第12話 その頃のライドは②

 狂える獣の怨讐。

 海賊女王の思惑。

 神聖拳士の覚悟。

 様々な想いは時間の経過と共に交差する。

 そうして。


 その頃のライドは――。


 まさに『最悪』としか呼べない事態に陥っていた。


 空は曇天。

 雨こそ降っていないが雷雲だった。

 時折、稲光が奔る。


 そこは巨大樹の森の中だった。

 蔓上の植物が巨樹の幹に絡み、蟲が蠢いている。

 そして目の前には化け物がいた。

 虎に似た魔獣だ。

 ただ、その体躯は虎の三倍はある。

 ライドは片手を前に魔剣を水平に構えていた。

 そして、

 ――ドンッ!

 凄まじい速さでライドが跳躍する。

 氣で身体を強化。さらには風系精霊魔法で加速していた。

 しかし、


『ゴオオオオオッ!』


 咆哮を上げて、巨獣は迎え撃つ。

 巨獣も跳躍したのだ。

 剣士と巨獣の姿が霞むような速さで何度も交差する。

 そうして、

 ――ザンッ!

 決着がついた。

 魔剣の一太刀で巨獣の頭部が両断されたのだ。

 ズズゥン、と轟音を立てて巨獣の骸は倒れた。

 ライドは魔剣の血を払って鞘に納める。

 そうして小さく息を吐いた。

 すると、


 ――パチパチパチ。


 不意に拍手の音が響いた。

 樹の上だ。そこには大きな枝がある。

 拍手の主はそこにいた。

 ライドは顔を上げて、太く大きな枝に腰をかける人物に目をやった。

 そこにいたのはとても小柄な少女だった。


 年の頃は十四歳ほどか。

 髪は肩に掛からない長さで深紫色。ボサボサ髪で毛先の整え方は実に雑だった。伸びてきたら適当に自分で切り落とした感じである。前髪など少し斜めになっていた。さらに髪の上には尖った獣の耳があった。しかし、腕に獣毛はなく尻尾もない。獣人族の血を引いているようだが、種族までは分からなかった。


 肌は白く、瞳は髪と同色だ。少しずれた感じで大きな黒縁メガネをかけている。

 全身を覆う黒い服はかなり特殊な構造だった。簡潔に言えば体に密着した極薄のスーツである。肩と腕以外を覆っていた。

 総じて美しい少女である。ただ、その眼差しはどこか斜に構えていた。


 そして彼女は肩に小さな獣を乗せていた。

 ――バチモフである。仔犬よりも小さいサイズのバチモフだった。


「やっぱスゲエな。あんたは」


 少女は言う。

 それから、おもむろに体を前のめりに落下させた。


「……おい」


 ライドは落下してきた少女を受け止めた。

 正面から抱き止めた形だ。


「ん。ありがとな」


 ライドの首に腕を回して少女は微笑む。


「優しいな。流石はおれのダーリンだ」


「……勝手に旦那にするな」


 ライドは嘆息する。

 一方、少女は「にひ」と笑うと、軽やかにライドの肩によじ登った。

 変則的な肩車だった。片足を前にぶらさげて、彼女はライドの肩の上に陣取る。

 小柄といえ少女一人分の体重をかけても揺るがないライドの体幹も凄いが、重力を無視したような彼女のバランス感覚にも目を見張るモノがあった。


「いいじゃねえか。どうせここ・・にはおれとあんたしかいねえ」


 ライドの肩の上で彼女は言う。

 ちなみにミニバチモフはそんな彼女の肩に頑張ってしがみついていた。


「おれはあんたの『死出の花嫁』だ」


「…………」


「あんたがどんだけ強くても、気力にも体力にも限界がある。おれの『力』も補給なしだとあと一回ぐらいしか使えねえ」


「…………」


 ライドは未だ無言だった。


「結局、おれらはもう詰んでんのさ。おれらがここに来てもう三日目なんだぜ。その間、中級以上の魔獣に何度襲われた? あの海賊クズどもも、あんたのお仲間の大男もとっくに死んでいるさ。まあ、おれらもいよいよヤバくなったら――」


 少女は妖艶に笑う。


「マジでおれを抱いていいぜ。まあ、胸は小ぶりサイズに見えるが」


 そこで自身の胸を左右から両手で押し潰す。

 手を離してみると、ふるんっと弾んだ。


「元々人よりも成長が早かったから無理やり止めた・・・んだ。胸も尻もそれなりに肉付きはあるぜ。女として堪能はできるさ。しかも初物だぞ。どうせ死ぬんならおれも一度ぐらいは男を知っておきたいしな」


 一拍おいて、


「誇ってもいいぜ。天象剣。あんたはこの『形無・・』の最初で最後の男って訳だ」


「……まるで自棄やけになった子供だな」


 ライドは嘆息した。

 そして彼女を肩に乗せたまま歩き出す。

 降ろしてしまいたいところだが、彼女は靴を履いていない。彼女の服は伸縮性と同時に多少の耐刃性もあるそうだが、素足に薄い布を纏っているだけの状態で森の中を歩かせる訳にはいかなかった。

 一方、彼女はムッとした表情を見せる。


「誰が子供ガキだ」


 そうして、彼女は再びライドの体の上を移動する。今度はくるんと前へと移り、ライドの腰に足を回して脚力だけで自分の体を固定した。

 真正面からライドと視線を重ねた彼女はジト目を向けた。


「最初に言っただろうが。おれはこう見えても二十一だ」


「お前は見た目以上に言動が子供なんだ」


 流石に足を止めてライドは言う。

 その表情はいつになく険しかった。


「禁薬で成長を強制的に抑えるなんて馬鹿げた話だ。お前は合理的だと思っているのかも知れないが、それこそ子供の無謀な発想だぞ」


「うっせえな。それがおれにとっての最善だったんだよ」


 彼女は不貞腐れた様子で言う。


「所詮おれは無能ゴミなんだよ。獣人の力は半端。自分でも何の獣人なのかも分かんねえ。自慢できんのは無駄な生命力と役にも立たねえこのバランス感覚だけだ。『相棒』の力がなければ何も出来ねえんだよ。なら『相棒』のために体を調整するぐらい当然だろ」


「……お前は手に入れた『力』に固執しすぎだ。成長すれば他の道も見出せた可能性もあったんじゃないのか?」


 ライドがそう指摘すると、彼女は「はン」と鼻を鳴らした。


「そんで娼婦にでもなれってか? おれの見た目ならそんな道もあったかもな。ああ、これも取り柄か。ナイスアドバイス。ダーリン」


 彼女は皮肉気に笑いつつ、ライドの頭を両腕で抱きしめた。


「けど、それだとダーリンはおれの初めてを堪能できなかったな。良かったな。おれがその道を選んでなくって」


「……お前は本当に捻くれてるな」


 ライドは彼女の首根っこを掴んで無理やり彼女を引き剥がした。


「オレの言ってることなんて綺麗事だってのは分かるさ。だが、それでも自分自身で未来を拒絶してしまったら本当に何も始まらないぞ」


 そこで大きな溜息をついて、


「それと何度も言ったが、オレを旦那呼びするのはいい加減止めろ」


 ライドはうんざりした様子でそう告げた。

 すると、少女はにんまりと笑った。


「何だよ。もしかして照れてんのかよ、ダーリン。さては他人の娘を育てんのに必死すぎて女を知る機会もなかったのか? おいおい、まさかの童貞パパかよ」


(……リタとアリスのことも調べているのか)


 ライドは双眸を細める。


「オレとしてはくだらない冗談よりも、お前の依頼者のことを聞きたいな」


「……それだけは言えねえよ」


 一転して、少女は面持ちを鋭くする。


「おれにも暗殺者としての矜持があるからな。無様に依頼を失敗しようが、これだけは墓にまで持っていくつもりだ」


 そう告げてから、すぐに意地の悪い笑みを浮かべて、


「まあ、どうしてもって言うんなら矜持も何もかも全部頭から吹き飛ぶぐらい処女のおれをトロけさせてみな。おれが甘い声で懇願するまで徹底的に堕としてみな。にひひ。童貞パパには無茶な話だろうけどな」


「……本当に口が悪い」


 ライドは少し頭が痛くなってきた。

 もし愛娘リタがこんな感じに育っていたら相当なショックを受けるに違いない。


「一応言っておくがオレにだって恋人はいたぞ。元恋人ではあるが」


「え? マジで?」


 少し驚いたのか、少女は目を瞬かせた。

 と、その時だった。


『――ばうっ!』


 ずっと少女の肩にしがみついていたミニバチモフがいきなり吠えたのだ。

 そして彼女の肩から跳び下りると、ライドたちの前方へと走り出した。

 ライドは顔色を変えた。


レオ・・ッ!」


「お、おう!」


 レオ・・と呼ばれた少女が思わず返事をする。


「走る! 掴まっていろ!」


「お、おう! い、いや待て!」


 彼女――レオは何か言いかけていたが、ライドは彼女の腰を掴んで自分の左肩へと移動させた。レオにとっては両足をライドの前に置く形だ。

 そしてライドは彼女の足を左手で強く掴んだ。

 太股に指が深く食い込む感触にレオは「おいっ!」と声を上げた。


「行くぞ!」


 ライドは構わず走り出した。

 超小型になっても驚くほどに素早いバチモフの後を追う。

 ライドの表情は険しい。無意識に指先にも力がこもる。「ま、待て! 際どい! 指の位置が! おいっ! 振動が!」とレオが叫んでいるが、森の悪路を全速で走るライドに気に掛ける余裕はない。時折、襲撃してくる魔獣は問答無用で両断した。

 そうして二十分ほど駆け抜けた。


 ――ハァ、ハァ、ハァ……。


 流石にライドも息を切らせていた。

 全力疾走と戦闘の中で何度か姿勢を変えたため、レオは今、ライドの左腕に腰をかけてライドの肩を掴んでいた。どうしてか彼女も荒い吐息を零して「て、てめえ……」と呻いているようだが、構わずライドは前へと進む。

 そこには一際大きな巨樹があった。その幹にはうろもある。

 洞窟を思わせるほどの大きなうろだ。

 バチモフはそのうろに向かって吠えた。

 すると、『ばうっ!』とうろの中から声が返ってきた。

 反響などではない。

 その証拠にもう一頭の小さなバチモフがうろから出てきたのだ。


『『――ばうっ!』』


 二頭は互い吠えると正面から衝突して輝く。

 次の瞬間には二倍の大きさの一頭になっていた。融合したようだ。


「……お前は本当にオレの知らない特技を持っているな」


 ライドは苦笑を浮かべつつも、うろの中に入っていく。

 そして、


「流石だな」


 ライドは称賛する。


「よく生き延びてくれた」


「……お前もな」


 うろの奥にて胡坐をかく巨躯の鬼人族――タウラスが応える。

 流石に疲労感は見えるが、大きな負傷はない。

 傍らには血に塗れた戦鎚が置かれていた。


「サヤとシャロンは、無事か?」


 そう尋ねるタウラスにライドは「ああ」と頷いた。


「かなり無茶だったが、サヤはオレが効果範囲外にまで風で飛ばした。シャロンはバチモフの本体が背負って跳躍した。二人ともここには来ていないはずだ」


「……そうか」


 タウラスは双眸を細めて小さなバチモフを見やる。


「バチモフには、俺も助けられた。水場の案内などな。だが、分裂するとはな」


「分裂はオレも初めて見たな」


 ライドが嘆息する。

 あれ・・はもはや回避できない状況だった。

 だからこそバチモフは分裂し、ライドとタウラスに補佐役サポートを寄こしたのだ。


「……け。しぶてえな」


 一方、ようやく息を整えたレオがタウラスを見やる。


「まだ生きてやがるとはな。流石は天象剣の仲間ってか。しかも」


 そこで皮肉気に笑う。


「ちゃっかり女を確保するところまでダーリンと同じか」


 タウラスの腕の中に目をやった。

 そこには一人の女性が眠っていた。


「海賊女の一人だな。そいつがあんたの『死出の花嫁』か。にひ。ぐったりだな。あんたの方はもうヤッちまった後なのか?」


「……お前は少し黙っていろ」


 ライドは軽くレオの背中をパンっと叩いた。

 レオは「ういっ!?」と大袈裟なほどに仰け反った。

 ライドは嘆息しつつ、タウラスの腕の中の女性に目をやった。


「タウラス。彼女は?」


「……彼女は、海賊ではない。色々と、事情があるそうだ」


 タウラスも女性を見やる。


「今日まで、強力な魔獣との連戦が続いた。先程もだ。極度の疲労で、眠っている。今ここに運んできたばかりだ」


 腕の中にいるのは若草色の髪の女性だった。

 紺色の華衣を纏い、眠っていてもなお棍を握りしめている。

 ――そう。神聖拳士のロゼッタである。


「とりあえず、信用できると、判断した」


「……そうか」


 タウラスの言葉にライドは頷く。


「タウラスがそう判断したのならオレは信じるよ」


「……すまん」


 タウラスは頭を垂れた。


「……いや。オレが連れてきたこいつよりは遥かにマシだ」


 ライドはそう告げて、レオの背中にポンと触れた。

 レオは再び「ういっ!?」と声を上げて「お、お前、尻とか背中とかさりげなく開発しようとすんじゃねえよ!」と非難らしき言葉を吐いていた。


「ところで、ライド」


 ロゼッタを抱えたまま、タウラスは立ち上がった。


「お前は、ここがどこなのか、知っているのか?」


「……ああ」


 タウラスの問いかけに、ライドは渋面を浮かべつつ頷く。


「……正直、二度も来る羽目になるとは思わなかった。同じ場所ではみたいだが、オレは似たような場所に飛ばされたことがある。恐らくここは……」


 一拍おいて、ライドは告げた。


「――魔王領。人類未踏の最危険領域だ」




 かくして。

 ライド=ブルックスの冒険は続く。







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