第17話 森の奥にて
その日。
昼を少し過ぎた頃。
リタたち、
「結局」
周囲を警戒しながら、リタが呟く。
「ワンズおじさんって凄く良い人だったわね」
「まあ、そうだね」
金棒を肩に担いでライラが頷く。
そして、前を歩くクロの頭をポンと叩いた。
「…………」
クロは神妙そうな顔だった。
その首にはすでに隷属の首輪はない。なおライラの首にもだ。
行き先が決まったリタたちに、ワンズはこう語ったのだ。
『クロに案内してもらう。だが』
ワンズは片膝をつき、クロの隷属の首輪を外した。
『同時にクロを集落まで届けてもらうぞ。いいな』
『それでいいの? おじさん』
リタが眉根を寄せて問う。
この国で意図的に奴隷を逃がすのは重罪だと聞いていた。
すると、ワンズはふっと笑って、
『悪いが、そこはお前らに罪を被ってもらうぞ』
そう告げる。
『俺はお前たちに部屋を貸していた。だが、余所者であるお前たちは奴隷のクロを憐れんで集落まで逃がした。それが筋書きだ』
『あ。なるほど』
カリンがポンと手を叩く。
『それならワンズさんの罪は問われないですね』
『ああ。まあ、お前らはもうこの国には来れなくなるだろうが』
ワンズは頭を下げる。
『すまん。だが、クロを逃がすにはこの機会しかないんだ』
『……旦那さま。ぼくは……』
ワンズの顔を見上げるクロ。
ワンズはニカっと笑い、
『クロ。元気でな』
クシャクシャとクロの頭を撫でた。
クロは無言で俯くだけだった。
こうして、リタたちはグラフ王国を旅立ったのである。
クロの服は執事服から全身を守る黒い
ワンズがクロのために用意した服だった。
「……旦那さま」
自分の胸に手を当ててクロは表情を曇らせた。
「クロちゃん」
そんなクロの肩にカリンが手を置いた。
「ワンズさんの気持ち。受け取ってあげてね」
「……はい」
まだ表情は暗いが、クロはカリンを見やり、頷いた。
「けど、だいぶ進んだけど、あとどれぐらいなの?」
と、ジュリが尋ねる。
この森に入ってそろそろ二時間半ほどになる。
木々の間隔もかなり狭まって、リタやジョセフが剣で繁みを切り拓くことも多くなってきていた。幸いにもまだ魔獣とは遭遇していないが、戦闘には向いていない環境だ。
森の中のダンジョンにも来たことはあるが、ここまで深く進んだことはない。
「丁度、半分ぐらいです」
クロは答える。
「ここら辺りから木々のサイズが少しずつ大きくなります。森自体が大きくなる感じで魔獣との遭遇率も高くなってきます。だから気を付けて――」
「……む。待て」
その時、クロの台詞を遮ってジョセフが言う。
「姫。前方に広場。そこに人影があります」
「人影?」
リタは眉をひそめて前方を見やる。
繁みの奥。そこには大きな広場があった。
そして、その中央に腰を下ろして携帯食を口にする三人の男がいた。
全員が二十代前半ほど。長剣を肩に担いだ軽戦士。戦鎚を傍らに置く重戦士。そしてメイスを腰に差した……恐らくだが神聖騎士か。
リタたちは木々や繁みに身を隠した。
「(……リタ。ここら辺ってダンジョンはなかったわよね)」
「(……ええ)」
小声で尋ねて来るジュリに、リタも小声で答える。
「(もしや話に聞く奴隷狩りでしょうか?)」
ジョセフがリタに問うと、それにはクロが答えた。
「(いえ。奴隷狩りはもっと街の近くで行われます。捕えた獣人を運ぶのが大変だから。ぼくたちも使う薬草の採取地とかを狙われているんです)」
「(……それじゃあ、あの人はここで捕まった訳じゃないんだね)」
カリンはそう呟く。
彼女としては非常に珍しい不快感が滲んでいる。
「(……そうだろうね)」
そんなカリンの肩に、ライラが手をそっと置く。
広場にいるのは三人の男だけではない。
四人目がいた。ボサボサの長い髪の獣人族の女性だった。
年齢は二十歳ぐらいだろうか。みすぼらしい奴隷服。だいぶ痩せており、あばらが浮き上がっている。狼の獣耳と尾でクロと同じ狼人族ということが分かった。
首には隷属の首輪。両腕には強制人化の腕輪を付けられている。
彼女は四つん這いになって、ガツガツと携帯食に喰らい付いていた。
「おい。いつまでもがっついてんじゃねえよ」
その時、重戦士の大男が、彼女の髪を引っ張り上げた。
彼女は「キャインっ!」と獣のような悲鳴を上げた。
「そろそろ休憩も終わりだ。ワンコロ」
大男は問う。
「お前らの集落はどっちだ?」
「あ、あっちです」
狼人族の女性が森の奥を指差した。
「……おい」
すると大男が青筋を浮かべた。
そして彼女のあごを掴み、
「誰が言葉を喋っていいと言った? 返事は『わん』だろうが」
そう告げる。
「まだ躾が足んねえか?」
そして彼女を肩に担ぎ上げた。女性の顔は青ざめている。
「ちょいと躾けてくる。少し時間をくれ」
「おいおい」
重戦士の言葉に、軽戦士の男が苦笑を浮かべた。
「昨夜もシまくったんだろ? 何だかんだでオキニじゃねえか」
「うっせ。俺の奴隷だ。どう扱おうが勝手だろ」
そう告げて、女性を抱えたまま森の奥へと向かっていく。
どうやら目的は集落のようだ。
狼人族の女性に無理やり案内されようとしているのだろう。
しかし、たった三人で集落を襲撃するのは無謀だ。恐らく場所だけ確認してその情報を貴族にでも売るつもりなのかもしれない。
「(あいつら、たぶん、あまりランクは高くないわね)」
ジュリが言う。
「(そこまで集落に近づけば匂いで追われるわ。ましてや狼人族ならね。それが分からない程度には想像力が足りてない奴らよ)」
「(そうね。たぶん自滅するだろうけど、彼女は放っておけないわ)」
リタが、ジョセフとライラを見やる。
「(ジョセフ。ライラ。彼女を頼める? 私たちは残り二人を無力化するから)」
「(御意)」「(了解だよ)」
二人は頷いた。
「(クロちゃんはここに隠れてて――)」
と、リタが指示を出そうとした時だった。
思いがけないことが起きた。
「……あン?」
女性を抱えた重戦士の大男が目を瞬かせて動きを止めた。
森の中からいきなり人間が現れたからだ。
リタたちではない。
新手の冒険者でも獣人でもない。
それはメイド服の女性だった。
銀色の長い髪。銀の瞳を持つ十八歳ほどの女性である。
こんな森の奥ではあまりにも場違いな存在だった。
森の中のリタたちも、広場の男たちも呆気にとられた。
そして、
「もし」
おもむろに、女性は口を開いた。
「人を探しております。お聞きしてもよろしいでしょうか?」
◆
――同刻。
グラフ王国の王都シンドラット。
そこにある場末の娼館の一室にその男はいた。
二十代後半ほどの男だ。
上半身は裸であり、今はゆっくりと煙草を吸っている。
ベッドに腰をかける男の後ろには、裸体の
(つまんねえ国だな)
男――サガン=クオズは思う。
娼館を否定する気はない。だが、この隷属の首輪とやらは無粋だ。
だから最も気性の荒い女を選んだ。
仲間を逃がすために奴隷のオークション会場を襲撃し、四十人以上の警備兵を以てようやく捕らえたそうだ。こうして娼館に売られてなお、これまで誰にも体を許さなかった女だった。首輪によって呼吸困難に陥ろうが、それでも抵抗していたとのことだ。むしろそこまで気性が荒いからこそ場末の娼館ぐらいしか買い手がなかったそうだ。
中々に気に入った。
その女を選び、あえて首輪も手枷も外してやった。「俺に勝てたら逃げていいぜ。だが、俺が勝ったらお前を抱くぞ」と相手の流儀で挑発してやった。
まあ、結果は今に至る。とばっちりでこの娼館は半壊した。今は他の客や娼婦たちも逃げていない。この部屋は数少ない無事な部屋だった。
だが、おかげで昨夜は実に楽しめた。修理費や賠償金は弾むつもりだった。
(しかしまあ)
紫煙と共に、サガン=クオズは嘆息した。
(計画の方は最悪だな。手間をかけた
リタ=ブルックスとジュリエッタ=ホウプスの殺害のために用意した
暗殺には持って来いの特性を持つ
(徒労に終わったのは仕方がねえ。だが、
サガンは双眸を細める。
(もし、ガドの御大将が出張ってきたら厄介だ。やっぱ『虎の子』を出すのならこのタイミングでしかなかったか)
正直に言えば、あれは本当にとっておきだった。
いざという時の切り札として密かに確保していたモノだ。
あの二人の始末程度に使うにはあまりにも過剰である。
だが、それも仕方がない。
これ以上、サガン自身が動くのにはリスクがある。
しばらくは本来の仕事に専念して身を潜めるべきだった。
ゆえに代行の暗殺者が必要だったのだ。
そして、それこそが、サガンの『虎の子』だった。
「………ふゥ」
サガンは灰皿で煙草を消した。
それから後ろで眠る女の腕を取る。
引っ張り上げて、自分の膝の上に乗せた。
彼女はまだ眠ったままだ。腰に手を回して支えてその顔を見やる。
年齢は十九歳ほど。髪は黒の混じった白。
「おい。起きろ」
彼女の頬に触れて声を掛ける。
「………んァ」
彼女はすぐに目を覚ました。
が、サガンの顔を見るなり、「っ! お前っ!」と牙を見せる。
しかし、サガンは構わず、
「ああ~、騒ぐな。お前はもう俺の女だろ。昨夜を忘れたか?」
「………っ!」
彼女はギリと牙を鳴らした。
「もう少し楽しんでから娼館を出るぞ。それとお前は俺が身請けするからな」
そう告げると、彼女は目を見張った。
「……ガウを買うのか? なんでだ?」
「気に入ったからに決まってんだろ」
サガンは不敵に笑う。
「お前の全部がさ。マジで大当たりだ。ちょうど相棒も探してたんだよ」
そう告げて、彼女の長い尾を強く掴む。
獣人族が
彼女がぐっと唇を噛むが、サガンは気にせずに言葉を続ける。
「俺はトレジャーハンターみたいな仕事をしててな。お前の強さは合格だ」
「……ガウを相棒にしたいのか?」
「そういうことだ」
サガンの台詞に彼女は沈黙する。
そして、
「分かった」
彼女は視線を逸らしつつも承諾した。
「ガウは負けた。だからガウはもうお前の女だ。好きにしろ」
「ははっ、潔いじゃねえか」
サガンは笑う。
「やっぱ良い女だな。この国に来た唯一の戦果だぜ。ああ、そうだ。ところでお前の名前はガウでいいんだよな?」
「ああ。ガウだ。ガウは
「俺の名はサガン=クオズだ。しかし巫女さんかよ。いや、今となっては元巫女か。俺がもらっちまったからな」
「うるさい。あれは怖くて痛かった」
彼女――ガウは不機嫌そうな顔で言う。
「そいつは悪かったな。じゃあ、今から甘やかしてやるよ」
言って、サガンはガウの唇を奪った。
明らかに慣れておらず、ぎこちない彼女をそのまま押し倒す。
(さて。しばらくは真面目に仕事をするか)
相棒に決めた女を再び味わいながら、サガンは双眸を細めた。
(だからそっちは頼むぜ。『ルルエライト=レプリカドール』)
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