第4部

第1話 地に蠢く者

 とある大国。

 とある騎士がいた。

 そのしょうは清廉潔白にして質実剛健。

 武勇に優れ、知略に富み、人望も厚い。

 血筋もまた素晴らしかった。遠縁ではあるが王家にも連なる家系だ。

 年齢は三十二歳。その若さで将軍職に就いている。今はまだ十代前半と幼い王女とも、いずれは婚姻を結び、次期国王になると噂される傑物だった。


 二つ名は『剣聖』。

 名をアルガス=ホマルといった。


 その日。

 大きな館の寝室。

 アルガスは自宅であるその館で休んでいた。


 ベッドの上。

 眠るのは彼だけではない。

 十八歳ほどの女性が眠っていた。

 床には下着や、メイド服が四散している。

 彼女は新任のメイドだった。

 気に入って、お手付きにしたのである。

 貴族の主人とメイドではよくある話だった。


 ともあれ、一時間ほど前までは相手をさせていたのだが、流石に限界が来たようだ。

 メイドはアルガスの腕の中で果てて、完全に気を失ってしまった。

 中々に愛らしい女だった。まだ男を知らなかったところも良い。

 初日だけで抱き潰すのも勿体ないと感じた。


(今宵はここまでだな)


 いささか血は騒ぐが、男も眠りにつくことにした。

 今は二人の呼吸音だけが室内に響く。

 すると。

 ――パチリ、と。

 おもむろに、アルガスは目を覚ました。

 上半身を起こしてベッドから降りると、椅子に掛けていたガウンを羽織る。


「だ、旦那、さま……?」


 それに気付いた女性も、ハッとして上半身を起こした。


「も、申し訳ありません、私、不手際がございましたでしょうか?」


「そんなことはない」


 アルガスは剣を手に取った。


「だが、来客のようだ。お前はそこで静かにしていろ」


 言って、刀身を抜き放つ。

 メイドの女性はシーツにくるまって「ひっ!」と声を上げた。

 アルガスは鋭い眼光で窓沿いを見据えて、剣の切っ先を向けた。

 窓から月光が差し込んでくる。

 それにより、侵入者の姿がはっきりと分かるようになる。


 そこにいたのは長身の男だった。

 身に纏うのは防寒具のような深い紫色のコートである。袖も大きく、床に置けば自立しそうな分厚さだ。フードを深くかぶっているため、顔も全く分からない。エア系の認識阻害魔法を使用している可能性もあった。


(それにしても、まるで鎧か甲羅にでも閉じこもっているかのようだな)


 そんな感想を覚えつつ、


「……何者だ?」


 アルガスはそう問うが、男は何も答えない。


「ふん。暗殺者に尋ねても答えるはずもないか」


 アルガスは男の両腕を見やる。

 暗殺者は構える様子もなく両腕を垂らしていた。

 武器を持っているようには見えないが、油断は禁物だ。

 あの大きな袖の下に暗器を隠している可能性が高かった。


(小細工をする)


 アルガスは剣の柄を強く握った。


「……ならば、捕らえて尋問するだけだ」


 不敵に笑ってそう告げる。

 一対一で負けるつもりはない。

 対し、侵入者は何も答えなかった。

 全く動く気配もない。


(さあ、どう動く?)


 この暗殺者は、厳重に警備されたこの館に、全く気付かれずこともなく侵入するほどの手練れだ。決して侮ってもいい相手ではない。


(何者であっても容赦はしない)


 音に聞こえた剣聖アルガスに一切の慢心はなかった。

 ただ静かに剣を構える。

 対する暗殺者はまだ動く様子がなかった。

 カチカチ、とメイドの女性の歯を鳴らす音だけが響く。

 そして――。


(………は?)


 アルガスは目を見開く。

 男はまだ仕掛けていない。

 両腕は今も床に向けられたままだ。

 身じろぐ程度の微かな音さえも聞いていない。

 だというのに――。

 アルガスの視線はどんどん上へと移動していく。


 ――ぶしゅうッ!

 アルガスの喉から盛大な血が噴き出した。


 首が完全に切断されていた。

 瞳から光が消えて、頭部を失った体が膝をつく。


「だ、旦那、さま?」


 唖然とした顔を見せるメイドの女性。

 彼女が悲鳴を上げたのはさらに十数秒後のことだった。

 そうして。

 その時には、すでに男の姿はなかった――。



       ◆



 とある島。

 地下に造られた拠点。その執務室にて。

 その人物は事務処理をしていた。

 白い神父服に似た服を着た五十代の男だ。

 資料に目を通していく。

 いや、その表現は正しくない。

 男は盲目だった。

 剣で斬り裂かれたような古い裂傷が両目を潰していた。

 点字で記された資料を、男は指先で読み取っていた。


「……ふむ」


 その時、手を止めて声を零す。


「戻ってきましたか。『形無かたなし』」


 そう声を掛ける。と、


「……ああ」


 返事が帰ってきた。

 男性の声だ。フードを被る深い紫色のコートの男だった。

 剣聖を仕留めた暗殺者である。

 彼はいつの間にか室内に入り、ドアの前で佇んでいた。


「凄いな。あんたは」


 暗殺者が言う。


「私の気配に気付くのか。まだ現役でもいけるのではないか?」


「ふふ」


 執務席に座る盲目の男は苦笑を零した。


「この目では流石に無理ですよ。それよりも」


 暗殺者の方に顔を向ける。


「ここに来たということは、剣聖アルガスの始末は済んだのですね」


「……ああ」


 暗殺者が頷く。


「あいつは凄かった。A級報級首タスクというのは伊達ではないな。正直、侵入に気付かれたのも久しぶりだった」


「しかし、その剣聖さえも、あなたにかすり傷一つ負わすことも出来なかった」


 盲目の男は口角を上げる。


「お見事です。いかなる才も力もあなたの前では全くの無意味。すべてが形無し。まさに二つ名通りですね」


「……くだらない二つ名だ。私はただ初見殺しが得意なだけだ」


 自虐気味な口調で、暗殺者が言う。


「おべっかはいらない。あんたは報酬さえ払ってくれたらいい」


「もちろんお支払いしますよ。ですが、次もあなたに依頼したいのですよ」


 続けて「破格の報酬も用意しましょう」と盲目の男は言う。


「早速か」


 フードの下で暗殺者が双眸を細める。


「破格ということはまたA級か?」


「……いえ」


 盲目の男はかぶりを振った。


「次の相手は全くの無名です」


「……は? なんだって?」


 暗殺者は軽く驚いた。


「ですが、その実力と難易度はS級報級首タスクにも匹敵すると考えてください」


 と、盲目の男は言う。

 男の組織において『報級首タスク』という言葉がある。

 一言でいえば賞金首のことだ。

 しかし、その対象の多くは犯罪者ではない。

 主にこの組織において邪魔になる者。

 もしくは外部組織で暗殺して欲しいと見なされている者たちだ。


 E~S級までに分類される報級首タスクは様々だった。

 国の重鎮。名のある冒険者。逃亡中の裏切り者などもいる。


 そして、S級ともなると伝説級の冒険者や大国の王族さえもいた。


「……この男です」


 盲目の男は、懐から一枚の写真を取り出した。

 暗殺者は足音も立てずに男の前まで移動し、写真を受け取った。

 二十代半ばから三十代ぐらいの男性の写真だった。

 全く見覚えのない男である。


「誰だ? こいつは?」


 率直に問う。

 すると、盲目の男は、


「――『天象剣てんしょうけん』」


「……二つ名か? 初めて聞くな」


 フードの下で眉をひそめる暗殺者。

 それに対し、盲目の男は苦笑を浮かべる。


「あなたが名を馳せたのはここ数年でしたね。あなたの世代では聞いたこともない二つ名でしょうが、知るところによっては有名な男なのですよ」


 コツンと自身の眉間をつつく。


「なにせ十二年前、私から光を奪った男ですから」


「……あんたの目をか?」


 暗殺者は静かに写真に視線を落とした。


「ええ。とは言え、私のようなロートルの昔話では実感も湧かないでしょうね。ならば一つ重要な情報を与えましょう」


 指を組んで、盲目の男は告げる。


「その男は、当代のしんりゅうベルンフェルトが伴侶として見初めているそうですよ」


 一瞬、暗殺者は言葉を失った。

 そして、


「――ベルンフェルトだとッ!?」


 一拍おいて声を荒らげた。


「あの最強最悪と呼ばれる神竜の血族か。裏世界ではもはや邪神認定されているような奴だな。当代はまだ十二歳という話だが、発情期にでも入ったのか?」


「さあ? それは流石に分かりませんが……」


 盲目の男は、ふっと笑う。


「この情報には信憑性があります。あの男の経歴も後で伝えましょう」


形無かたなし」と暗殺者の二つ名を呼んで、


「これは私の個人的な依頼です。依頼ランクはS級。期限はとりあえず無期限でも構いません。目的は私怨。復讐です。動機は分かりますよね?」


 再び自身の眉間を指先でつつく。

 暗殺者は嘆息した。


「……承諾した。しかし、二つほど聞いておきたい」


 写真を懐にしまって問う。


「その目は十二年も前のことだろう? どうして今さら復讐だ?」


「それは簡単な話ですよ。情けないことですが、我が組織の者ではとてもあの男を殺せるとは思えなかったのですよ」


 自嘲めいた笑みを見せつつ、盲目の男は答える。


「決して弱みがない訳ではない。むしろ明確な弱点だった。だが、あの男が道具屋などに成り下がってもなお勝利のイメージが出来なかった……」


 独白のように呟く。

 が、すぐに微笑んで、


「しかし、あなたが私の前に現れた。剣聖アルガスさえも歯牙にもかけないあなたが。あなたならば、と私は初めて思えたのですよ」


「……そうか」


 暗殺者は軽く肩を竦めた。


「私も高く見積もられたものだ。では二つ目だ」


 暗殺者は、二つ目の問いを投げかける。


「その男は神竜が見初めているのだろう? それを殺せばあんたは知識海図ミストラインを敵に回すことになるのではないか? 報酬が受け取れなくなるというのは御免だ」


「ああ。それなら問題ありませんよ」


 盲目の男は答える。


「私とあの男の邂逅を知る者は私たち自身だけです。私の部下たちも、あの男の当時の仲間たちも知らないことでしょう。それにあなたのことも――」


 一呼吸入れて、


「これまでのあなたへの依頼はすべて秘匿にしています。その履歴も一切ない。あなたと私の繋がりを知る者もまたいない」


「……そういうことか」


 暗殺者は、フードの下で双眸を鋭くした。


「私が失敗しても成功しても、あんたの平穏だけは確保しているということか」


「ええ。あなた自身が神竜の逆鱗に触れるかも知れませんが、あなたも自分の素性や素顔は誰にも見せていないのでしょう?」


 まあ、結局のところ、と入れて、


「バレなければよいのです。我々は地に蠢く者。秘密裏こそが得意技ですから」


 そう嘯いて。

 すべての大陸に潜むと言われる闇。

 暗殺ギルド・『奈落の怨嗟クワイエットフォール』の長は、笑みを深めるのであった。





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読者のみなさま! 

お待たせしました!

第4部の第1話を先行投稿いたしました!


4月からはだいたい週1ペースで開始したいと思います!

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本作を何卒よろしくお願いいたします!m(__)m


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