第25話 彷徨う狂獣

 それはグラダゾード陥落から三週間ほど前のこと。


 ――ザザザザッ!

 激しい悪天候の中。

 荒波を掻き分けて一隻の鉄鋼船が大海を渡っていた。

 豪雨の中を進むその船は一見だけだと貨物船のようである。

 だが、それは偽装だった。


 この船はグラダゾードの主力船。

 幾つもの兵装を隠し持つ最新鋭の『戦艦』だった。


 海賊島の切り札。

 そしてその船長は、当然、狂獣ゴーグであった。

 しかし、現状、ゴーグは全く船長の役目を果たしていない。

 代わりに担っているのはランダだった。


「………………」


 艦橋にて。

 ランダは腕を組み、嵐の海に目をやっていた。

 ずっと沈黙したまま、何も語らない。


「……姐さん」


 そんな彼女に、部下の海賊が声を掛ける。


「その、奴隷の女どもが流石に限界みたいです。そんで、その、姐さんにゴーグの兄貴を少しなだめてもらえねえかと……」


 恐る恐るそう願う部下を、ランダはギロリと睨みつけた。


「私に代わりの生贄になれってかい?」


「い、いいえ! 違います!」


 部下はブンブンとかぶりを振った。


「ただ、ゴーグの兄貴にとって姐さんは特別なんで――」


「あの男に特別な女なんていないよ」


 ランダは皮肉気に笑う。


「私は情婦として以外にも使えるから重宝されているだけさ。ゴーグに特別な女なんていない――いや、違うか」


 一拍おいて、


「特別はいるね。あいつらだろう。あの男の女たち。奴隷に黒髪と緑っぽい髪の女がいたら特に酷い状態になってんじゃないかい?」


「……そ、それは……」


 部下は言葉を詰まらせた。


「図星のようだね」


 ランダは「はン」と笑った。


「あの女たちを、あの男から奪うことを夢想してるってとこか。ゴーグにとって本当に特別なのはあの男なんだろうね」


「……あの野郎は」


 部下は喉を鳴らして尋ねる。


「……いったい何者だったんすか?」


 その声には、畏怖のような感情が宿っていた。

 それも仕方がないことだ。

 ゴーグさえ一蹴するあの強さを目の当たりにしては――。


「知らないね」


 一方、ランダの返答は素っ気ない。


「それを知るために私は協力してんだよ」


 腕を組んだまま、彼女は瞳を細めた。

 ――それこそゴーグを使ってだ。

 今のゴーグが完全に仕上がっている。


(ゴーグの宝具――『嘆きの戦斧』に刻まれた魔法式は『激情変換』)


 怒り、憎しみ、苦しみも。

 あらゆる激情を膂力へと変換する魔法式だ。

 生まれながら備わっている剛力と、短気な性格も合わさって、ゴーグと嘆きの戦斧の相性は抜群だった。


(そして今のゴーグはかつてないほどの激情に駆られている)


 その力がどれほどのモノになるのか。

 付き合いの長いランダさえも想像がつかない。


(今のゴーグは怪物だ。正真正銘の狂獣さね。けどよ)


 ランダは内心でほくそ笑む。

 もし、そんな狂獣さえも一蹴するのならば。

 あの男は、ランダにとって最高の手駒となるだろう。


(私が再び海の女王になるためのね)


 ゴーグが勝つのならそれでいい。

 負けるのならば乗り換えるだけだ。

 ランダはそう考えていた。


「……とりあえずさ」


 ややあって、ランダは口を開いた。


「奴隷どもは少し休ませな。捕えている冒険者の女どもがいただろ」


「へい。確か四、五人は……」


「そいつらを順にゴーグの部屋に放り込んだらいい」


 ランダはあごに手をやった。


「そうだね。武器も返してやりな。そっちの方がゴーグも興奮すんだろ」


「了解しました」


 部下は頷き、艦橋から去っていった。

 ランダは小さく嘆息した。


「やれやれ。狂獣を飼うのも大変だね」


 そう呟くのだった。



 同船。

 船長室にて。

 そこには一頭の獣がいた。

 血が滲む包帯で顔を覆った人の姿をした獣だ。

 ゴーグである。


「……………ッ!」


 片手で顔を抑えて、ゴーグはギリギリと歯を軋ませる。

 幾度となく思い出すのは、あの日のことだ。

 あの戦いは一瞬だった。

 ゴーグがあの男へと跳躍した時。

 立ち塞がったのは巨大な獣だった。

 あの男の傍らにいた犬のような獣である。

 雷速のような速さで現れたその獣は、ゴーグに対して爪を振り下ろした。

 その一撃で、ゴーグは顔を深く刻まれて吹き飛んでしまった。


 それだけだ。

 たったそれだけで、ゴーグは戦闘不能に陥ってしまった。


 あの男は、戦いにさえ参加しなかったのである。


「……………ッッ!」


 これほどの屈辱はなかった。

 その上、ゴーグを殺すこともなく、戦意喪失で硬直する海賊どもをよそに、あの男は自分の女たちと共に、島にいた奴隷たちを根こそぎ連れて立ち去ったそうだ。

 略奪した宝こそほぼ無事だったが、島の食料はごっそりと奪い尽くされた。

 言わば、海賊が略奪されたのである。


 ギリギリギリッ。

 歯が軋む。


 怒りに憎しみ。激情が荒れ狂う。

 女をどれだけ抱こうか、全く納まらない。

 ゴーグはベッドに腰を掛けていた。

 その後ろには三人の女が裸体で横たわっていた。

 三人ともすでに気を失っている。

 こんなものではまるで食い足りなかった。


 あの男を殺す。

 あの男の女を奪う。

 いや、女を奪ってから男を殺す。

 女を犯して、あの男の目の前で殺す。


 そんなことばかりを考えていた。


「……ガハァ」


 息を大きく吐く。

 その仕草さえも、もはや獣のようだった。

 元々、巨漢の筋骨隆々な体躯ではあったが、今は全身に血管も浮かび上がり、大きく膨れ上がっているように見えた。

 まるで別の生物に変化したかのようだ。

 事実、微かにだが、額にイボのような角が浮き上がっていた。

 まるで鬼人オウガ族のようである。

 ゴーグ自身、そのことに気付いていない。

 あまりの怒りに、自分も知らない遠い血族の力が目覚め始めていることに。


 と、その時だった。


『離してよ!』


 そんな声がドアの向こうから聞こえてきた。

 ゴーグがドアに目をやった。

 すると、ドアが開かれて、一人の女が部屋に飛び込んで来た。

 いや、押し込まれたというべきか。

 軽鎧を着た女だった。その手には長剣を握っている。

 だが、ゴーグが最も興味を抱いたのは女が黒髪であることだった。

 短いが、あの男の女と同じ髪の色だ。


「―――ひ」


 女は青ざめて長剣を構えた。

 しかし、そんなものは無意味だ。

 ゴーグは一瞬で間合いを詰めて、刀身を握った。

 そのまま飴細工のようにへし折る。

 軽鎧も殻でも剥ぐようにその下の衣服ごと引きちぎった。

 肌が剥き出しにされる。

 女が悲鳴を上げるが、歯牙にもかけない。

 片手で掴み上げて、床に押し倒す。

 女に顔を近づけて大きく息を吐きかけた。

 そうして――……。


 狂獣は彷徨う。

 憎き獲物を求めて。




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