第16話 罪架の鎧

「……それで」


 廊下を歩きながら、アニエスは問う。


「あなたは私に何をさせたいの? 『陛下』」


「……ふむ」


 前を歩くロザリンが足を止めて振り向いた。

 アニエスたちはロザリンの先導で別の場所に向かっていた。


「その『陛下』とはなんじゃ?」


「あなたは魔王なのでしょう?」


 素っ気なくアニエスは答える。


「だから陛下よ。好きに呼べと言ったのはあなたよ」


「……ふむ。そうか」


 ロザリンは皮肉気に笑う。


「まあ、よかろう。して、そなたの使い道じゃが」


 再びロザリンは歩き出す。


「しばらくは妾の手駒になってもらおう。二人の少女を守ってもらうぞ。リタ=ブルックスと、ジュリエッタ=ホウプスじゃ」


「……私にとっては有り難い話だけど、どうしてあなたがリタを守るの? それにジュリエッタという子は……」


 アニエスは聞き覚えのある名に眉をひそめた。


「リタの恩人よね。今はリタと同じパーティーの」


「ああ。そうじゃな」


 アニエスに背を向けたまま、ロザリンは肩を竦めた。


「どうも妾の配下が暴走しておるようじゃ。たしなめようにも簡単には尻尾を掴ませまい。有能さが裏目に出ておるな」


 後ろ姿からでも嘆息したのが分かる。


「ともあれ、妾の配下の暴走であやつらに死なれては流石に妾とて胸が痛い。申し開きもできん。ゆえにそなたには護衛を続けてもらう。それともう一つ」


 そこで再び足を止めて振り向くロザリン。

 少女は、アニエスも息を呑むほどに妖艶に笑っていた。


「そなたには夜伽をしてもらう」


「………え?」


 アニエスは目を見開いた。


「言っておくが相手は妾ではないぞ。妾の愛しきヌシさまの夜伽じゃ」


「……ヌシさま」


 アニエスは表情を険しくした。


「何度か出て来た名前ね。何者なの?」


「そなたがまだ知る必要はないことじゃ。いま言えるのは妾が正妃であり、そしてそなたは側室になるということじゃ。妾の腹心としてのう」


 そこでロザリンは「ふん」と鼻を鳴らして腕を組んだ。

 それから、コツコツとアニエスの方に近づき、


「どうも寵姫は徒党を組む者が多いからの。妾も備えるべきであろう。それよりも覚悟しておけ。そなたがヌシさまの腕に抱かれる時」


 ロザリンは、アニエスの心臓の上を人差し指で突いた。


「そなたの心は引き裂かれる。相反する激情に呑まれ、打ち砕かれよう。じゃが、逃げ出すことなど妾が許さぬ。それが妾の眷属となったそなたの運命じゃ」


「……随分と恐ろしい相手のようね。その人は」


 アニエスは小さく嘆息した。


「けど、構わないわ。どんなふうに扱われようとも。今さら男に抱かれることになるなんて思ってもいなかったけれど。ああ、そうね」


 そこで皮肉気な笑みを見せる。


「あえて言うのなら、こんな穢れ切った三十路女でいいのかしら? そのヌシさまって人の食指が動くのかはなはだ疑問なのだけど?」


「……ふん」


 アニエスの柔らかな胸を強く押しつつ、ロザリンは半眼を見せた。


「そなたの美貌と若々しさでそれは卑下しすぎじゃ。じゃが憶えておけ」


 背を向けてロザリンは言う。


「それは数年後の話じゃ。まずは妾がヌシさまの寵愛を賜ってからじゃ。よいな」


 ロザリンは歩き出す。

 アニエスも無言でその後を追った。

 ややあって、謁見の間にも劣らない大きな扉の前に到着する。

 ロザリンは右手で扉に触れた。掌から扉へと、一瞬、光が奔った。

 数秒後、大扉はゆっくりと開いた。

 ロザリンたちは部屋の中へと進む。


「……ここは宝物庫?」


 周囲を見やり、アニエスが呟く。

 そこは整理された宝物庫のようだった。

 しかし、宝物というには奇妙な物が多い。

 どう使うのか、分からないような道具が多かった。それらは透明なケースに納められていて、それぞれナンバリングされている。

 宝物庫と呼ぶより、古物博物館のようだった。


「ここは回収した知の宝庫よ。さて」


 おもむろに、ロザリンは足を止めた。

 アニエスも彼女に倣う。

 ロザリンの前にある物体。それは黒い鎧だった。

 禍々しさを感じる巨大な全身甲冑である。それが座る形で置かれている。

 その傍らには、赤い刀身の大剣も立てかけられていた。


「これの名は『罪架ざいかの鎧』」


 ロザリンが透明なケースに触れると、すっとケースが消えた。


「古代の宝具の一つじゃ。現時点で判明しておる刻まれた魔法式は三つ。身体強化、痛覚鈍化、そして――」


 ロザリンは笑う。


「空間転移。指定した場所へと一瞬で移動できる失われた転移魔法じゃ」


「―――な」


 アニエスは目を剥いた。


「現存の中では破格の宝具よ。しかしのう」


 ロザリンは言葉を続ける。


「その名から分かるようにこれは罪人用の宝具なのじゃ。罪人に纏わせて都合のよい場所に転移させる。そして身体強化と痛覚鈍化の魔法式は時間経過と共に上限なしとなっていく。要は戦場に狂戦士を送るための宝具じゃ」


「……狂戦士」


 反芻するアニエスに、


「使い捨てのな」


 ロザリンが続く。


「筋肉が断裂し、骨が粉砕されようと罪人は死ぬまで戦えと言うことじゃ。無論、遠隔で自滅させることもできる。アニエスよ」


 ロザリンはアニエスに告げる。


「これをそなたにくれてやろう」


「……なるほどね」


 アニエスは前へと進む。

 座っていてなお、アニエスの背よりも大きい黒い鎧を見上げた。


「これを使えば私はいつでもリタの場所に跳べる。だけど、遠隔操作が可能ということはこれを纏うことで私の命はいつでもあなたが消せるということね」


「ふむ。理解が早いな」


 ロザリンは苦笑を零した。


「じゃが、そなたの命を奪うまではせぬぞ。むしろ、そなたの命が危うい時は妾が無理やり回収することになるじゃろう」


「……優しいのね」


 アニエスも苦笑を浮かべた。


「私にそれだけの価値があるとは思えないけど」


「自覚せよ。アニエス=ストーン――いや、アリス=ホルター」


 ロザリンは冷酷な眼差しを見せた。


「そなたは、いずれその罪と共にヌシさまに奉じられる贄であるということをな」


「……ええ。そうね」


 アニエスは鎧を見据えたまま双眸を細めた。


「私にとってはどうでもいい話だけど。それよりも陛下」


 アニエスはスカートを揺らして、ロザリンの方に振り向いた。


「この鎧はどうやって使えばいいのかしら? サイズが合いそうにないのだけど?」


「ああ。それなら案ずるな」


 ロザリンは腕を組んで告げる。


「その鎧は罪人のためのモノ。ゆえに罪を持つ者に罰を与えるのが大好きなのじゃ」


「……どういう意味?」


 アニエスが眉根を寄せる。と、


「サイズ合わせさえも地獄よ。アニエス。これこそが妾の試練じゃ」


 ロザリンは双眸を細めて微笑んだ。


「見事、乗り越えてみせよ。なにせ、正気を失っては使い道に困るからの」


「―――え?」


 アニエスが目を丸くした。

 黒い鎧が立ち上がり、アニエスの全身を呑み込んだのはその直後だった。

 そうして――……。



 どれほどの時間が経っただろうか。

 最初に来たのは激痛だった。

 全身を針で突かれるような痛みだ。

 何度も絶叫を上げて、何度も気を失った。

 しかし、激痛で無理やり意識を呼び戻される。


 続けて来るのは熱さ。生きたまま炎に焼かれるような熱さだ。

 呼吸さえもままならない。のたうち回ったような気がする。


 次いで寒さだ。

 凍える。心まで凍える。極寒の海に裸で放り出されたような感覚だ。

 もはや歯も鳴らない。命の炎が消えていくことを感じた。


 そして最後は何もなかった。

 五感すべてがなくなり、自分がどうなっているのかも分からない。

 果たして浮いているのか、横たわっているのか。

 光も無く、ただ闇に覆われていた。


 このまま死んでいく。

 そう思った時、何か温かいモノを感じた。

 誰かに手を掴まれていた。

 それは幼い手だった。




 ――君が困っていたら……。




 どこからか。

 とてもとても遠い場所からか。

 そんな声が聞こえてくる。




 ――きっと助けるから。




 誰よりも優しい声だった。

 心が強く震える。

 そうして――。



『………う、あ』


 アニエスは息を吐いた。

 次いで震える両腕で上半身を起こした。

 ゴホッゴホッと激しく咳き込む。


「……ふむ。乗り越えたか」


 その時、少女の声が聞こえた。

 ロザリンの声だった。

 しかし、その声はどこか不機嫌そうだった。


「じゃが、これは想定外じゃったのう。土壇場で精霊数が跳ね上がりおった。まさか妾が助ける前に精霊たちがそなたを救うために動くとはな」


 小さく呟く。


「改めて思うと、まことに羨ましき立場よの。愚かな真似さえしなければ、間違いなく始まりの寵姫となれたものを」


『な、なに、を……?』


「ふん。そなたはまだ知らなくてもよいことじゃ。それよりも」


 一拍おいて、ロザリンは告げる。


「自身の姿を見てみよ。それがそなたの新たな姿じゃ」


『……え?』


 ようやく呼吸が落ち着いたアニエスは自身の姿を見やる。

 腕に脚。腹部や胸元。そして頭部。

 それらはすべて黒い鎧に覆われていた。

 しかも、サイズが完全に合う女性用の鎧だった。

 傍らには長剣サイズとなった赤い剣が落ちていた。


「罪架の鎧はそなたを主と認めたようじゃ」


 ロザリンは言う。


「『脱着』と言ってみよ」


『だ、「脱着」?』


 アニエスが反芻すると、黒い鎧は一気に剥がれた。そして虚空へと消えていく。落ちていた赤い剣も一緒にだ。

 アニエスは唖然とした。

 そして自分の両腕を見てギョッとする。

 そこには短い鎖の付いた黒い手枷があった。

 触れてみようとするが、すうっとすり抜けた。


「それは罪架の鎧との契約の証じゃ。実体はない」


 ロザリンが説明する。


「鎧は常にそなたと共に在る。『着装』と言えば鎧はそなたの身を覆う。すでにサイズ合わせが終わった以上、激痛はもうないが、扱いには充分に気を付けよ」


 ロザリンは腕を組んで双眸を細めた。


「これにて試練は終わりじゃ。しかしのう」


 そこで座り込むアニエスをまじまじと見やり、嘆息した。


「口元の唾液ぐらい更け。全身も汗まみれじゃぞ。そなたの体は、もはやそなたのモノではないのじゃ。これよりおのれを卑下することを禁ずる。ヌシさまに相応しく、常に凛々しく誇り高く在り続けよ」


 一拍おいて、


「そうして精霊たちの慈悲に報いることじゃな。流石に次はないぞ」


「―――え? それはどういう……」


 口元を拭いつつ、目を瞬かせるアニエスに、


「……どうでもよい」


 少し不機嫌そうに返すロザリン。


「ともかく早く入浴せよ。ああ、折角じゃ。妾も付き合ってやろう。ヌシさまの贄に相応しいか、そなたの肢体を吟味してやろうではないか。なんなら古代のアンチエイジングの秘術を実験……もとい、施してやるぞ」


 わしゃわしゃと指先を動かしてそう告げた。


 そうして、それから数日が経過した。

 謁見の間にて。

 黒いドレスを纏うアニエスは、玉座に座るロザリンの左隣に控えていた。

 右隣には無表情なメイドの姿もある。

 すると、


 ――チチチ。


 半透明の小鳥がアニエスの前に現れた。

 小鳥は差し出したアニエスの指先に止まる。


「陛下」


 アニエスは主たる少女に声をかける。


「行ってくるわ」


「ふむ。そうか」


 ロザリンはアニエスを一瞥して言う。


「五分のみ戦闘を許可しよう。行くがよい」


「ええ」


 アニエスは頷く。

 そして、


「『着装』」


 アニエスの全身が虚空から現れた黒い鎧に覆われる。

 その手には赤い長剣も握られていた。

 そうして、ふっ、と。

 黒い鎧の騎士はその場から消えるのであった。




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