第3話 墓まで持っていく

 二十分後。

 いつもの神官衣に着替えたカリンは錫杖を片手に階段を降りていた。

 少し早足になっている。

 珍しく起床時間から遅れていたこともあるが、それだけが理由ではない。


(あれって流石に事実なんかじゃないよね? 私の妄想だよね?)


 何度も顔は洗ったのだが、どうにも熱が引く様子はない。

 動揺を隠せないでいる。


(だってこんな偶然がある訳ないもん)


 一度足を止めて、カリンはフルフルとかぶりを振る。

 これはきっとあれだ。立て続けに『彼』の凄い逸話を聞いたせいで理想の男性――『おじさま』と無意識に重ねてしまったのだ。

 しかも、わざわざ記憶に合うように『おじさま』の年齢まで調整して、だ。


(うわあ、私ってどれだけ乙女脳なの……)


 カリンはかなりへこんだ。

 むしろ、親友であるライラの方が乙女心を隠していると思っていたのだが、どうやら自分も負けず劣らず乙女だったらしい。それも相当なむっつり的な乙女のようだ。


(ううゥ、やっぱり私ってまだ英傑に憧れてるんだろうなあ……)


 再び階段を降りながらカリンは思う。

 精霊信仰の神官には、任意だが英傑に仕える者がいる。


 例えば勇者アレスに仕える神官ララがそうだ。

 ただ英傑と認める相手が必ずしも勇者である必要はない。

 勇者でなくとも英傑と呼ばれる者は存在する。

 そこはあくまで各神官の判断だった。

 そして神官は主と決めた英傑に身も心も捧げるのである。


 実はこれにカリンの乙女心は密かに響いていたのである。誰にも話したことはないが、カリンが職業に精霊魔法師ではなく神官を選んだ理由の一つなのだ。


 いつか自分も英傑と出会い、そして――。

 そんな妄想をした時期があったのだ。


(こればかりは誰にも話せないよ)


 一階にまで降りて、カリンは肩を落とす。


 これまで聞いた親友の父の話。

 奴隷を解放した黒仮面であり、伝説のパーティーの創設メンバーでもある。

 最強の古竜と一対一で戦い、さらには悪神まで倒したことがあるらしい。


 紛れもなく英傑の逸話だった。

 そんな話を聞いたせいで、乙女の妄想魂が再発してしまったようだ。

 しかも、恩人でもある思い出の中の初恋の人を改竄してまでだ。


(本物のおじさまに対しても失礼だよ……)


 ますます気落ちする。

 とにかくこの妄想は墓場まで持っていく。

 そう心に決めたカリンだった。

 ぺちぺちと自分の頬を叩き、


「おはよう。リタちゃん」


 カリンは人気のない食堂兼酒場の一席――丸テーブルを囲んで集まるメンバーの一人に声を掛けた。


「……ん。おはよう。カリン」


 そう返すのは黄金色のサイドテールに、碧色の瞳を持つスレンダーな少女。大剣を椅子に立て掛け、白銀の軽鎧ライトメイルと同色の腕輪を左手首に付けている。

 カリンの親友の一人であるリタ=ブルックスだ。

 そして悪神殺しの英傑の愛娘である。


(あうゥ……)


 リタの顔を見ると、今日ばかりはカリンの心は痛んだ。

 やはりあの妄想だけはいただけない。


(……ごめェん、リタちゃん……)


 心の中で謝りつつ、とりあえずカリンはリタの隣の少女に目をやった。


「おはよう。ジュリちゃん」


「ええ。おはよう。カリン」


 と、彼女も挨拶を返してくれる。

 背中当たりまであるボリュームのある赤髪と、同色の勝気な眼差しが印象的な少女。

 赤い大きな三角帽子に、赤黒のローブを纏うジュリエッタ=ホウプスだ。

 彼女は黒い竜骨の杖を肩に担いで座っていた。

 カリンは錫杖を近くの壁に立て掛けてジュリの隣に座った。


「おはよう。カリン。今日は少し遅かったね」


 座ったカリンにそう声を掛けてきたのは鬼人オウガ族の少女だった。

 浅黒い肌に白い総髪。額に二本の角。男性並みに長身であり、逞しく腹筋も割れている。しかしながら、引き締まった腰とカリンよりも大きな双丘が魅惑的な女性らしさも主張している。ビキニだけの上半身の上に丈の短いジャケット。さらに黒い革製のタイトパンツという服装も、彼女のスタイルの良さを引き出していた。


 カリンの幼馴染であり、親友でもあるライラ=グラッセだった。

 彼女は黒い金棒をジュリの杖と同じように抱きしめるように肩に担いでいた。


「うん。おはようライラ。今日は少し寝起きが悪くて」


 カリンは苦笑を浮かべてそう返した。


「そうかい?」ライラは小首を傾げた。「どうも顔が少し赤いみたいだよ?」


「そ、そんなことはないよ」


 流石は幼馴染。カリンの顔色の変化にも気付いたようだ。

 ただ墓場にまで持っていくと決めた以上、話すことは出来ないが。

 すると、


「ふむ。旅もそろそろ長いからな」


 二人の会話に入って来たのは、メンバー唯一の少年だった。

 ブロンドの髪に線の細い顔立ち。長身の少年だ。

 軽鎧ライトメイルの上に貴族の証である赤い外套を纏い、腰には長剣を差している。

 ジョセフ=ボルフィーズである。

 ジョセフはカリンに目をやって腕を組み、


「気付かぬ内に疲労も溜まっているのかも知れないな」


「う、うん。そうかも」


 カリンはコクコクと頷いた。

 出来ればカリン自身もそうあって欲しいと思っていた。

 疲労が溜まっていたから、きっとあんな夢を見たのだと。

 ともあれカリン。リタ。ジュリ。ライラ。

 そしてジョセフ。

 これでパーティーメンバーが全員揃った。

 若きD級パーティー・星照らす光ライジングサンの面々である。


「そうね。どこかで休暇を取りましょう」


 リーダーであるリタが言う。


「けど、まずは目の前の問題を解決してからよ」


 続けてそんなことも告げた。

 メンバー全員が表情を変える。

 とても真剣な――というよりも、とても困った顔だ。

 事実、彼らはいま心底困っていた。

 理由は、はっきりと分かっている。

 それだけに誰も言葉が出せない。

 人気のない食堂にさらなる沈黙だけが降りた。

 だが、このままでは何も始まらない。


「………はァ」


 リタは大きな溜息をついた。

 そして、


「……ここ、一体どこなのよ……」


 途方に暮れた様子でそう呟くのであった。





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