第22話 それはとても寂しがり屋で
深夜。
魔の森にて。
彼女は命の危機に瀕していた。
海賊のランダである。
海賊のコートはボロボロだ。裂傷で潰された目を覆っていた眼帯もない。男物のズボンとシャツだけがどうにか無事だった。
愛用の蛇腹剣は砕けて周辺に散らばっている。
そしてランダに同行していた部下の男たちは肉片と化していた。
(……くそ)
ランダは巨大な樹を背にして倒れていた。
無造作に樹に叩きつけられたのだ。
打ち所が悪かったのか、体が上手く動かせずにいた。
(……最悪だ……)
いきなりこんな訳の分からない森に飛ばされて。
どうにかゴーグと合流しようと、たまたま近くに転移された数名の部下と共に彷徨っていたが、唐突にこの紫色に輝く世界に閉じ込められた。
そしてあの化け物が現れた。
昆虫にも似た黒い人型の怪物だ。サイズも人間より少し大きいほどである。
その怪物は司令塔だったランダを樹に叩きつけると、混乱する部下たちを瞬く間に皆殺しにした。
すでに生き残っているのはランダだけだった。
……ザッザッザ。
黒い怪物がランダに近づいてくる。
『GYAAA……』
耳辺りまで裂けた口を開いて怪物はランダの顔を覗き込む。
次いで鉤爪でランダのシャツを切り裂いた。
ボタンが一気に弾け飛び、ぶるんっとランダの豊かな胸元が露になる。
四つある怪物の真紅の眼差しがどこか被虐的に歪んだように見えた。
(……こいつ)
ランダは最悪の事態を想像する。
それを示すように怪物の股間部の外骨格が開き、そこからぬめりと光る太い針のようなモノが姿を現した。
さしものランダも青ざめる。
(マジで最悪だ……)
魔獣の中には人間の女を凌辱する種族もいる。主に人型が多く、他種族の胎を利用して繁殖する最悪の種族だった。
この怪物もそのタイプらしい。
アギトから赤い舌がどんどん伸びてランダの肌に触れた。
(くそったれが!)
どうにか逃げようとするが、体はまだ動かない。
そうこうしている内に怪物は顔を近づけてきた。
その時だった。
――ゴキンっと。
いきなり怪物の首がへし折れたのだ。
それだけではない。怪物の体が宙に浮いて四肢があらぬ方向にへし折れる。よく見ると怪物の体は茨の生えた緑色に輝く蔓で絡みとられていた。そして茨の蔓によって塵のように後方へと投げ捨てられた。
同時に表面が剥がれ落ちるように紫色の輝きが消えていった。
森に闇が戻ってくる。
(――――な)
ランダは困惑した。
すると、
『……ニンゲン……』
唐突に声が聞こえた。
男か女かも分からない声だった。ランダが愕然として声の方へと目をやると、そこには茨の蔓が集まって柱の形を造る不気味な存在が立っていた。
まるで人面樹のようだった。目と口辺りに窪みだけがあった。
茨の蔓が蠢き、うっすらと緑色に輝く人面樹である。
『ニンゲン! ニンゲン! ニンゲンダ!』
人面樹は嬉しそうにそう語る。
そして蔓が伸びてランダの体を絡めとった。
そのまま軽々と持ち上げる。
『ウレシイ! ニンゲン! ニンゲン! ヒサシブリ!』
「な、なん、だ……」
ようやく喋るようになったランダが呆然と呟く。
「……なんなんだ、お前は……」
『シャベッタ! オシャベリ!』
人面樹はさらに嬉しそうに言う。
『オシャベリ! オシャベリ、シヨ! オシエテ!』
「―――があッ!?」
ランダは目を剥いた。
体に絡みついた蔓の一つが彼女の腹部に突き刺されたのだ。それは蠢きながら体内にめり込んでいく。ランダは絶叫を上げた。
一方、人面樹は、
『オシャベリ! オシエテ! キミノコト! キミノこと……』
愉しげに全身を揺らした。
『おしえて。キミ、君のコト。モット知りたいんだ』
蔓が体内に侵入するほどに人面樹の言葉は流暢になっていく。
しかし、ランダはそれどころではない
ひたすらに絶叫していた。蔓は根のように体中に侵食している。
そして、
『さあ、教えて』
人面樹は言う。
『君のことを。過去も。未来も。君のすべてをさ』
◆
その夜。
ゴーグたちは魔の森で野営をしていた。
森の中で焚火が一つ。それを囲って座っている。
会話もなく倒した魔獣の肉を火であぶって口にしていた。
この場にはゴーグを含めて五人しかいなかった。
他はすべて魔獣の犠牲になった。
流石に全員疲労の色が濃い。
ゴーグでさえ嘆きの戦斧を肩に疲労を隠せない様子だった。
骨の付いた肉塊に喰らい付き、
(くそ。どうすっか……)
ゴーグが眉をしかめる。
転移の罠にかかって飛ばされた森。
跋扈する魔獣のレベルからして恐らく魔王領だ。
すぐにでも脱出しなければいずれ力尽きる。
そもそもすでに部下たちは限界だった。
(だが、どっちに行きゃあいいんだ? それにランダが見つからねえ)
ランダは自分の女だ。
まだ生きているのなら見捨てるつもりはなかった。
それにランダなら打開策を考え出してくれるかも知れなかった。
(まずはランダを見つける。そうすれば――)
と、ゴーグが考えていた時だった。
「――あ、姐さん!」
部下の一人がいきなり立ち上がって叫んだ。
ゴーグの背後を凝視している。
ゴーグも含めて全員が視線を向けた。
そこにいたのはランダだった。
普段のコートもなく、胸元から腹部まで解放したシャツに黒いズボンを履いている。
武器も持たず眼帯もしていなかったが、大きな負傷はしていないようだ。
いつの間にかそこに立って微笑んでいた。
(―――は?)
ゴーグはその姿にゾッとした。
見たこともないランダの優し気な微笑みにも違和感を覚えたが、それ以上に本能が最大級の警鐘を鳴らしたのである。
だが、部下たちにはそこまでの獣じみた直感はなかった。
「姐さん! 生きてたんすね! 良かった!」
部下の一人が上司の生存を喜んで駆け寄った。
「馬鹿野郎! 近づくんじゃねえ!」
ゴーグは警告するが遅かった。
一瞬後、
――ズブリ、と。
微笑むランダの指先が部下の額に突き刺された。
部下は「はへ?」とキョトンとしていた。
そして頭部に緑色の根が張られた。
「ふんふん。君の名はギル君だったよね」
ランダが愉しげに頷く。
「けっこう裕福な家の子だね。けど、義母の連れ子だった義妹を強姦して勘当されちゃったか。酷い子だね。君の妹さん、まだ十三歳だったじゃないか。うわあ、嫌がる義妹に何度も何度も。なんて見事なクズなんだろう」
ガクンと頭部を指で射抜かれた男が崩れ落ちる。
「けど、面白かったよ。ありがとう」
ランダは倒れた男に微笑んで感謝を告げる。
よく見ればランダの瞳は両方開かれていた。
潰れていた片眼に翡翠石のようなモノが埋め込まれているのである。
その瞳は爛々と輝いていた。
その異常な事態に部下たちはようやく危機感を覚えた。
「う、うわああ!」「バケモンだああ!」
全員が蜘蛛の子を散らすように逃げ出した。
しかし、
「あ。ダメだよ」
ランダは両腕を広げた。
「もっと私と会話をしよう。君たちの君たちだけの物語を教えてくれ」
直後、ランダの両腕から茨の蔓が生えて逃げる海賊たちの頭部を貫いた。
ただ一人、ゴーグだけは蔓を掴んで握りつぶしたが。
ランダは――否、ランダの姿をした何かは微笑んだまま瞳を閉じる。
そうして、
「うんうん。クズな人生ばかりか。けど興味深い」
そう呟くと同時に頭を射抜かれた全員がその場に倒れた。
「ところでゴーグ君」
「……あン?」
親し気に自分の名を呼ぶ
「君は最初から私が『ランダルシア=ガルドム』じゃないって気付いたみたいだね」
「当り前だろうが」
嘆きの戦斧を片手にゴーグは吐き捨てる。
「自分の女を見間違えるかよ。ましてやそいつは俺の
「……へえ」
「意外や意外。君はそこまで本気だったんだ。どうやらランダは自分自身が思っていた以上に君に愛されていたんだね」
「……ランダは」
険悪な眼差しでゴーグは問う。
「どうなった? そもそもてめえは誰だ? その体はランダのモンだろ?」
「おおっ!」
普段のランダなら見せることのない少女のようなあどけない仕草だ。
「愛の力は凄いね。そこまで見抜くのか。うん。なら教えよう」
コツコツと自分の頭を人差し指で突き、
「ランダはまだ生きてるよ。この中で眠っている。まあ、私が声をかけない限り目覚めることはもうないんだけどね」
「……そうかよ」
ゴーグは重心を低く、嘆きの戦斧を構えた。
「ランダはもう死んだと同じってか」
「いやいや。死んでないよ。私次第ってことで」
「そうだね。君には興味がある。私もランダの記憶でしか知らないことがあるし」
「……なに言ってんだ? てめえ?」
ゴーグが訝し気に眉をひそめると、
「私と契約しよう。ゴーグ君」
「そしたら週一ぐらいには君の大切なランダを起こしてあげるよ」
「……ランダを解放するってのはねえのか?」
「それは無理だね」
「もう完全に根付いたからね。無理に私を引き離すと彼女は死ぬよ」
ゴーグは
そして、
「……契約ってのはなんだ? 代価に俺の魂でも欲しいのか?」
「うわっ。酷いな。それだと私は悪魔みたいじゃないか」
「私はもっと上等な存在だよ。それに私の代価は簡単だよ。ほぼリスクなしだ。まず君が私の眷属になること。人間界でサポートして欲しいんだ。そしてもう一つ」
そこで
「これから私と
「…………は?」
流石にゴーグも呆気にとられた。
「受肉したのは初めてでね。興味があるんだ。ランダの記憶だと君との
「……何だよそりゃあ。くそ」
ゴーグは舌打ちした。
同時にズンっと戦斧の石突で大地を打つ。
そうして、
「……ああ。分かったよ。契約してやるよ。だからランダを殺すな。それとまずてめえの名を聞かせろ。ランダとは呼びたくねえ」
ゴーグがそう問うと、それは「うん」と微笑んだ。
「いいよ。私の名前はザザンガルド」
微笑みと共に両腕を広げて、
「君の女神となる者だ。敬愛を込めて『ザザ』と呼ぶといいよ」
そう名乗るのであった。
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