第28話 その頃のライドは④
さて。
その頃のライドと言えば。
実はレオたちの遥か上空にいた。
肩にはミニバチモフを乗せている。
ライドが空にいる目的は星の位置を確認するためだった。
天蓋のような巨大樹の森の中では簡単に方向を見失ってしまう。
そのため、ライドは定期的に森の上空へと移動し、日中は太陽の位置で、夜は動かない星の位置で方角を確認していた。
(今のところ問題はないな)
星を見上げて、ライドはそう判断する。
どうやら順調に東に向かって進んでいるようだ。
移動を始めて、すでに二日目の夜。
一向に森の出口は見えないが、それでも確実に進んでいる。
それに他にも朗報もあった。
本当に無事なのか。上手く避難させられたのか、と心の奥では不安だったサヤとシャロンが無事であると聞くことが出来たのである。
しかも、それを教えてくれたのはティアだった。
(……ティア)
久しぶりに彼女の声を聞いた。
あの頃と変わらない。
ただ聞くだけで心が安らぐ声だった。
ライドは双眸を細めて、ミニバチモフの喉を撫でた。
あれ以降、ミニバチモフは少しぐったりしている。
流石にあの離れ業は相当に堪えたのだろう。
定期的な連絡は難しいと考えた方がよさそうだ。
とは言え、まさかここでティアと再び会話できるとは思わなかった。
彼女とは再会を約束した。
サヤもシャロンも彼女なら故郷まで送り届けてくれるに違いない。
(しかもアロも一緒にいるのか……)
責任感が強いアロが里から出たということは、ホロの方も順調にやっているということだろう。彼女も元気なのか気になる。話を聞けなかったのは残念だった。
(まあ、それを言うのならレイの方もだな)
ライドは懐かしむように目を細める。
レイは可愛い弟分である。しかし、もう十一年以上も会っていない。
冒険者に戻ってからはギルドなどで勇者王の逸話はよく耳にする。勇ましいところは変わっていないようだが、果たしてどんな
(それは再会した時の楽しみにしておくか)
レイともいずれ再会できるはずだ。
きっとガラサスの故郷で。
「…………」
少しの間、ライドは沈黙する。
そして、
(……オレも現金なものだな)
ややあって苦笑を浮かべた。
自分の掌を見つめる。
疲労が嘘のように消えていた。
再会は確かに楽しみである。モチベーションにもなっている。
ただ、それ以上にティアの声が聞けたことが大きいのだ。
(これはもう未練がましいどころじゃないな……)
掌を握りしめて、ライドは小さく嘆息する。
彼女の存在は今でも自分にとってこんなにも大きかったということだ。
ティアを抱きしめたい。
彼女を二度と離したくない。
誰にも渡したくない。
そんな強い想いが溢れ出てくる。
もしかすると、今のティアはレイと恋人同士かも知れないというのにだ。
(……やれやれだ)
トン、と拳で自分の胸を打つ。
(オレってやつは)
ライドは再び嘆息してかぶりを振った。
まさかここまで自分の独占欲が強いとは思ってもなかった。
やはり後悔していたのだろう。
何も決められなかったあの頃の自分に。
その結果、彼女の手を離してしまったことに。
(……いや、それもあるが、実際はきっと違うんだろうな……)
改めてライドは思う。
独占欲――確かに自分にも強欲さはある。
少なくともティアと付き合い始めた当初は、いずれは
けれど、彼女のことをよく知り、彼女をより深く愛することで自分の都合にティアを巻き込んでしまってもいいのかと悩むようになっていたのだ。
ただでさえ自分は異様に若い父親だった。だというのに自分よりもさらに年下である彼女に母親役を押し付けてもいいのかと考えてしまった。
(馬鹿だった。気遣う方向が間違ってるだろ)
ライドは渋面を浮かべた。
二人の未来だ。
未熟だった二人であっても一緒に考えるべきだった。
その結論がどんな形になったとしてもだ。
それこそが後悔だった。
そしてそれはすでに過ぎった日のことだった。
現在のライドとティアの関係は友人。
昔の仲間であり、かつての恋人だった。
(仮に今、ティアとレイが恋人同士だったとして)
ライドは人差し指でコツンと自分の額を突いた。
(素直に祝福できないなんて男としても兄貴分としても情けないぞ)
男女でコンビを組む冒険者は恋人同士であることが多い。
身近な例としてはロゼッタもそうだった。
しかしながら、それは絶対ではない。
昔からの付き合いのティアとレイは姉弟のような関係かも知れない。
まあ、こればかりは考えても仕方のないことだった。
「……今は脱出に専念しないとな」
ライドは地上に視線を向けた。
いま気がかりとしてはロゼッタのことだった。
現状を鑑みると伝えられる内に伝えておく方がいいと判断したが、当然ながら恋人の死は受け入れがたいに違いない。
だが、自分が声を掛けても所詮は他人事と受け取られるだろう。身を焦がすような復讐の情念は幸いにも自分は経験したことがない。だからこそ、同じ仇を持つタウラスにフォローを頼んだのだが、果たしてどうなっただろうか。
(そろそろ戻るか……)
そう考えた時だった。
不意に地上から声が届いたのだ。
それはレオの声だった。
鳥たちが慌てて羽ばたき、森が少しざわつくほどの大声だ。
「……レオ?」
ライドは表情を険しくした。
魔獣が跋扈するこの森で騒ぐのは悪手だ。
だが、そんなリスクを負ってでも彼女が助けを求めている。
よほどの異常事態に遭遇しているということだった。
「……くッ!」
ライドはすぐさま地上に戻ろうとした。
が、まさにその時だった。
不意に月光が遮られたのだ。
同時に地上の森に大きな影が差す。
(――――な)
ライドは目を見開いた。
ミニバチモフは顔を上げて『ばうっ!』と吠えた。
ライドも頭上に視線を向ける。
そうして目撃した。
月光を遮る巨大なるその存在を――。
◆
地上では激戦が繰り広げられていた。
――ズズンッ!
超重量級の戦士同士であるタウラスとゴーグが激突する!
戦鎚と嘆きの戦斧が幾度も交差した。
ゴーグの猛攻をタウラスが凌いでいる形だ。
身体能力はほぼ互角。技量ではタウラスがやや上か。
冒険者としてはまだC級だが、タウラスの前職は傭兵。しかも二つ名を持つほどの実力者だ。戦闘力だけならばA級上位にも匹敵していた。
対するゴーグは生まれながらの強奪者であり、類まれなる戦闘センスを持っている。
戦士としては両者とも劣っていない。
しかし、二人の持つ武具に大きな差があった。
ゴーグが持つのは激情を膂力に変換する宝具・嘆きの戦斧。
対するタウラスの武具は巨大かつ頑強ではあるが、ただの戦鎚だった。
この差はとても大きい。
一撃を凌ぐたびに戦鎚は軋みを上げていた。
「―――ふ!」
そんなタウラスを援護するようにロゼッタが攻撃を加える。
螺旋を描く棍の打突だ。
ゴーグの喉を狙った攻撃は肩を動かすことで防がれる。
まるで鋼鉄でも撃ちつけたような反動でロゼッタがたたらを踏む。
「邪魔なんだよ!」
薙ぎ払われる戦斧をロゼッタは華麗な後転でかわした。
その隙にタウラスが戦鎚を繰り出すが、それも戦斧の石突で払われる。
ゴーグ対タウラスとロゼッタの戦況は拮抗していた。
一方で、
――ザンッ!
三本の刃が胴体を斬り裂いた!
ザザの胴体をだ。
だが、出血はせずに根のようなモノによって接合されていく。
「おいおい。どうなってんだよ。それ」
斬撃を繰り出したレオが呟く。
後方に跳んで、さらに三又の尾でザザの眉間、喉、右腕を貫いてそのまま横へと斬り裂くが、それも効果はなさそうだ。
「ふふ。無駄だよ」
ザザは微笑んで言う。
「受肉した私は大幅に能力が制限される代わりに宿主の肉体の再生に関してはほぼ無敵だよ。殺すことはまず不可能だと思った方がいい」
「け。『ほぼ』とか『まず』って言ってる時点で絶対無理って訳じゃねえんだろ。察するに体のどっかに
そう指摘して、レオは不敵に笑う。
そして木々を使って縦横無尽に跳躍し、右腕を振り上げて再び接近するが、
――ドゴンッ!
予兆もなく大地から茨の蔓が大量に飛び出してレオの体を絡めとった。「……チィ!」とレオが舌打ちする中、蔓は彼女の両腕を吊るして足を拘束する。三又の尾もだ。
「君の推測は当たりだよ」
ゆっくりと近づきながらザザは言う。
「この体の中には
ザザは拘束したレオの前で立ち止める。
「本当に厄介だよ。神々の遺したこの封緘領域は。魔王領は魔獣や
そこでコツンと自分の額を突く。
「彼女と出会えたのは僥倖だった。さて」
ザザはレオの黒縁メガネを手に取って外した。
途端、レオの獣人の四肢と三又の尾が崩れ落ちてく。
「明らかに場違いなメガネ。やっぱりこれが君の宝具か」
ザザはニマニマと笑う。
「面白い宝具だね。どうやって手に入れたのか。君の脳に聞くのが楽しみだよ」
そう呟くと、
「け。アホか」
拘束されたレオがニヤリと笑った。
「そんな分かりやすいモンが宝具のはずがねえだろ」
そう告げた直後のことだった。
――ズッ!
黒縁メガネから無数の棘が生えてザザの手を貫いた。
ザザが驚いて目を丸くしていると、
――ドンッ!
今度はレオの全身から銀色の刃が飛び出してきた!
様々な形の剣だった。中には槍もある。
無数の刃がザザの全身を貫いて切り裂いた。
ザザは初めて表情を険しくして後方へと跳んだ。
「……やってくれたね」
全身の刃が崩れていくレオを、ザザは睨みつける。
「わざとらしいメガネは不意打ちのための
レオは「……チィ」と舌打ちした。
彼女の四肢は未だ茨の蔓に拘束されたままだった。
「流石に今の不愉快だったよ。私はね、愉快に自由に面白く生きたいんだよ。だから不愉快なのは大嫌いなんだ」
かぶりを振って、ザザは小さく嘆息する。
「最低限の知能だけ残してゴーグ君のプレゼントにでもしようかと思ってたけど、もういいよ。君は逆花火の刑だ」
興味を失くしたようにそう告げると、ザザは指先を上にあげた。
直後、茨の蔓が勢いよく動き、レオの体を遥か上空へと放り投げた。
瞬く間に大樹の高さを越えて空へと至る。
(くそ! やべ!)
まだ上昇している。とんでもない高さだった。だが、いずれこの上昇も止まる。そしてこの高さから落下すれば即死は免れない。
間違いなく地面に血の花を咲かせることになるだろう。
ここは最後の手札を切るべきか――。
そう考えた時。
(―――は?)
いきなり巨大な影が目の前を通過した。
レオは呆気にとられつつもそのまま上昇。そして遂に落下を始めるが、
――トスン。
さほど落ちることもなく彼女は力強い腕に抱き止められていた。
いわゆるお姫さま抱っこだった。
流石にレオも目を瞬かせる。
数秒ほど固まっていたが、この状況に思わず微笑を零してしまった。
絶対的な危機を前にして当然のように現れた彼に。
これまた当前のように救われて安堵してしまっている自分に。
「……にひ」
照れ隠しも込めてレオは口角を上げた。
そうして、
「流石だなダーリン。自分の女は誰にも渡さないってか」
自分を抱く彼の顔を見上げてそう告げた。
一方、
「……うるさい。今はそれを言うな」
彼――ライド=ブルックスは複雑な想いでそう返すのであった。
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