第8話 やはり平穏とはいかない

 時と場所は移り変わる。

 商船の甲板の上。

 潮風が吹く中。

 くしゅんっ、と。

 愛らしいくしゃみが鳴る。


 潮風で体を冷やしたのだろうか?

 そんなふうに考えるのは、見た目が十七歳ほどの少女だった。

 ただ、それは彼女の実年齢ではない。実際の年齢は二十八歳になる。

 うなじ辺りまで伸ばした薄く紫がかった白銀色の髪で隠されているが、彼女の耳は少し尖っている。森人エルフのハーフである証だ。

 そのためか、容姿もまた妖精のようだった。

 人形のごとく整った顔立ちに、紫色の瞳。無表情が却って際立たせる美貌だ。

 その華奢な肢体に纏うのは、ゆったりとした袖を持つ緑色のローブだった。動きやすさを重視して足にスリットが入っている。さらには同色の大きな三角帽子を被り、千年樹ミレニアの杖を右手に携えていた。


 彼女こそがリタとジュリの宿敵。

 S級精霊魔法師にして、ライドの元恋人。

 ――そう。ティア=ルナシスその人である。


「………」


 彼女は海の向こうを見つめていた。

 これといった嵐の予兆もない。

 とても平穏な大海原だ。

 すると、


「ああ。ティア。ここにいたんだ」


 後ろから声を掛けてくる者がいた。

 ティアが振り向くと、そこには二人の女性がいた。

 一人は二十代半ばの美女。

 少し青みがかった、さらりとしたボーイッシュな黒髪と、黒い眼差し。

 襟や裾に金糸を施した軍服のような白い服に、黒い長軍靴ブーツを履いている。

 愛用の大剣を背負っていて、ティアとは主張ぶりが明らかに違う双丘を大剣のベルトでスラッシュしていた。これまで一度も確認したことはないが、あれはわざとじゃないかとティアは思っている。

 S級勇者であるレイ=ブレイザーだ。

 いま声を掛けてきたのはレイだった。


 そしてもう一人は十代後半。十八歳だと聞いている。

 ただ、凛々しく美しい顔立ちのため、もう少し年上に見えた。

 そもそも、彼女はティアの目から見ても色っぽい。

 健康的な褐色の肌に、レイにも劣らないスタイル。戦巫女としての慣習らしく露出も多かった。身に纏う白い革服レザースーツには袖がなく、背中と胸元が大きく開いていた。

 その瞳の色は琥珀色。髪はライトグレーの短い乱れザンバラ髪だ。その上には狼の耳がある。

 彼女は狼人ウルフ族だった。当然ながら、ふさふさの尾も持っている。

 獣毛に覆われた腕を組みつつ、レイと共にこちらに近づいてきている。

 神狼の戦巫女にして、冒険者としてはC級戦士であるアロだった。

 ただ実力的にはB級程度は充分にあるとティアもレイも考えていた。

 まあ、それはともあれ。


「どうしたの? ティア」


 レイがティアの横に立って尋ねてくる。


「こんなところに一人でいて。ナンパされちゃうよ?」


「……それは散々された」


 ティアはうんざりした様子でそう答える。


「けど、風を感じたかったの。私も落ち着かないから」


 ティアはレイとアロに目をやった。


「あなたたちもそうでしょう?」


「ん。そうだね」


 レイは苦笑を浮かべた。


「なにせ、かなり有力な情報を手に入れたし」


 そう呟いて、レイは隣に立つアロに視線を向けた。

 すると、アロは両手を腰に当てて「わふんっ!」と胸を張った。


「私のおかげだな! 私が主人の匂いに気付いたからだ!」


「……まあ、そうなんだけどさ」


 レイは、アロにジト目を向けた。


「あれはないよね。一人でこっそり部屋に籠って堪能するって」


「うん。あれはない」


 と、ティアも頷いて同意する。

 アロは「うぐ……」と一歩さがって呻いた。

 海賊島グラダゾードを陥落させた日。

 アロは、そこで主人であるライドがいた痕跡――匂いを見つけたのだ。

 ただそれを誰にも告げずに、こそこそと一人で主人の匂いが残るシーツにくるまっていたところをティアたちに発見されたのである。


「ホントにあれはないよ」


 やれやれと肩を竦めて、レイが言う。


「ボクだって子供の時にライドに隠れて一回ぐらいしかやったことがないよ」


「…………え?」


 ティアが唖然とした顔でレイを見やる。


「レ、レイ? そんなことしてたの?」


「うん。けどいいじゃん。それぐらい」


 レイは、今度はティアの方にジト目を向けた。


「好きな人の匂いを感じるぐらい。ティアなんて、匂いが十年以上経っても消えないぐらいしっかりとマーキングされていたんだし」


「そ、その話はやめて……」


 ティアは顔を赤くした。

 あの話は本当に羞恥で死ぬかと思ったほどだ。

 とにかく、今はコホンと喉を鳴らし、


「とりあえず、アロのおかげでライドの足跡が分かったのはよかった」


 ティアはそう告げる。


「そだね」「ああ」


 レイもアロも頷いた。

 アロの鼻のおかげでライドが海賊島に滞在していたことが分かった。

 さらには捕らえた海賊から情報も聞き出せた。


 辿り着いた成り行きは曖昧だったが、ライドが海賊島にいたこと。

 頭目であるゴーグと争って勝利したこと。

 そして、その時、島に滞在していた奴隷たちを連れてライドが出航したことも。


 そこまで分かれば、ライドの行き先は推測できる。

 海賊島から最も近い国は、島国であるキヤジ王国だ。

 大勢の奴隷を連れていたのなら、一旦そこに向かうしかない。

 ティアたちとしては、依頼である以上、一度ラスラトラス王国に帰還すべきところだったが、それにはかなりの時間がかかってしまう。往復すればさらに倍だ。折角の最新情報に間が空いてしまうのは避けたかった。


 なにせ、時間が経つほどに再びライドを見失ってしまう可能性が高くなる。

 ティアたちは決断した。


 共に制圧戦に参加していた冒険者たちに事情を告げて、捕えた海賊どもを任せることにしたのだ。それから数名の船員を雇って海賊の帆船を討伐団から承諾を受けた上で一隻借用し、そのままキヤジ王国へと向かったのである。


 そうして四日ほどかけて到着。

 残念ながらそこでもライドと会うことは出来なかったが、確かな痕跡はあった。

 推測通り、解放された元奴隷たちはそこにいた。

 彼らからライドの向かった先を聞くことが出来たのだ。

 ライドが今、四人で行動していることも聞いた。

 これは冒険者ギルドでの情報だ。


『とんでもなくデけえ大男とデけえ犬、そんでスゲェ綺麗な姉ちゃん二人といたな』


 冒険者の一人がそう教えてくれた。

 何やら女性の同行者が増えていることに三人ともやはりざわついたが。

 海賊船は冒険者ギルドに引き渡して、ライドの向かった場所へ行くこの商船に同乗させてもらったのが、現在なのである。


 客観的にみても、ティアたちの決断は正しかった。

 事実、現在ライドはティアたちの向かう島にまだ滞在していた。


 ――そう。リタたちに比べて、彼女たちは大きく先行していたのである。


 一度は別大陸にまで飛ばされたとは思えないほどの回帰リカバーだった。

 このまま順調に行けば、念願の再会が叶うはずだった。


 いよいよ。

 いよいよなのである。

 ティアたちが、そわそわとし始めても仕方がない。


 だがしかし。

 運命とはやはり甘くはなかったようだ。

 ティアたちが、それと遭遇したのは翌日の朝のことだった――。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る