第24話 制圧戦➂

 ――ハァ、ハァ、ハァ……。

 ビエンは、息を切らして廊下を走っていた。

 足元は、すでにフラフラだった。

 まだもつれていないのが不思議なぐらいである。

 なにせ、普段はここまで走ることもない。

 体力も気力も、もう限界だった。

 だが、ここまで必死に走り続けたおかげで、侵入者に遭遇することもなく、目的の場所にまで辿り着けた。


(……くそ)


 そこは行き止まりだった。

 立ち止まったビエンは、壁に手をついて呼吸を整える。

 走るのを止めた途端、膝が震えて、額には汗が一気に噴き出てきた。

 言うほど不摂生はしていないつもりだったが、運動不足はこういう時に祟ってくる。

 それを痛感していた。


 ともあれ、顔の汗を拭い、十数秒かけて呼吸を整えた。


(……よし)


 ビエンは壁の煉瓦に触れた。

 ガコンッと押し込む。

 さらに幾つかの箇所を同じく押し込んだ。

 すると、煉瓦の壁が左右に開かれた。

 隠し扉である。扉の奥には下りの階段が続いていた。

 地底湖へと繋がる階段である。

 この隠し扉は幹部でも数人しか知らない場所だった。


 ビエンは階段へと降りる。

 同時に壁に触れて煉瓦を押し込むと、隠し扉が閉まった。

 これでしばらくは目晦ましになるはずだ。

 流石に体力的に限界なので、ビエンはゆっくりと階段を降りていく。


(ここまで来れば、もう脱出するだけだ)


 重い体に鞭を打ってビエンは進む。

 階段は薄暗い。

 魔石を動力にしたランタンが設置しているが、充分な光源とは言えない。

 閉鎖されたここには外の喧騒も届かない。

 普段は気にもしていなかったが、この薄暗さと静けさには不気味さがあった。


 ――コツン、コツン。

 ビエンの足音だけが響く。

 気が急いて、少しずつ足取りも早くなっていく。

 そうして、三分の二ほど進んだ時、


(……なに?)


 ビエンは眉をひそめた。

 風を感じたのだ。

 それ自体はおかしくない。

 地底湖は海へと繋がっている。

 ここまで近づけば潮風を感じることもあった。

 しかし、今回の風には違和感を覚えた。


 何故か寒気を感じたのだ。

 いや、はっきりと言えば冷気を感じたのだ。


(どういうことだ?)


 困惑するが、ここで立ち止まる訳には行かない。

 ここだけが唯一の脱出口なのだ。

 ビエンは意を決し、階段を降りた。

 そうして、


「――――な」


 目を見張った。

 広い地底湖。そこには港があった。

 そして一隻の鉄鋼船が停泊しているはずだった。

 確かにそれは変わりない。

 だが、見慣れたモノが存在しても、その光景は初めて見るものだった。


「なん、だ。これは……」


 思わず喉を鳴らした。

 普段から使用する裏港。

 そこは今、すべてが凍っていた。

 地底湖は凍り付き、船は氷塊で固定されている。

 港では船員たちが氷柱の檻に閉じ込められていた。

 死んではいないようだが、全員が震えて無抵抗となっていた。

 ビエンは愕然とした表情で後ずさる。と、


「……あなたは幹部?」


 不意に、背後からそんな声を掛けられた。

 ビエンが飛びのいて振り向くと、階段を塞ぐように一人の女がいた。

 大きな杖に、緑色の三角帽子に同色のローブ。

 見るからに精霊魔法師だ。

 相当に若い。恐らくは十代後半か。

 幻想的なまでの美貌を持つ少女だった。


「お前がこれをやったのか……」


 懐からナイフを取り出して、ビエンは威嚇する。


 ――氷の妖精。


 そんな名称が脳裏に浮かぶ。

 一方、少女は淡々と、


「そう」


 表情も変えずに答える。


「風で捜索してここはすぐに見つけた。もう逃げられない」


「………く」


 ギリと歯を軋ませるビエン。

 ナイフを強く握った。

 ここから逃げるには、目の前の少女を排除して、再び要塞内に行くしかない。

 幸いにも敵は目の前の少女だけのようだ。

 精霊魔法師なら、接近戦に持ち込めばどうにかなるかも知れない。

 そんなことを考えるビエンだったが、


「動かない方がいい」


 少女は杖を頭上に向けた。

 ビエンはつられて上を見やる。

 そして絶句した。

 数百の氷柱がビエンを標的にした状態で待機していたのだ。


「ここに来た時点であなたが幹部なのは分かる」


 少女は言う。


「あなたに選択肢を与える。投降するのか。それとも戦うのか」


 そこで彼女は微笑んだ。


「どちらを選んでもいい。私は別にあなたが死亡デッドでも構わないから」


「……………」


 ビエンは言葉を失った。

 荒事の素人であっても分かる。

 これは逆立ちしても絶対に勝てない相手だと。

 カラン、カラン、とナイフが落ちる。

 ビエンは力なく両膝を突き、同時に放たれた氷柱が檻と成った。

 少女は背中を向けて、階段を昇り始めた。

 階段の入り口も氷柱の攻撃によって閉ざされた。


 海賊島グラダゾードが制圧されたのは三時間後のことだった。

 


       ◆



 そうして。


「……はァ」


 両腕を頭の後ろで組んで、レイが嘆息する。

 その隣にはティアの姿もあった。

 現在、二人は第二層の廊下を歩いていた。


「結局、ゴーグって奴、どこにもいなかったじゃん」


「うん。まさかの留守とは思わなかった」


 ティアも溜息をつく。

 ほとんどの幹部は逃さず制圧できたのだが、大頭のゴーグと、NO2のランダの姿はどこになかったのだ。

 事情聴取によると、最初からこの島にいなかったようだ。

 行き先を問い質しても知らないの一点張りだった。海賊が捕縛された後まで大頭に義理立てする理由もないので真実だと思われる。


「流石にいないんじゃあ捕まえようもないか」


 レイは疲れ切った顔を見せた。

 結局、レイは幹部や雑兵を倒しながら彷徨い続けるだけだった。


「こればかりは仕方がない」


 ティアが言う。

 現在、グラダゾードはギルドの管理下にある。

 捕縛した海賊どもの輸送。強奪された金銭や宝物の確認などで大忙しだ。

 しかし、それらはあくまでギルドの役目。

 ティアたちは、出航まで手持ち無沙汰になってしまった。

 すでに時刻も遅い。多くの冒険者たちは船か、もしくはこのグラダゾードの部屋を拝借して仮眠を取っているのだが、ティアたちはアロを探していた。

 グラダゾードの制圧後、アロは「ちょっと第二層に行ってくる!」とだけ言って、凄い勢いで走り去ってしまったのだ。


「どうしたんだろ? アロ?」


 レイが首を傾げた。


「なんか凄くそわそわしてたけど」


「何かを見つけたのかも」


 ティアが廊下沿いの空いた部屋を覗き込んで言う。


「アロは鼻がいいから」


 そんな話をしている内にアロはすぐ見つかった。

 少し上等な来客室のようだ。

 そのベッドの上で、アロはシーツを被って丸くなり、ゴロゴロしていた。

 くゥん、くゥん、と初めて聞くような甘い声を零している。

 ティアもレイも目を丸くした。


「……何しているの? アロ?」


 レイが声を掛けると、アロはビクッと肩を震わせた。

 次いで上半身を起き上がらせると、愕然とした顔で振り向いた。


「お、お前たち、いつから……」


「いや、今きたばかりだけど?」


 レイがそう答えると、アロはバタバタと両手を振った。

 その時、シーツが肩から落ちる。アロは「あっ!」と慌ててシーツを拾い上げた。それを口元に当てて「……わふん」と声を零した。


「さっきから何をしてるの?」


 ティアがそう尋ねると、アロはハッとした表情でシーツから顔を離した。


「ち、違うんだ! だって仕方がないじゃないか!」


 内股で座り込んだままアロは言う。


「だって久しぶりの主人の匂いなんだ! 寂しさとか嬉しさとかで少しぐらい暴走しても仕方がないだろ!」


 そんなことを叫んだ。

 一瞬、ティアたちはキョトンとしたが、


「……え?」「どういうこと?」


 二人がそう尋ねると、アロは「え、えっと……」と言葉を濁らせつつ、


「たぶん一ヶ月ぐらい前。この部屋に主人がいたみたいなんだ」


 そう答えた。

 十数秒ほど、沈黙するティアたち。

 そして、


「「……………は?」」


 二人して目を丸くするのであった。





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