第15話 訪問者

 そうして五日ほど経った。

 その期間は平和なものだった。

 リタたちも甲板で訓練や自室で勉強などもしていたが、基本的に今回は長期休暇という認識で船旅を楽しんでいた。

 どこまでも広がる大海原の景色を眺め、海の幸をふんだんに盛り込んだ食事を堪能し、豪華な入浴も満喫した。船の一角にはカジノのような施設もあるのだが、それは真面目なカリンがダメ出ししたので行く機会はなかった。


 甲板や食堂ではよく声も掛けられた。

 明らかに高価な服を着た貴族や冒険者たちにだ。

 俗に言うナンパだった。

 リタたちは全員が美少女。ジョセフにしても何気に美形だ。

 集まって行動すればどうしても目を惹く。

 多くはリタたち狙いの男だったが、中にはジョセフ目当ての女もいた。

 いささかうんざりしつつも丁重に断っていた。


 いずれにせよ平和な話である。魔獣の襲撃も特になかった。

 しかし、その日の朝。

 そんな日常は一瞬で崩れ去った。

 ジョセフも交えて、リタたちが自室で談笑していた時、


『急げ!』『マジか!』『最悪じゃねえか!』


 そんな悲鳴に似た声が廊下から聞こえてきたのだ。

 ドア越しにでも聞こえるので怒号レベルの声だ。


『護衛は――いや! 戦える奴は全員甲板に急げ!』


 恐ろしく切羽詰まった口調だった。

 リタたちは互いに顔を見合わせた。

 全員が真剣な面持ちをしている。


「……姫」


 ジョセフが腰の剣を掴んで告げる。


「恐らく強力な魔獣と遭遇したのではないでしょうか」


「……そうね」


 リタも壁に立てかけていた大剣を腰に吊るした。


「ここにいる護衛ってC級とかB級だもの。並みの魔獣なら撃退できるわ。なのにあの焦りよう。下手をすると……」


「……大魔獣グラザララザか」


 ライラが眉をしかめながらそう呟く。愛用の金棒はすでに肩に担いでいる。


「海で遭いたくない第一位の魔獣だね」


 カリンも錫杖を手に取った。


「そうね」


 ジュリが頷いた。当然ながらその手には竜骨の杖を握っている。


「客だからとか言ってられないわね。リタ。行くんでしょう?」


 リタは「ええ」と答える。


「まずは状況を見ないとね。大したことでなければ越したことはないんだけど」


 そう告げるが、内心ではずっと嫌な予感がしていた。

 ともあれ、リタたちは武装して部屋を出た。

 廊下は騒然としている。

 異常を察して部屋を出た客。甲板に向かう冒険者たち。

 船員が「お客さま! こちらです!」と船体の後方に案内していた。

 リタたちも客だが、その格好から護衛と判断されたようだ。声を掛けられることなく船首側の甲板へと向かった。

 そうして、


「――――――な」


 その光景を目の当たりにしてリタは唖然とした。

 ジュリたちは言葉を失っていた。

 そこには想定通り魔獣がいた。

 しかし、考えていた最悪の大魔獣ではない。


 ――いや、それ以上の最悪だった。


 先に甲板に到着した冒険者たちは全員が硬直していた。

 戦闘はまだ始まっていない。

 だが、あまりの格の違いから戦う前から戦意喪失したのだ。

 その気持ちは痛いほど分かる。

 なにせ、襲来した魔獣。

 それは最悪の中の最悪だった。


 ――グフウゥ……。


 アギトから溢れ出す吐息。

 背には巨大な翼。長い鎌首を持ち、眉間には一筋の傷が刻まれている。全身が異様な筋肉に覆われ、身を乗り出すように船首に片腕を乗せていた。

 要は上半身だけを見せているような状況だった。

 よく見れば海が凍結していた。その上に魔獣は立っているのである。


 これほどの凍結能力を有する魔獣は一種しかいない。

 氷結の『青』と呼ばれる竜種の一角。

 ブルードラゴンだけである。


 事実、その魔獣は水晶のように輝く青い竜鱗を持っている。

 しかもこの巨躯にこの威圧。

 成竜――否、古竜クラスの怪物だった。

 吐き出す息だけで凍死してしまいそうな緊迫感である。

 他の冒険者たち同様にリタも硬直していたが、


「ジュジュジュ、ジュリ! ジュリ先生っ!」


 同じく固まったままのジュリに向かって叫ぶ。


「ドラゴンです! 出番です! 竜殺しドラゴンスレイヤーの!」


「む、むむむむ無理無理無理無理っ!?」


 ジュリが竜骨の杖を両手で掴んで、凄い勢いでかぶりを振った。


「私たちが戦ったレッドドラゴンと大きさが全然違うわよ! 迫力も! 先生があの時のドラゴンを『火を吐いて空を飛ぶ大トカゲ程度』って言ってた理由が分かった! あれは幼竜ドラゴンパピーでした! 私たちって竜殺しドラゴンスレイヤーじゃなくて幼竜殺しドラパピスレイヤーだった!」


 泣きそうな顔でそう叫んでいた。

 カリンは完全に放心し、ライラはギリと歯を軋ませていた。

 ジョセフは神妙な表情で愛剣を抜き、


「……姫」


 主君に告げる。


「船の後方には脱出用の救護艇もあるはず。このジョセフが数分は稼いでみせましょう。どうか姫は皆を連れてお逃げください」


「……ジョセフ」


 ジョセフの覚悟にリタは真剣な表情を見せた。


「ダメよ。その役割はリーダーのあたしがすべきだわ」


「いえ」ジョセフはかぶりを振った。


「主君のため。そして仲間のために命を賭すのは騎士の誉れ。いかに姫のお言葉としてもこればかりは譲れませぬ」


 ジョセフがそう返した時だった。

 ズオオオッ、と。

 ドラゴンが鎌首を伸ばしてきたのだ。

 それもリタたちの方へとだ。


 圧倒的な存在感。

 ドラゴンがその気になれば一瞬で吹き荒ぶ『死』を想像して全員が硬直した。

 他の冒険者たちも全く動けない。


 すると、


『……ふむ』


 いきなりドラゴンが口を開いたのだ。

 リタたちは冷気の吐息に晒されて髪が後ろになびいた。


『なんだ? あやつかと思ったが寵姫であったか』


 喋るドラゴンに、リタたちはハッとした。

 ようやく少し硬直が解ける。


「あ、あの、言葉が話せるの、ですか?」


 リタがそう尋ねると、ドラゴンは鎌首を少し上げて『うむ』と頷いた。


「え、えっと、御用はなんでしょうか?」


 言葉が話せるのなら交渉が可能かもしれない。

 そう考えたリタは勇気を振り絞って対話を試みる。と、


『ふむ。尋常ではない精霊の数を感じたのでな。あやつがまだ近くにいるのかと思ったのだが寵姫であったとはな』


「ちょ、ちょうき? 何でしょうか? それは?」


 リタが恐る恐る尋ねると、


『ふむ? ヌシのことだが?』


 ドラゴンは鎌首を傾げた。それからジュリの方を一瞥し、


『そちらの娘もそのようだな。従えている精霊の数からしてヌシの方が正妃。その娘は側室といったところか?』


「え? それってどういう……?」


 ジュリは困惑する。

 当然ながらリタも含めて他のメンバーもだ。

 しかし、それには構わず、


『我が名はグルードゥ。古青竜エンシェント・ブルードラゴンのグルードゥなり』


 ドラゴンは名乗りを上げた。

 それからリタとジュリを見やり、


『精霊王の寵姫たちよ。このグルードゥがヌシらに問う』


 一拍おいて、こう尋ねた。


悪神あくしんごろしの英傑。ライド=ブルックスはどこにおるのだ?』






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