第19話 死糸の蜘蛛

 ――その頃。

 大きな洞窟にて。

 彼女は一人、入浴していた。

 獣耳を持つ十四歳ほどに見える少女。

 レオである。

 白磁の肌を胸元まで湯に浸けている。

 入浴中なので当然ながら一糸も纏っていない。

 だが、唯一黒縁メガネだけはかけたままだった。

 湯気で曇っているが、元々少し視線からずれているので気にしていないようだ。


 レオは「う~ん……」と両腕を伸ばす。湯の雫が裸体を伝った。

 なお彼女の浸かっている湯は温泉などではない。

 地面に大穴を空けてから湯で満たした簡易浴場だった。

 すべてライドの精霊魔法によるものである。

 水を生み、火を起こし、地形を変える。

 この洞窟さえもアース系の精霊魔法でライドが造り上げたものだった。


(……大したもんだな)


 レオは苦笑を浮かべた。

 サバイバルにおいて精霊魔法の使い手がいれば生存率が跳ね上がるというが、それが事実であることを、身をもって実感した。


(まあ、それも焼け石に水だろうがな)


 そこで天井を仰ぎ、


「……くそ」


 レオは舌打ちした。

 やはり厳しいのは『相棒』の動力残量が少ないことだ。

 不意打ちを信条にしていたというのに正面からの戦闘。

 あれが想定外だった。

 その消費が今となっては痛い。『相棒』は完全に空腹状態だった。

 しかも、全力でも押し切れなかったのだから目も当てられない。


(完全にしくったな)


 命を奪うのは糸一本でいい。

 透明なる一筋の刃。それがレオの殺しのスタイルだ。

 それが達成できなかった時点で一度撤退すべきだった。

 だというのに自分が打った手は悪手としか呼べない全力戦闘。

 数多の命を奪い、『形無』と呼ばれるようになって慢心していたか。


(……くそったれが)


 内心で悔やむ。

 と、その時、


「……凄いわね」


 裸体の女がやってきた。

 髪を下ろしたロゼッタである。


「A級の精霊魔法師でもここまで見事に魔法は扱えないわよ」


「そりゃあ、おれのダーリンは特別だからな」


「……そう」


 怪訝な眼差しをレオに向けつつ、ロゼッタも湯に体を浸からせた。

 ふうっと息を零してから、ロゼッタは眉をしかめた。


「……こんなことをしてていいのかしら……」


「サバイバルで清潔な状態を維持すんのは必須だぞ」


 レオはロゼッタを一瞥して言う。


「怖いのは目に見えねえ細菌だ。体内から食い荒らされたら終わりだぞ」


「それは分かってるわよ」


 ロゼッタはレオを睨み据える。


「私が言っているのは、私にはこんなのんびりしている時間はないってことよ」


 ギリと歯を鳴らした。

 一方、レオは「にひ」と笑った。


「海賊に捕まってるっていうあんたの恋人か? アホか。死にかけ拾ってどうすんだよ。そんなもんとうに死んでるぜ。海賊どものハッタリに決まってんだろ」


「……それでも」


 湯の中で膝を抱えて、ロゼッタは言う。


「私は信じるしかないのよ。確かめずにはいられないのよ……」


「ああ~、恋は盲目ってか」


 レオは肩を竦めた。

 すると、ロゼッタは険悪な表情を見せて、


「……あなたこそ何なのよ」


 一拍おいて、


「あなたはあのライドさんって人を殺しにきた暗殺者なんでしょう? それなのに随分と親しげなのね。ダーリンって何よ?」


「け。残念ながらそこまで親しくはねえよ」


 レオは「ふん」と鼻を鳴らした。


「ダーリンはおれを気遣ってくれているよ。なにせ、今のおれはマジで見た目通りの戦闘力だしな。けど、あいつは隙だけは見せねえ。もしもおれが殺意を少しでも向けたら即座に首を刎ねられるだろうな」


 とんっと自分の首筋に手刀を置くレオ。

 一方、ロゼッタは眉をひそめた。


「そもそもあなたの力って何なのよ?」


「……あン?」


 眉をしかめるレオに、ロゼッタは言葉を続ける。


「あなたの戦闘は私も見たわ。死体が別の男になって、武具や魔獣まで体から生やす怪物になった。そして今は小柄な女の子。その姿は本当にあなたの姿なの?」


「……この姿についちゃあマジでおれの素の姿さ」


 レオは片掌を掲げて嘆息する。


「声も口調も性格も女であることもな。無能なおれの本来の姿だ」


「……そう」


 ロゼッタは双眸を細めた。


「察するにあれは宝具だったってことね」


 一呼吸入れて、


「どういう宝具なの? この状況なのよ。聞かせてくれていいんじゃないかしら? ライドさんには話したんでしょう?」


「……け」


 レオが渋面を浮かべた。


「こいつに関しては別に話した訳じゃねえよ。あいつはマジで化け物だ。たった数合でおれの宝具の機能を見抜きやがったんだよ」


 ボリボリと頭を掻き、


「おれの宝具はこいつだ」


 コツンと指先で黒縁メガネのフレームを叩く。

 すると、どこからかとても小さな物体が駆け寄って来た。

 それはレオの腕を伝って指先にまで移動する。

 ロゼッタが目を細めると、指先には小さな黒蜘蛛がいた。

 生物ではない。機械仕掛けの蜘蛛のようだ。


「……蜘蛛? まさかこれが?」


「ああ。死糸蜘蛛ししぐもっておれは呼んでいる」


 レオは説明する。


「おれのメガネが操具だ。これをかけてりゃあ意志だけで操れる」


 死糸蜘蛛を乗せた指先を掲げて、


「こいつの機能は自分の質量の何千倍もの糸を吐き出すこと。強靭で汎用性が高い糸だ。おれはそれを操り、様々な形を造っているってことさ」


「……なるほどね。けど」


 そこでロゼッタは眉をひそめる。


「今は使えないってどういうことなの? 宝具なら魔力で動いているんでしょう?」


「ああ。こいつ自身はな」


 レオは死糸蜘蛛を見据えて皮肉気に笑う。


「糸を出して操る機能はまた違うんだよ。こいつは言わば捕食型の宝具だ。飯を食うことで動力にすんだよ」


「……捕食って」ロゼッタは不気味そうに死糸蜘蛛を見やる。「何を食べるの?」


「いわゆる植物だよ。草とか樹の根とか葉」


 レオは即答した。


「ただ自然物はほとんど動力になんなくってな。こいつ美食家グルメなんだよ。好物は玉菜キャベツ。人工栽培――要は人間が作った野菜しか動力になんねえんだよ」


「……それはまた変わった宝具ね」


 ロゼッタは胡散臭そうな表情を見せる。


「けど、動力さえ充分なら全く別の人間にさえも擬態できるってことね……」


 そう呟いたところで、ロゼッタは神妙な眼差しをレオに向けた。


「あなた、命を削りかねない禁薬で無理やり成長を抑制したそうね。それは小さな体の方が擬態するのに都合が良かったからってこと?」


「ああ。その通りさ」


 死糸蜘蛛を指先に乗せたまま、レオは肩を竦めた。


「身長もそうだが特に胸がな。あのまま成長していたら確実に男の胸囲を越えちまっていた。男に擬態できないってのは選択肢としてきつい。そもそもこの宝具の特性からして本体が小さい方が明らかに使用の幅が広がるからな」


 ――要は道具が扱いやすいから。

 ただそれだけのためにレオは大人になることを止めたのだ。

 流石にロゼッタも眉をひそめた。


「……なんて馬鹿なことを」


「ああ。そうだな」


 レオが「にひひ」と笑う。

 指先から死糸蜘蛛を弾き、自分の双丘を両手で挟んだ。


「今はそう思うよ。成長を止めたのはまずかったかもな。今のおれのおっぱいでダーリンを満足させられるかってのは不安だな」


「……あなたは」


 ロゼッタは嘆息した。


「その態度も一体どこまで本気なの?」


「さあな」


 レオは双眸を細めた。


「ただ自棄やけになっているだけかもな」


 そこで皮肉気な笑みを見せる。


「そもそもここはどこの大陸なんだ? どっちに行けば森を抜けられるんだ? はっきり言って絶望的だ。おれらを助けに来る奴もいねえんだからな」


 肩を竦めてレオは言う。


「だったら処女のまま死にたくねえ。命の危機なら子供ガキを孕んでおきてえ。しかも知勇武に優れた男のたねなら尚更だ。どっちも自然な流れだろ。おれはむしろ女としての当然の本能だと思うぜ」


 ロゼッタは何も答えずに渋面を浮かべた。

 果たしてそれは本音なのか。


「まあ、あんたも覚悟しておけよ」


 レオは双眸を細めた。


「これはあんたにも言えるんだぜ。けど、ダーリンはおれの男だからな。あんたの相手はあの大男だ。あの体格だからな。ありゃあ相当にキッツイぞ」


 にひっと笑う。



 暗殺者・かたなしのレオ。

 彼女の真意はまだ分からない。





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