある」


 マサムネは言う。


「あやつらは祓魔剣薙の諜報機関ではない。そもそもどの程度の規模の組織なのかも分からぬ。あやつらはただただ祓魔剣薙を信奉し、妄信しておるだけの輩なのじゃ」


 一呼吸入れて、


「なにせ、あやつらは祓魔剣薙の起源とは全く無関係だからのう。あやつらは祓魔剣薙に心酔した者が変質し、いつしか生まれた存在なのじゃ」


「………は?」


 ゼンキが目を丸くする。


「無関係? それって祓魔剣薙の関連組織じゃねえってことか?」


「うむ。あやつらは完全に無関係じゃ。いわゆる狂信者とも呼ぶべきか、神刀のあるべき姿を妄信し、理想のままに身勝手に動く。まるで呪いのようにな」


 マサムネは大きく息を吐いた。


「歴代の直系たちの傍には、あやつらの中でも最強の者が常に潜んでいたそうじゃ。そやつを『陰男かげおとこ』と先代は言っておった。恐らくおひいにも当代の陰男がついていよう」


「―――はあ?」


 ゼンキは唖然とする。


「おい。冗談言うなよ。そんな奴は見たこともねえぞ。そもそもだ」


「そんな奴がいんのなら、お姫が海に放り出された時に助けろって話だ。直系に信奉してんのに何ボケっとしてんだよ」


「陰男の行動基準は正直分からぬ。果たして、お姫が本当にどうしようもないと判断した時は助けるつもりだったのか。いずれによ」


 マサムネはあごに手をやった。


「直系が自らの意志で一族から離れることだけは決して許さぬ。陰男にとって直系の血の流出は直系の命の危機よりも黙認できぬことなのじゃ」


「何だよ、それ」


 ゼンキが眉間にしわを寄せた。


「じゃあ、そいつは今もお姫のストーカーをしてるってことか?」


「……それは儂にも分からぬ」


 マサムネはかぶりを振った。

 そして、


「お姫の手紙では相当な混戦や混乱があったようじゃ。そやつが今もお姫の傍におるのかは判断が出来ぬ。しかし、仮に潜んでいたのならお姫の決断を知る機会はあったはず。ライド殿は陰男にとって最も見過ごせぬ相手のはずじゃ。ならば」


 一拍おいて、マサムネは言う。


「もしや今、陰男はライド殿の傍に潜んでおるのやもしれぬな――」





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