第2話 帰郷

 さて。

 時と場所は移り変わる。

 グラフ王国の森の奥地。

 狼人ウルフ族の集落にて。


 その時、一人の少年が案内されていた。

 十代前半の狼人ウルフ族の少年だ。

 黒い革服レザースーツを着た黒髪の少年である。

 緊張しているのか、獣耳は少し垂れている。


 彼は大樹の幹に沿って螺旋状に設置された道を進んでいた。

 彼――クロにとっては初めて歩く道である。

 この集落はクロの故郷ではあるが、いま歩いているこの道は長老衆の部屋へと続く道だからだ。流石に長老衆の元へ出向くような経験はこれまでなかった。


 国で例えるのなら王への謁見。


 しかも、その道を案内するのは初めて出会った人間だった。

 狩人が好むような服を纏う、雪のような長い白髪が印象的な女性である。

 年の頃は十七、八ぐらいか。

 クロも見惚れるほど綺麗な女性だった。

 だが、驚くべきことに、彼女は狼人ウルフ族ではなかった。

 彼女は兎人ラビト族の女性なのである。

 そして、狼人ウルフ族も含めた他種族の獣人たちを率いて、クロたち・・をこの集落にまで連れてきた――いや、連行して人物でもあった。


(……どうして?)


 クロは、前を歩く彼女の背中を見つめて疑問を抱く。


(どうして兎人ラビト族の人が狼人ウルフ族の集落に? そもそも)


 歩きながら、クロは視線を周囲に向ける。

 幾つも並ぶ大樹に、無数の樹上家屋ツリーハウス


 懐かしき故郷。

 その様相はあまり変わらない。

 それは嬉しいことだが、困惑することもあった。

 あまりにも他種族が多いのだ。

 兎人ラビト族、鷹人ホウク族、虎人ティガ族。

 狼人ウルフ族以外にもそれだけの他種族の姿がある。

 他種族とは敵対はしていなくとも、極力不干渉であることが暗黙の了解になっているのがクロの知る他種族との関係だった。


 だというのに、この状況はいったい何なのか……。

 クロが思わず足を止めて考え込んでいると、


「……どうしました?」


 前を歩いていた兎人ラビト族の女性が振り返って声を掛けて来た。


「い、いえ」


 クロは少し動揺しながら、


「あの、少し里の雰囲気が違っていて……」


「ええ。そうね」


 女性は双眸を細めた。


「それは、これからお会いする獣王さまにお聞きすればいいです」


「……獣王さま?」


 クロは目を瞬かせる。


「え? 誰なんですか? その人は?」


 そんな称号を持つ者など聞いたことがなかった。

 すると女性は微笑んだ。


「あなたも名前ぐらいは知っているはずです。ホロさまのことです」


「――ホロさまが!」


 クロは目を丸くした。

 それは、戦巫女アロさまの実弟の名前だった。

 五百年に一人という金色の獣毛を持つ狼人ウルフ族の少年である。

 言葉をかわしたことはないが、その名前と姿は何度か見たことがあった。


「はい。ホロくん――ホロさまは王になられたのです。今の里の状況はホロさまに聞いたらいいです。それより、私にも気になることがあります」


 そこで腰を屈めて、彼女はクロと視線を合わせた。

 クロは少し緊張する。と、


「あなたは『女の子』なのですよね?」


 彼女はそう尋ねた。


「あなたがこの里の出身者なのは確かめました。ご両親はすでに亡くなられているそうですね。けれど、あなたのことを知っている者は多くいました。ただ、彼らはあなたのことを女の子だとも言っていました」


「そ、それは……」


 クロは言葉を詰まらせる。

 そして視線を伏せた。

 クロは美麗な顔立ちをしているが、髪はうなじ程度までと短く、体格もまだ少年か少女か判別しにくい年齢だった。ましてや獣人の腕の時はより判断しにくい。


「……奴隷商にはぼくと同年代の女の子がいました」


 視線を伏せたまま、クロはポツポツと語る。


「彼女は性奴隷として売られました。彼女を買い取った人はとても大きな人でした。泣き叫ぶ彼女を無理やりに連れて行って。ぼくはそれが恐ろしくて――」


 クロは肩肘を押さえて、体を震わせた。


「……そうでしたか」


 女性は小さく嘆息した。


「だから、あなたは『男の子』であると偽装したのですね」


 クロは「……はい」と頷いた。


「ぼくは当時から髪も短かったし、体の成長も遅かったから。口調を変えるだけで意外とバレませんでした。その代わりに毎日鞭で叩かれるような、痛くて苛酷な肉体労働を強いられることになったけど……」


 そこで、クロはハッと顔を上げる。


「そ、それは前の人のことで! 旦那さまは違うんです! 旦那さまは絶対にぼくをぶったりしません! 一度もです! 彼女・・たちだって!」


「……ええ。それは分かっていますよ」


 女性は微笑んだ。


彼女・・たちと一緒にいてもあなたの瞳に怯えの色はありませんでした。私たちはグラフ王国に許しがたい迫害を受けていますが――」


 一拍おいて、


「だからといって人族すべてが憎悪の対象という訳ではありません。奴隷として捕らえられていた獣人族の中には、心ある人族に救われた者も少なからずいます。かくいう私もホロさまも人族の男性に救われたのですから」


「そ、それって……」


 クロは恐る恐る尋ねた。


「もしかして『黒仮面』という方ですか?」


「ええ。彼はそう呼ばれているそうですね」


 女性はクスクスと笑う。


「ホロくんも楽しそうに笑って。お義兄にいさまは何とも言えない顔をしていましたよ」


「―――え?」


 クロは目を瞬かせた。


「お義兄にいさま? その人はお姉さんのお義兄にいさんなのですか?」


 クロは少し困惑した。

 黒仮面はクロの恩人の父親のはずだった。

 どうも推測していた話と違うような気がする。

 すると、


「ええ。その通りです。ホロくん……やっぱり『さま』付けは慣れないですね」


 女性は小さく嘆息した。


「グラフ王国で黒仮面と呼ばれている彼は、いずれアロ義姉ねえさまの夫となられる御方なのです。ですから、私にとってもお義兄にいさまになるのですよ」


「――えええっ!?」


 その台詞には、クロもギョッとした。

 色々な意味で愕然とするような内容だった。

 まず神狼ポウチの戦巫女たるアロが婚約していること。

 それが人族の男性であること。

 そして、もし黒仮面の正体が推測通りの人物なら、彼女・・たちがどう思うか――。


(うわあぁ)


 クロは頬を引きつらせた。

 しかし、すぐに「あれ?」と小首を傾げた。

 少し内容に違和感を覚えた。


「えっと、あの、お姉さん?」


 クロは率直に疑問をぶつけた。


「アロさまの旦那さまが、どうしてお姉さんのお義兄にいさんになるのですか?」


 それに対し、女性は「え?」と目を少し見開いて、


「まだ知らなかったのですか? てっきり他の者が伝えたとばかり思っていました」


 苦笑を浮かべた。


「失礼しました。まずは私から名乗るべきでしたね」


 女性はそう告げる。

 そうして、


「私の名はササラ」


 一拍おいて、彼女は初めて名乗るのであった。


「獣王ホロの第一妃。兎人ラビト族のササラです」







  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る