第26話 復讐は誰がために

 その夜。

 大樹の幹を背に、ロゼッタは一人、膝を抱えていた。

 彼女の瞳は少し腫れている。

 涙が枯れ果てるほどに泣いたためだ。

 ライドからあの人の話を聞いたからだった。このタイミングで語るべきかはライドも悩んだそうだが、伝える機会を失うことも考慮して教えてくれた。


 最初は信じられなかった。

 信じたくなかった。


 しかし、ライドの話にはロゼッタしか知らない情報もあった。少なくともあの海賊女よりもはっきりとした情報だ。もはや理解するしかなかった。


 ――あの人が死んだことを。


「……師匠せんせい。―――さん」


 膝を抱えたまま、ロゼッタが甘えたい時だけに呼んでいた彼の名を呟く。

 脳裏に浮かぶのは数多の思い出だ。


 彼と初めて出会った日。

 彼に弟子入りしたこと。

 指導は厳しかったが、棍術は槍よりも自分との相性が良かった。重い鎧を脱いだことも良かった。体が羽のように軽く感じた。

 徐々に自分の実力は上がっていった。神聖魔法の身体強化頼りで未熟だった氣の操作が巧く扱えた時は、彼は嬉しそうに笑って褒めてくれた。


 その笑顔に心が震えた。

 ぶっきらぼうだが実は優しい彼に強く惹かれていった。


 やや遅い初恋だった。

 自分の気持ちを自覚してからは、自分でも驚くほどに積極的になった。

 最初は子供扱いしてあしらっていた彼を押しに押した。

 そうして遂に結ばれた。

 初めての夜は流石に痛くて少し泣いてしまったが、それ以上に幸せだった。

 彼がとても優しかったから。

 まさか自分の愛する男性がここまで年上になるとは思ってもいなかったが。


 自分に甘い父はどう思うだろうか?

 過保護すぎてギルドに圧力までかけてくれたおかげで酷く苦労したが、彼と出会うことが出来た。この運命は父が導いたとも言える。

 とはいえ、彼に会わせたら奇声を上げて襲い掛かりそうだが。


 六つ上の兄はどうか?

 思えば兄とは十年ぐらい会っていない。兄はすでに他家の婿養子だった。いわゆる政略結婚である。女性が力を持つフラメッセ家の男児の宿命だった。

 幼かった頃、兄は優しかった記憶があるので受け入れてくれると思う。


 四つ上の姉はどう思うだろうか?

 美人で自慢の姉。精霊数はロゼッタの実に五倍。八百ものの加護を持ち、次代の大神官と見込まれている。ただ、あまりに優秀すぎたせいか、昔から男性の方が気後れして密かに自分の行き遅れを心配しているそんな姉だった。


 ともあれ、優しい姉である。

 自分よりもずっと年上である妹の恋人に困惑しても祝福してくれるに違いない。


 母は――怖い。

 古の賢者の家系・フラメッセ家の現当主。

 現大神官でもあり、厳格すぎる母が怖くて自分は逃げだしたようなものだ。

 彼を母に会わせるのだけは本当に心配だった。

 ある日の夜、それを彼に告げたらあの人は『鋭意努力しよう』と答えた。

 彼の腕の中で自分は笑ったものだった。

 ただ彼はとても真剣な眼差しで、


『ロゼッタの家族なんだろ? なら必ず説得するさ』


 そう言って、自分の髪を撫でてくれた。

 その手の温もりは今でも忘れていない。


「……………」


 ロゼッタはゆっくりと顔を上げた。

 その双眸は暗い。暗く、どこまでも深い。

 手に持つ棍を強く握りしめる。

 この森にはあの男と――自分を騙したあの女もいるはずだ。

 すでに死んでいるのかも知れない。

 だが、例えそうだとしても許せなかった。


(……奴らは私の手で……)


 そう決意して立ち上がった時だった。

 不意に、ドシンッと大きな足音がした。

 ロゼッタが虚ろな瞳で振り返ると、そこには戦鎚を携えたタウラスがいた。


「……ロゼッタ」


 タウラスが話しかけてくる。


「大丈夫か? 顔色が、悪いぞ……」


「大丈夫よ」ロゼッタは素っ気なく返す。


「心配しないで。それより私はこれから別行動をするわ」


 そう告げるロゼッタに、タウラスは嘆息した。


「……復讐、か?」


「そうよ」


 ロゼッタは即答する。


「奴らはこの森の中にいるはず。探し出して殺してやるのよ」


「……やめておけ。死ぬぞ」


 タウラスはかぶりを振った。


「奴らを、見つける前に、魔獣に殺されるだけだ」


「そんなの知ったことじゃないわ。あいつらさえ殺せるなら――」


「……俺もだ」


 ロゼッタの台詞を遮って、タウラスが言う。


「俺も、奴らに仲間を殺されている」


「……え?」


 ロゼッタが驚いた顔でタウラスを見やる。


「しかし、復讐は考えていない。奴らから、襲ってくるなら、別だが」


「……なんでよ」


 ロゼッタは険しい顔でタウラスを睨みつけた。


「仲間を殺されたんでしょう! なんで復讐しないのよ!」


「……これは、俺の考え方だが……」


 声を荒らげるロゼッタに対して、タウラスは告げる。


「俺は、復讐とは、自分のためにするものだ、と思っている」


「………は?」


 険しい表情のまま、ロゼッタは眉をひそめた。


「死者のためではない。そもそも、死者は何も感じられない。死とは、無だ」


 タウラスは語る。


「大切な者が死んだのに、それを奪った者は生きている。その理不尽が許せず、行うのが復讐の本質だ。俺は復讐を否定しない。しかし、奪った者を殺すために、どうして自分の命まで、くれてやる必要がある?」


「…………」


 ロゼッタはタウラスの言葉に耳を傾ける。


「俺には、まだ一人だけ仲間が生き残っている。俺は彼女を探し、救うために、復讐は後回しにした。復讐は、自分のためだからな。ファラと比べるまでもない」


 一拍おいて、


「すまん。上手く言えないな。俺が言いたいのは、復讐をするのなら、自分のためだと思え、ということだ。捨て身になっては、いけない」


「……なにそれ」


 ロゼッタは肩を落として嘆息した。


「そんなことを告げるためにここに来たの?」


「……ああ」


 タウラスが頷く。


「ライドからな。ロゼッタの相談に、乗ってくれと頼まれた」


「……思いっきりあなたの主観を告げられただけなんだけど……」


 ジト目でロゼッタは言う。

 それから頭上に目をやって、


「あなたもそうなの? レオ」


 樹の枝に腰を降ろしたレオに尋ねる。

 レオは「にひ」と笑って地面に降り立った。


「おれは違うさ。つうかダーリンがいま留守だろ? そのおっさんまでいなくなったらか弱いおれは一人になるじゃねえか。おれもここに来るしかなかったんだよ」


 肩を竦めつつ、レオはそう答えてから、


「けどまあ、そのおっさんの話には一理あるぜ。ロゼッタ。あんたは復讐の醍醐味ってやつがまだ分かっちゃいねえようだな」


「……どういう意味よ?」


 険悪な表情でロゼッタが尋ねると、腰に片手を当ててレオは「にひ」と笑い、


「復讐ってのは一方的に踏み躙ってこそなんだよ。絶対的な立場からさ。相手の後悔やら命乞いやら断末魔やらを堪能してこそ復讐ってモンなのさ」


「……俺は、そこまでは言っていないぞ」


 と、タウラスが言うが、レオは「にひひ」と笑みを見せて、


「商売柄その手のことには詳しくてな。自分の命と引き換えなんてナンセンスだ。そんなのプロの風上にも置けねえぜ」


「……私はプロなんかじゃないわよ」


 ロゼッタは溜息をついた。

 レオの台詞で完全に毒気が抜かれた感じだ。

 それにタウラスの言葉には胸に刺さるモノもあった。


(……復讐は自分のためか)


 復讐などしても死んだ者は喜ばない。むしろ悲しんでいる。

 そんな台詞は生者の勝手な想像だ。実際には死者は何も思わない。

 死とはそういう無情な事象だった。

 だが、そんな理屈や事実で納得できないのも復讐という感情である。


「まあ、案外、復讐は他人に任せた方がいいこともあんだよ。なあロゼッタ」


 レオはロゼッタの顔を覗き込む。

 それからロゼッタの心臓の上に指先を当てて、


「おれを雇わねえか? しっかりと復讐してやるぜ」


「……は?」


 ロゼッタは眉根を寄せた。


「どういうこと? あなたが今からあいつらを探して殺すってこと?」


「探す必要はなさそうだけどな。どうせ一戦すんのなら儲けようと思っただけさ」


 レオはそう返すと、おもむろに森の一角に目をやった。

 タウラスとロゼッタも表情を険しくして同じ場所に視線を向けた。

 すると、


「――やあやあ! ごきげんよう!」


 森の闇の中から一人の少女が現れた。

 年の頃は十六歳ほどか。

 髪は腰ほどに長く、男物のブラウスだけを羽織った裸体の少女だった。

 そして片目を緑色に輝かせる不気味な存在でもある。


「――え? だ、誰ッ!」


 ロゼッタがギョッとして棍を構える。

 こんな場所に少女が現れるはずもない。

 タウラスも戦鎚を担いで警戒した。

 しかし、少女はそんな警戒もどこ吹く風だ。

 とても親しげであり、どこまでも透明な笑みを浮かべて、


「月の綺麗な夜だね! 少し私とお話しようじゃあないか!」


 そう語りかけるのであった。







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