第11話 女の決断

 その夜。

 船は大きく揺れていた。


「…………」


 彼女は無言で目の前の部屋を睨み据えている。

 ロゼッタ=フラメッセ。

 それが彼女の名前だった。

 年齢は二十二歳。

 長い若草色の髪を後頭部で冠状に纏めているのが印象的な美女だった。

 身につけるのは、とある武具店で手に入れた東方大陸の民族衣装の一つ。袖がなく、足にスリットの入った紺色の服。『』と呼ばれている衣装だ。棍術の発祥地と伝わる地方の衣装だと師が教えてくれた。彼女のスレンダーな肢体に似合っている。


 ただ、彼女の両腕には手枷が嵌められていた。

 しかし、それはすぐに同行していた男に解除される。

 代わりに真紅の鉄棍を手渡された。

 ロゼッタの棍である。


「……この奥に」


 棍を渡してきた男には見向きもせずに彼女は問う。


「……あの男がいるのね」


「ああ。そうだ」


 男は答える。


「ここは船長室だ。ここに大頭ボスがいる。お前がなんでここに連れて来られたのかはわざわざ説明しなくとも分かんだろ?」


「…………」


 ロゼッタは無言だ。

 数日前。ロゼッタたちが護衛していた貨物船は海賊に襲撃された。

 海賊団ではない。海賊だ。襲撃者はたった一人だった。

 一目見て異様な男だった。

 鋼のような肉体に浅黒い肌。額には二本の角。そして赤い総髪。顔には覆うほどに包帯を巻き、支柱マストのような巨大な斧を携えていた。

 それは獣のような咆哮を上げる鬼人オウガ族の大男だった。

 そんな異様な存在がいきなり甲板に降り立ってきのである。


 戦闘は問答無用で始まった。

 それは蹂躙とも言える。男の一振りで人が粉砕されるのだ。

 いつしか残ったのは女性ばかりになっていた。

 半数が瞬く間に虐殺されたのだ。残った冒険者たちが戦意喪失しても仕方がない。

 彼女たちは乗り込んで来た男の部下によって海賊船に連行された。

 ロゼッタもその中にいた。

 その日から、囚われたロゼッタたちは毎夜一人ずつ消えていった。

 時には二人ということもあった。

 監視役の男たちの談笑から何が行われているのかは推測できた。

 自分たちはあの襲撃してきた男の生贄なのだ。

 武器を渡されてあの怪物の部屋に放り込まれる。

 しばらくすると、絶叫が聞こえて来るそうだ。


 あの怪物に貪り喰われているのである。

 あの男に一晩も弄ばれた女は疲労困憊になる。心まで折れられた彼女たちは回収され、ここの男どもにさらに慰みモノにされるそうだ。


 十四人いたロゼッタたちはすでに半数。誰一人まだ戻ってきていない。

 そうして今夜、ロゼッタの番が回ってきたのである。


「一つアドバイスしとくぜ」


 男がニタリと笑って告げる。


「そんな棒切れ、大頭ボスからすりゃあ玩具おもちゃも同然だ。無駄な足掻きは止めてむしろ自分から腰でも振った方がまだ優しくしてもらえるぜ」


「…………」


 ロゼッタは未だ無言だった。

 ただ扉だけを見据えている。

 男は肩を竦めてから、船長室の扉を開けようとした。

 その時。


「……待ちな」


 不意に女性の声が割り込んできた。

 ロゼッタではない。

 取っ手に手をかけていた男が声の方に目をやると、


「姐さん……」


 そこには赤い海賊のコートに身を包んだ美女がいた。

 年の頃は二十代後半ほど。栗色の長い髪に、右目には眼帯。抜群のプロポーションを男物の服で着飾っている。

 この船を実質管理しているNO2だった。

 彼女の後ろには部下である男が二人控えていた。


「どうしてここに?」


 と、扉の前の男が問いかけるが、


「そこのあんた」


 それは無視して、彼女――ランダはロゼッタに声をかけた。


「こっちを向きな」


「…………」


 そう言われ、ロゼッタは初めてランダの方に顔を向けた。

 まるで闇の底にいるような表情に、ランダは眉をひそめた。


「……こりゃあ酷い顔だね」


 言って、コートから冒険者カードを取り出した。

 ロゼッタから奪った彼女のカードだ。


「ロゼッタ=フラメッセ。A級の神聖騎士か。見た目は武闘家みたいだけど。さしずめ神聖拳士ってとこかい?」


 ふんと鼻を鳴らす。


「あんた。あのケダモノと刺し違える気なんだろ?」


 ランダの指摘にロゼッタは答えない。


「けど、あいつに戦って勝てるとは思っていない。それが出来るのならそもそも捕まってないだろうしね。狙いは負けた後か。負けてあいつに犯される瞬間……いや、むしろ犯されている最中か」


 ランダは冒険者カードを指先で放り投げる。

 ロゼッタは反射的にそれを受け取った。

 しかし、次の瞬間。


「南方大陸の最大規模国家。ルメルダ神聖帝国。大神官フラメッセの末娘か」


 ランダの言葉に、ロゼッタは思わず硬直した。


「失われた古代の神聖魔法の中には、なんでも自分の肉体そのものを魔力に変えて爆ぜさせるっていう、えげつない自爆魔法があるそうだね」


 続くその台詞に、この場にいる男たちはギョッとする。

 ロゼッタも顔色を変えた。


(――どうしてそれを!)


 計画が読まれてしまっていた。

 今すぐ自爆すべきか。だが、この古代魔法は強力ではあるが、影響範囲までは伝承に残っていなかった。ここで自爆してもあの男のところまで届かない可能性がある。


(――だったら!)


 無理やりにでも近づくまでだ。

 強引に室内に飛び込もうと、ロゼッタが取っ手に手を伸ばした時だった。


「……あの船で自分の男を殺されたのかい?」


 ランダの言葉の楔が、ロゼッタの動きを封じた。

 ランダはさらに言葉を続ける。


「女がそこまで体を張るんだ。惚れた男のあだ討ちぐらいしかないだろ」


 ……ギリッと。

 歯を強く軋ませて、ロゼッタはランダへと体を向けた。

 目尻には涙を溜めて、両手で棍を構えている。


「……当たりのようだね」


 ランダはふっと笑った。

 それからボリボリと頭をかいて、


「なら一つ教えてやるよ。実はあの船から攫ったのは女だけじゃないんだよ」


「――――え」


 踏み込もうとしたロゼッタの動きが止まる。


「荷と一緒に死にかけの野郎の冒険者も何人か連れてきたのさ。なにせ、あの狂ったケダモノに襲われて即死しなかったんだ。見捨てるには惜しいと思ってね」


 ロゼッタの目が見開かれる。


「そ、その中に!」


 思わず声を張り上げていた。


「あの人はッ! 師匠せんせいはいるのッ!?」


「……せんせい?」


 ランダは片眉を上げた。


「もう少し特徴を教えておくれよ。それじゃあ分からないよ」


「職業は武闘家! 特技は棍術! 四十二歳! 髪は茶色で顎髭があって! 背は私よりも頭一つぐらい高くて、きっと両腕が重傷のはず!」


 縋りつくような想いでロゼッタは師の特徴を挙げる。

 ランダは「んん~」とあごに手をやり、


「ああ。そう言えば両腕を失ってた男はいたね」


「――今すぐ会わせて!」


 ロゼッタは今にもランダに跳びかかりそうだった。

 それに対し、ランダは手を突き出して、


「今は無理だよ」


 そう告げる。


「あいつらは全員が面会謝絶の状態だからね」


「そ、そんな……」


 ロゼッタの膝が震え始める。


「まあ、容体が安定したら会わせてやってもいいよ。けどね」


 ランダは妖しく笑った。


「分かってるよね? あんたの愛しい男の命は私の手の中にあるってことは」


「…………」


 ロゼッタはランダを睨みつけた。


「その男があんたの男なのかは分からない。私は保障なんてしないよ。けど、少しでも可能性があるのなら、あんたはそれを確かめずにはいられないよね?」


「……私に」


 ロゼッタは声を絞り出した。


「……何をさせたいの?」


 再び扉を一瞥して、


「この奥の化け物に大人しく抱かれろってこと?」


「ん? ああ、いや。そんなことは別にしなくていいさ」


 ランダは苦笑を浮かべた。


「安心しな。折角のA級冒険者。それも偉大なる大神官さまの娘さんをケダモノに喰わせてやる気はないよ。勿体ない」


 一拍おいて、


「あんたには私の手駒になってもらうよ」


「……………」


「どうにも戦力が心細くてね。強力な駒が欲しかったところなんだ」


 陽気な声でランダは言う。


「……それを受ければ……」


 一方、振り絞ったような声でロゼッタは問う。


「……師匠せんせいに会わせてくれるの? あの人を助けてくれるの?」


「救命に関しては最大限の努力はするよ」


 腰に片手を当ててランダは答える。


「そいつがあんたの男かどうかは知らないけどね」


「…………」


 ロゼッタは沈黙した。しばし静寂が続く。

 そして、


「……分かったわ」


 ロゼッタはそう答えた。


「おお! そうかい!」


 ランダは嬉しそうにパンと柏手を打った。


「だったら契約成立だね! これで今日からあんたは私の食客だよ! ほらほら! そこのあんた!」


 ロゼッタの傍で場の雰囲気に呑まれていた男に声をかける。


「私の客人だよ! 客室に案内してやんな!」


「え? あ、はい。けど、大頭ボスの今夜の相手は――」


「そっちは私の方でどうにかするさ。さっさと案内しな!」


 ランダがそう言うと、男は「は、はい」と頷いてロゼッタを案内し始めた。

 去り際、ロゼッタはランダを睨みつけたが、何も言わずに男の後についていった。

 ややあって、その場に残ったのはランダと二人の部下だけだ。


「……あ、あの」


 その時、部下の一人がおずおずと問う。


「姐さん。あの船から怪我人なんか連れてきてませんよね?」


「当り前さね」


 ランダは即答する。


「そんな死にかけを拾って何の役に立つんだよ」


「……マジっすか」


 もう一人の男が呻く。


「なら、バレた時ヤバくねえっすか? あの女、A級なんでしょ?」


「そんなモノ、でっち上げればいいさ」


 ランダは当然のように言う。


「四十代で茶色い髪なんざ幾らでもいる。適当に見繕って、顔を潰し、喉を焼き、両腕を落とす。そうすりゃあ、あの娘の愛しい王子さまは完成って訳さ」


 良心の呵責もなくそう告げた。

 男たちは流石に青ざめたが、


「けど、何ともいじらしいもんじゃないかい」


 ランダは、クツクツと笑っていた。


「気に入ったよ。あの娘。精々使い潰させてもらうことにするよ」


 さて、と続けて、


「そんじゃあ、私の方も決断するかね」


 そう呟いて、ランダは船長室の扉の取っ手をとった。


「あ、姐さん!?」「な、何をする気っすか!?」


 部下二人が目を見開いた。


「……なに。そろそろあのケダモノに自分の女の匂いを思い出させておかないとね。戦闘中にとばっちりを受けかねないよ」


 ガチャリ、と扉を開けるランダ。


「まあ、あれだけ命も女も食い荒らしたんだ。少しは腹も膨れた頃合いさ。とは言え」


 大きく嘆息する。

 それからコートの中から錠剤――避妊薬を取り出して口に含んだ。


「やっぱ、しんどい夜にはなるんだろうねえ」


 そう呟いて、ランダは部屋の奥へと消えていった。

 …………………………。

 ……………………。

 ……そうして。



 明け方。

 丸く小さい窓から差し込む朝日でランダは目を覚ました。

 服は着ていない。唯一、眼帯だけを付けていた。

 豊かな双丘を上下に動かしつつ、ランダは額に片腕を置く。

 それから大きな溜息をついた。

 案の定、体が重い。


(……あのケダモノめ)


 左手を腹部に添える。

 あれは完全に孕ませる気だった。

 やはり事前に避妊薬を飲んでおいたのは正解だった。


(まあ、その成果はありそうだけどさ)


 重たい体を動かして上半身を起こす。

 そうして前を見やる。

 視線の先には自分たちを貪り尽くしたケダモノがいた。

 背中を向けてベッドの前で立ち、顔に巻いた包帯を外そうとしている。

 昨夜抱かれた時にも思ったが、肌の色の変化に、額の角。明らかに変貌したところに加えて体格が一回り近く大きくなっていた。


「……少しは」


 ランダは進化を果たしたケダモノの背に問う。


「苛立ちも収まったのかい?」


「……全然だな」


 ケダモノは答える。


「苛立ち――いや、想いは募るばかりだな」


 完全に包帯が解かれて床に落ちる。


「あの野郎に逢いたくて逢いたくて仕方がねえよ」


「……そうかい」


 ランダは苦笑を零す。


「まるで恋する乙女だね」


「けッ。否定できねえところがつれえな」


 そんな台詞を返してくる。

 ランダは双眸を細めた。

 どうやら冗談を交わせるほどには精神も安定してきたようだ。


「ランダ」


 ケダモノは振り返る。その顔には三本の爪の跡があった。


「力を貸せ。あいつとの逢瀬デートを邪魔されたら堪んねえからな」


「了解さ」


 ランダは肩を竦めた。


「私も丁度いい手駒が増えたしね。早速使わせてもらうよ。だから」


 そして微笑みつつ、彼女はこう告げた。


「あんたは存分に逢瀬デートを愉しむんだね。ゴーグ」






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