第29話 脱出。そして

 その来訪者にはさしものザザも驚いていた。

 唐突に天上から降臨したそれは巨大なる獣だった。

 黄金の角と瞳。そして純白の鬣。

 鎌首と太い尾。強靭な四肢に山のような巨躯。大きな翼も持っている。

 それは明らかにドラゴンだった。

 紫色に輝く竜鱗を持つドラゴンである。

 タウラスもロゼッタも、その存在にゴーグもまた絶句している。

 ドラゴンは大きくアギトを開き、


『グオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ―――ッッ!』


 凄まじい咆哮を上げた。

 巨大樹の森全域が震えそうな衝撃である。


「……星辰せいしんの『むらさき』」


 ザザが小さな声で呟く。

 七色の竜種の中でも特別な存在。

 ザザも目にするのは初めての色だった。それも当然である。なにせ数多くいる他色の竜種とは違い、世界でたった一人の特別な竜人ドラゴ族のみに許された色だからだ。

 代々母から娘へ。権能の継承は母の胎内で行われる。権能を授受した母の竜鱗は他の六色のどれかに変わり、権能を継承した女児だけが紫の竜鱗を持つと聞いている。


 その女児こそが始まりの一柱である創世神の執行者たる『神罰しんばつりゅう』。

 いつしか『しんりゅう』とも呼ばれるようになった存在だった。

 しかも、


(……おいおい)


 ザザが注目するのはその特別なドラゴンだけではない。

 ドラゴンの頭部に立つ青年の姿にも目を奪われていた。

 自分が空にまで投げ飛ばした少女を抱きかかえている青年である。

 流石にザザの口元が歪む。


(これは何の冗談かな?)


 ザザには古竜のように『事象の天魄てんはく』の存在を感じ取ることはできない。

 今の時代では『事象の天魄』が『精霊』と呼ばれていることも知らなかった。

 だがしかし。

 こうして直に対峙すれば分かる。

 あの青年が『事象の天魄』を統べる『万象の王』であることが。

 その上、彼が帯刀するあの剣は――。


(神名を簒奪しているのか。しかもあの名は……あれ・・を殺したというのか……?)


 ザザは双眸を細める。


(そもそもなんで万象の王と神竜が仲良く一緒に現れるんだ? むしろ立場的に敵対していることの方が多かった者同士じゃないか)


 強い困惑を抱く。

 ザザが封緘領域に囚われて千余年。ほとんどの神がこの世界から去ったことには気付いていたが、それ以外にも大きく世界の理が変わったのかも知れない。


(情報不足だ。やっぱり引き籠りはダメだね)


 ザザは皮肉気な笑みを零した。

 その時だった。


「ライドオオ――ォォ!」


 いきなりゴーグが声を上げたのだ。

 そして嘆きの戦斧を担ぎ、ドラゴンの頭部に立つ青年へと跳躍する!


「待つんだ! ゴーグ君!」


 ザザが止めようとするが、すでに遅かった。


『……痴れ者が』


 そう呟いて、ドラゴンが剛腕を振るう。

 その巨大な掌でゴーグは払われた。


「――があッ!?」


 目を見開くゴーグ。

 どうにか防御したが、それは鋼鉄の壁に衝突したのと同じだった。

 ゴーグはまるで砲弾のような勢いで横に弾かれた。

 木々にぶつかり、次々と粉砕してゴーグは森の奥に一瞬で消えた。

 タウラスもロゼッタも唖然とするばかりだ。


『ライド』


 ドラゴンが見た目とは全く違う可憐な声で言う。


『そろそろ行くぞ』


「ああ。頼むよ。ロザリン」


 青年は頷いた。

 そして、


「タウラス! ロゼッタ! 彼女に――ドラゴンの背中に乗ってくれ!」


 その指示に二人は困惑しつつも、


「……ぬ。分かった」「だ、大丈夫なの? これ?」


 すぐにドラゴンの背中にまで移動した。

 全員が自分に掴まっていることを確認し、ドラゴンが羽ばたき始める。


『さて』


 ドラゴンが双眸を細めてザザを見やる。


ようじんザザンガルドじゃな』


「おや。名前を知られているなんて光栄だよ。神竜ちゃん」


『そちら悪神どもの悪逆は伝承にも残るほどじゃからな。ともあれ、生かしておいてもロクなことにはならんじゃろうな』


 ドラゴンはそう告げて、アギトを大きく開いた。

 その先に紫電が奔る黒い球体が生まれた。

 そして、


『消えるがよい。妖神よ』


 ドラゴンはそれを撃ち出した!


(うわあ。えぐ。超重力の竜の息吹ドラゴンブレスか。受肉状態で耐えきれるかな?)


 そんなことを考えながら、ザザの体は黒い球体に呑み込まれた。

 ――ズズンッ!

 大地へと深く沈み込み、周囲の木々さえも呑み込んでいく黒い球体。

 十数秒後、そこに残ったのは巨大なクレーターだけだった。

 ザザの姿はどこにもない。

 それを見届けて紫色のドラゴンは空へと飛び立っていくのであった。



       ◆



「……驚いたわね」


 高速で飛翔するドラゴンの背に座ったロゼッタが言う。

 膝の上に置いたミニバチモフの頭を撫でつつ、


「ライドさん。あなた、ドラゴンに知り合いなんていたの?」


「いや。まあ、確かに知り合いもいるんだが、彼女はドラゴンじゃないよ」


 ドラゴンの頭部から背中に移動したライドが答える。

 片膝を折って座った姿勢でドラゴンの背中を優しげに撫でる。


「彼女は竜人ドラゴ族なんだ。名前はロザリン。この姿は変身したモノらしい。まあ、オレも彼女のこんな大きな姿は初めて見たんだが」


「……変身?」


 戦鎚を肩に担いで座った、タウラスがあごに手をやった。


「俺にも、竜人ドラゴ族の友人はいる。だが、竜鱗や爪や翼は聞いたことがあるが、完全な竜化とは、初めて聞くな」


「まあ、そりゃあそうだろ」


 胡坐をかいたレオが言う。

 ちなみに偽装のメガネはもう付けていない。


「こいつは特別さ。なにせ、かの神竜ベルンフェルト。悪名高い知識海図ミストライン盟主レディさまだからな。裏の世界じゃあ誰もがその名前だけで震えあがるような超大物さまだ」


 肩を竦めてレオは皮肉気に笑った。


「こんな危ねえ場所に一人で出向いてもいい身分でもないだろうに」


『……おい。小娘』


 その時、ドラゴンが鎌首を動かして視線を向けた。


『妾のことはよい。それよりもそなたじゃ。そなたはライドの何なのじゃ?』


「ん? おれか?」


 レオは胸に片手を当てて堂々と告げる。


「おれはダーリンの女さ。未来の嫁だよ」


『……ほほう』


 ドラゴンが凶悪な眼光を見せる。

 そのやりとりだけでロゼッタは「……あ。そういうこと」と呟き、声からして少女らしいドラゴンの心情に気付いた。


『中々の蛮勇よのう。妾の前でよくぞ吠えたものじゃ……』


「うわ。こわっ」


 レオは立ち上がり、数歩の跳躍から転がってライドの胸に飛び込んだ。

 そして座ったままのライドの首に両腕を回して、


「ダーリン! 嫁のピンチだぞ! 守ってくれ!」


「……それはもういいだろ。レオ」


 ライドは嘆息しつつ、レオの顔を見やる。

 レオもライドの顔を見つめた。ライドは双眸を細めた。


「最初から全部芝居だったんだろ? お前がオレを旦那呼びして、やたらと自分が女性であることを強調する本当の目的は――」


 一拍おいて、


「むしろそうならないようにするためだ。自分の身を守るため、逆にオレが倫理観を強く意識するように仕向けていたんじゃないか?」


「……え? そうだったの?」


 ロゼッタが目を丸くする。

 タウラスはライドと同じように考えていたのか沈黙して見守っている。

 一方、レオは無言だった。


「自由奔放に見えて、お前からオレに触れる時はいつもほんの一瞬だけ体が強張るような様子があったからな。どこか怖がっているようにも思えた」

 

 さらに言うのなら、とライドは言葉を続ける。


「お前、二十一じゃないだろ。かといって見た目通りの歳でもない。直感だが二十一よりも少し下だ。違うか?」


「……え?」


 ロゼッタが再び目を丸くする。

 すると、レオは、


「……にひ」


 おもむろに笑った。


「やっぱあんたはすげえな。全部お見通しか。だいたい合ってるよ」


 ライドの首に手を回したまま、レオは語る。


「あんな状況だったからな。絶望して男が女を求めんのもおかしくねえ。もしあんたに襲われたら今のおれにはどうしようもねえ。あんたは倫理観が強そうだったからな。ああいうスタンスでいれば逆に襲ってくることはねえと思った。こればっかはマジで賭けだったが。それと」


 そこで小さく嘆息する。


「サバを読んでたのもバレバレか。おれは十八だ。ただあんたにそれを正直に告げると成長を止める禁薬はもう使うなって小言をずっと言われそうだったからな」


「……それは今からでも言うぞ」


 ライドは眉をしかめて告げる。


「禁薬はもうやめろ。十八ならまだ成長もできるはずだ」


「ああ。そうだな。了解だ。やめるよ」


 意外にもレオはあっさりと受け入れた。これにはライドの方が少し驚いた。


「……天象剣ライド=ブルックス」


 ライドの名を呼びながら、レオは表情を真剣なモノに改めた。

 そして、


「形無のレオがここに宣言する。おれはもう一度だけあんたの命を狙う」


 ライドから腕を離さずにそう告げる。


「手は抜かねえ。おれのすべてを。おれの誇りをかけた暗殺だ。あんたはおれを斬り捨ててもいい。全力でおれの暗殺を凌いでみな。そんでもしそん時におれがまだ生きているようならあんたに依頼者のことを教えてやるよ。っていうか」


 一拍おいて、レオは「にひ」と笑う。


「その時点でおれの暗殺者人生はもう終わりだしな。まあ、あんたの性格からして負けたおれを殺しはしねえだろ。だから、その後はあんたのご褒美タイムってやつさ。おれを自分の女にしな。おれは役に立つぜ。孕ませるのもOKだ。うん」


 自分の腹部に手を添えつつ、彼女はこう告げた。


「あんたが望むのなら子供ガキだって産んでやるよ」


「……おい。レオ」


 ライドが眉をしかめてレオを見据える。

 レオは「にひひ」と笑った。

 が、すぐに瞳を細めて、


「……ああ~ダメだ。これはマジでダメだな」


 片手を胸元に当ててそう呟く。

 そして、


「……参ったな。まさかこのおれがか。まあ、ずっと危険な状況ばっかでマジで女の本能が刺激され過ぎちまったのかもな。特に最後のは不意打ちだった。けど、おれにだって誇りがあるんだ。これまで奪った命の重みもな。だからねじ伏せてくれ」


 そう言って、レオは顔をライドに近づけた。

 そこに殺気は一切ない。

 だからこそライドは彼女の様子を窺うだけだった。

 初めて見るような緊張した面持ちのレオ。

 すると、

 ――チュっと。

 ライドの頬に彼女の唇が触れた。

 それはまるで子供の親愛スキンシップのようなキスだった。

 流石にライドも驚いた顔をする。

 ある意味、レオらしくもない行為にタウラスもロゼッタも少し驚いていた。

 ちなみにドラゴンは大きなアギトを開いて絶句している。


「………ん」


 そんな中、レオは吐息を零し、


「……これは今回助けてくれた分の前払いさ」


 顔を逸らして唇を押さえつつ、そう告げる。

 その横顔は首筋まで朱に染まっていた。


「悪りいな。へたくそで。けどこれが今の精一杯なんだ。姉貴が死んで以降、こういうのはずっと避けてたから、おれはガチで経験がねえんだよ。濃厚なのはおれをねじ伏せてからダーリンが教えてくれよ」


 赤らむレオは後ろに大きく跳躍した。そのまま一回、二回と後転して、


「そんじゃあまたな! ダーリン! あんたの嫁はまた殺しにやって来るからな!」


 彼女はドラゴンの背中から跳躍して落下した。

 全員がギョッとして跳び下りた場所へと駆け寄ると、眼下には黒い糸で全身が覆われて怪鳥と化したレオの姿があった。

 そのまま凄まじい速度で飛行していく。


『……妾の前でそこまでしおって』


 ドラゴン――ロザリンがアギトを怪鳥に向けた。


『タダで済むと思うでないぞ! 小娘がッ!』


 ――撃ち落とす!

 そう考えたのだが、思わずロザリンは動きを止めてしまう。

 視界の先に森の端が見えたからだ。

 魔王領からもう抜ける。ここで息吹ブレスを使っては大惨事だった。


『ぬぬ! あの小娘が!』


 ロザリンが唸る。

 現在地もあの隠していた飛行能力もすべて計算していたようだ。

 まさに絶妙なタイミングでレオは逃げ出していった。


「……やはり、お前は大変だな」


 一方、タウラスが苦笑を浮かべて、ライドの肩を叩いていた。

 ライドはただただ嘆息するだけだった。








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