第10話 男の願い

 貨物船の中は暗かった。

 すでに照明が死んでいるのだ。

 ティアはダンジョンに潜るように光弾セイン=ドッドを三つほど顕現させる。

 さらに第七階位の風系精霊魔法――風霊探駆エア=レットゴウを使用する。

 建造物の中を風が吹き抜け、構造などを把握する高等魔法だ。屋外では使えないが、大きな建造物に対しては役に立つ魔法だった。

 ティアは入り口付近で瞳を閉じる。

 レイたちは周囲を警戒しながら、ティアの反応を待った。


(……うん)


 ティアは瞳を開いた。

 生存者の確認までは無理だが、大雑把ながらも貨物船内の構造を把握する。

 構造的には六階層。艦橋が二層。そして甲板より下の四層に分かれている。ただ最下層はかなり広い空間だったので荷を積みこむ倉庫なのだろう。

 最下層は人間が入り込む場所ではない。

 とりあえず確認する優先順位は低くしてもいいと考えた。


「レイ。アロ」


 ティアは二人に告げる。


「最上階の艦橋から下層に向かって捜索する」


「ん。了解」「分かった」


 二人はリーダーのティアの判断に従った。

 ティアたちは捜索を始めた。

 そうして――……。

 ………………。

 …………。




 その男は優れた武闘家だった。

 拳ではなく棍術を得意とする武闘家だ。

 自分でも才能があったのだと思う。

 少なくとも村では敵なしだった。

 幼馴染四人と村を出て冒険者となり、パーティーを組んだ。

 いつかS級になろうとみんなで誓った。

 しかし、幼馴染たちには彼ほどの才能もなく、結局、一年もしない内に全員が故郷へと帰っていってしまった。

 寂しくはあった。

 けれど、男は一人になっても冒険者を続けた。

 どうしてもS級の夢が捨てきれなかったからだ。

 幼馴染たち以外とパーティーを組んだこともあった。

 ただ、結局のところ、ソロが性に合っていた。

 いつしか二つ名も付いた。棍を自在に振るう姿から『猿王えんおう』と呼ばれた。

 男は様々な場所に出向いた。


 砂漠に覆われた王国。

 雪が降り積もる大地。

 棍術の発祥地と伝えられる東方の地。


 どこも鮮明に憶えている。

 旅こそが冒険者としての醍醐味だった。

 そうして四十歳になった時、男はA級に昇格した。

 これまでの功績を讃えてのモノだった。

 嬉しくないと言えば嘘になる。

 だが、同時に男は自分の限界を感じた。

 S級冒険者のほとんどは二十代で昇格する。

 それだけ突出した才能だからだ。

 結局、自分はお情けでA級に昇格させてもらえる程度の才能だったということだ。


(所詮、夢は夢か……)


 流石にしばらくは落ち込んだものだった。

 ただ、ある日のこと。

 冒険者ギルドの酒場で一人、酒を飲んでいた時。

 一人の女が冒険者ギルドにやって来た。

 まだ二十歳になったぐらいか。

 蒼い全身甲冑を纏い、槍を携えた美しい女だった。


 ギルドはざわついた。

 その女がA級冒険者だったからだ。

 現時点でA級最年少である神聖騎士だった。

 ここに来たのは何でもパーティーメンバーを探しているらしい。


 男は苛立った。

 その女の力量が自分と同格の域に到達しているようには見えなかったからだ。

 噂では権力を持つ父親がギルドに圧力をかけて昇格したとか。

 それは真実に思えた。


 彼女は結局、その場ではパーティーを組めずにギルドを出た。

 男は彼女の後を追った。

 そして路地裏で挑発し、戦闘に持ち込んだ。

 ギルドで挑発してやってもよかったが、これは情けだった。

 大勢の前で四十代のロートルに負けては面子もたたないだろう。


 結果、戦闘は男が勝利した。

 当然だ。彼女の実力は高く見積もってもB級下位程度だったのだから。

 少しは気持ちも晴れた気がした。これでこの女も身の程を知ったことだろう。

 この心地良さのまま飲み直そうかと考えていたのだが、その時、全く予期していなかった事態に陥ってしまう。


 彼女がボロボロと泣き出したのだ。


 男は焦った。まさか泣くとは思わなかったのである。

 酔いも一気にさめてしまった。

 男は動揺しながらも彼女を宥めて事情を聞いた。

 彼女は自分が偽物の自覚があったのだ。

 大国の重鎮である父が娘に箔を付けるためにギルドに圧力をかけたことも。

 そして、それは暗黙の了解で周知に知れ渡っていた。

 そのため、彼女はずっとソロで活動せざるを得なかった。

 だが、それでも本物に近づこうと、彼女は必死に足掻いていた。


 馬鹿な娘だと思った。


(だが、真っ直ぐな娘だとも思ったんだ……)


 過去に浸りながら、男は吐血・・した。

 彼女を本物にしよう。

 あの日、男はそう思った。

 男は彼女とパーティーを組んだ。

 棍術を教え、氣の練り方も指導した。

 そして気付く。彼女には確かな才があることに。

 ――そう。自分よりも遥か高みに行けるだけの才能が。

 特に彼女の神聖魔法の才能と深い知識には驚くモノがあった。


 そうして二年が経った。

 彼女は男を『師匠せんせい』と呼んでいた。

 男の人生でただ一人だけの弟子。

 まあ、弟子に迎えて半年もしない内に男女の仲にもなってしまったが。

 情けないことに二回りも年下である彼女に押し切られる形だった。

 彼女は弟子であり、そして愛しい女だった。


(ロゼッタ……)


 ――ゴフッ!

 一際大きい吐血をする。

 あれは怪物だった。

 とても勝てる相手ではない。

 だから、


(どんな手でもいい。誇りも捨てろ。俺に構うな……)


 あの時、防御は間に合った。

 だが、全く無意味だった。

 信じ難いことに甲板から艦橋にまで吹き飛ばされてしまったのだ。

 防御した両腕がない。足も片方がなかった。

 自分はもうじき死ぬ。

 けれど、どうか彼女だけは――。

 そう願った時だった。




「――生存者がいるよッ!」




 誰かの声が聞こえた。

 今にも閉じそうな目で声の方を見やる。


(――――な)


 驚く。

 そこに見知った顔があったからだ。

 大剣を背負う黒髪の女性である。

 何度か会ったことのある冒険者だ。

 それも並みの冒険者ではない。


(……嗚呼)


 氣の力でここまで命を繋げた甲斐があった。

 最期の最期で。

 自分にも幸運が舞い降りてくれたようだ。

 一方、彼女も男が知り合いであることに気付いたようだ。


「え? まさか――」


 驚いた顔をしている。

 だが、男に状況を詳しく伝える余裕はない。

 氣による延命もここまでだった。

 意識も鼓動もいつ消えてもおかしくなかった。

 だから、男は必要な事実と、切なる願いだけを告げた。


「かい、ぞ、く」


 血を吐いて、


「ロゼッタ、を、たすけて、くれ……」


 ただ、それだけを告げて。

 ただ、それだけを願って。

 男の命の火は消えた。

 そうして、


「……知り合いだったの? レイ?」


 男の瞼をそっと閉じさせてティアが尋ねる。

 レイは「……うん」と頷いた。


「棍術の達人で有名な冒険者だよ。ダグやガラサスの飲み仲間だった。ボクもたまに会うことがあって『おじさん』って呼んでいたんだ」


 そこでキュッと唇を噛み、


「四、五年ぐらい会ってなかったけど、まさかこんなところで……」


「……レイ」


 アロが問う。


「彼は最期になんと言ったんだ?」


「……海賊。そして『ロゼッタ』って人を助けてって」


 レイがそう答えた。

 その言葉だけは、はっきりと聞き取れた。

 恐らく命を込めた願いだからだ。

 そして、


「……ティア。いいかな?」


 レイがリーダーのティアに確認する。


「ダメなんて言うはずがない」


 ティアはそう答えた。

 レイは「ありがと」と感謝した。

 そうして片足をついて、男を見やり、


「S級勇者。勇者王レイが誓うよ」


 レイは告げる。


「おじさんの最期の依頼。確かに引き受けたから」





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