第15話 魔王は見通す

 ――カツン、カツン、カツン。


 大理石の廊下にヒールの音が響く。

 それは、リタたちがライドの行方を知る数日前のことだった。

 人気ひとけがまるでない廊下。

 そこを一人の女性が歩いていた。

 蒼い瞳に、短く切り揃えた黄金の髪。スレンダーな肢体には、喪服を思わせるような黒いドレスを纏っている。


 アニエス=ストーンだった。


(まるで魔王の城ね)


 そんな感想を抱きながら、長い廊下を進んでいく。

 ややあって巨大な扉が現れた。

 アニエスは顔を上げる。


(……ここね)


 アニエスに与えられた部屋からここまで一本道だった。

 案内がなくとも間違えるはずもない。


(もしかすると、この城の構造自体が自在に変更なのかもしれないけど)


 そんな恐ろしい可能性も考える。

 アニエスを攫ったあの少女なら、それぐらい出来そうだった。

 あのダンジョンでの敗北の後。

 気付けば、アニエスは見知らぬ部屋にいた。

 天蓋付きのベッドがあるような豪勢な部屋だ。

 そこにアニエスはアンダーウェアのみのボロボロの姿のまま横になっていた。

 起きた直後は目を瞬かせるだけのアニエスだったが、現実を思い出すと一気に血の気が引いて立ち上がった。

 ほぼ全壊してしまった鎧はすでにない。

 細剣レイピアを探したが、それもどこにもなかった。


 ただ代わりに一人のメイドが部屋の片隅に立っていた。

 十八歳ぐらいだろうか。長い銀髪と銀色の瞳を持つ美女だ。

 そのメイドは瞬きさえもしないほどに無表情だった。そして無言のまま、一着の黒いドレスをアニエスに差し出してきた。


「……これを着ろと?」


 アニエスがそう尋ねると、メイドは「はい」と頷いた。

 そして一言、


盟主レディがお待ちしております」


 それだけを告げて、部屋から立ち去って行った。

 アニエスは困惑しつつも、ドレスに着替えた。

 今は状況がはっきりするまで指示に従う方がいいと判断した。

 そうして部屋を出た。そこにメイドの姿はなかったが、角部屋であり、廊下は一本道だったのでそのまま進み、今に至る。

 アニエスは目の前の扉に手を触れた。

 途端、巨大な扉は、自らゆっくりと開かれていった。

 ここに至って臆するつもりはない。

 アニエスは部屋の中へと入った。

 そこは広大な部屋だった。

 支柱が並び、その奥には天井にも届きそうな背の高い椅子がある。


 まさしくここは謁見の間だった。

 そして玉座には女王が座っている。


「来たか。アリス=ホルター」


 細い足を組んで座る白髪の少女。

 アニエスをねじ伏せた竜人族の少女である。


「…………」


 アニエスは無言で歩を進めた。

 だが、近づくほどに体が重くなっていく。

 本能が危険を告げているのだ。

 それでもアニエスは数歩で間合いに飛び込める位置にまで接近した。


「……ふむ」


 少女が双眸を細めて笑う。


「意外な気丈さよな。愚物なんぞに堕とされ、孕まされた女にしてはな」


「………っ」


 アニエスは歯を軋ませた。

 それは明確な事実。反論の余地もない。

 だが、問題はこの少女がそんなことまで知っていることだ。


「……あなたは何者なの?」


「妾か? 知識海図ミストラインの盟主……と名乗ってもB級程度のそなたでは分かるまい」


 手の甲にあごを乗せて、少女は笑う。


「適当に『魔王』のようなモノだと思うておけ。名はロザリンじゃ。じゃが、その名で呼ぶな。我が名を呼んでよいのは我が愛しきヌシさまのみよ」


 一拍おいて、


「他の者は『盟主レディ』と呼ぶ。我が名以外ならば好きに呼ぶがよい」


「……あなたは」


 アニエスは少女――ロザリンを睨みつける。


「リタとどういう関係なの?」


「それを聞いてどうする?」


 ロザリンはつまらなそうに言う。


「娘を捨てたそなたが今さらになって娘を気遣うのか? いや、今は親権を取り戻したという話であったか」 


「…………」


 アニエスは唇を強く噛んで、硬く拳を固めた。

 一方、ロザリンは「ふむ」と呟き、


「こうして話しても、そなたの心情が読めんな。どれ。これに聞いてみるか」


 言って、左の掌を上にして軽く手を上げた。続けて「ルルエライト」と呼ぶと、彼女の背後から音もなく先程のメイドが現れた。

 メイドの手には、アニエスの細剣が握られていた。

 それをロザリンが左手で受け取る。


「知っておるか? 長く使われた武具には持ち主の過去が刻まれることがある」


 そう告げて、ロザリンは瞳を閉じた。

 静寂の時が降りる。

 ややあって、


「……やれやれじゃのう」


 ロザリンは呆れたように嘆息した。


「捨て石であり、路傍の石。ゆえに『ストーン』か」


「―――な」


 アニエスは目を見張った。


「今の名は『アニエス=ストーン』か。まあ、贖罪の覚悟は分からなくもないが、どうにもそなたはズレておるのう」


 細剣をメイドに渡して、ロザリンは言う。


「そもそも無理がある。いかに特殊な魔法で危機は分かっても、娘のプライバシーを気遣いながら隠れて護衛など不可能じゃ。いずれ破綻するぞ」


「………ぐ」


 アニエスも悩んでいた問題点を指摘され、言葉を詰まらせる。


「それだけの贖罪の想いがあるのならば、まずは謝罪をすればよいものを。何故そこまで頑なに謝罪を避ける? プライドか? いや違うな」


 ロザリンは嘆息した。


「娘に謝罪すれば、当然ながら娘を押し付けた幼馴染にも謝罪せねばならん。ゆえに謝罪が出来ぬのか。優しい彼が自分を赦してくれるのが分かってしまうゆえに」


「………っ!」


 アニエスは目を見開いた。

 これまで動揺はしても気丈に振る舞っていたアニエスの顔が恐怖で歪む。


「図星か」


 ロザリンは双眸を細めた。


「彼が赦せば、娘もそなたを赦すじゃろうな。しかし、そなたは赦されることが怖い。自分が救われることが許せぬという訳か」


 そこで皮肉気に口角を上げる。


「なんとも難儀な性格をしておるわ。一度躓くと、とことん拗らせるタイプか。幼き日のヌシさまのご苦労が窺えるのう」


「………え?」


 青ざめた顔でありつつも、アニエスは眉根を寄せた。

 一方、ロザリンは構わずに「まあ、よいわ」と足を組み直し、


「そなたの望みは分かった。その上で問おう」


 魔王と呼べと言った少女は告げる。


「そなた、望みを叶えるための力を欲するか?」


「なん、ですって……?」


 アニエスはロザリンを凝視する。

 その訝しげな視線を歯牙にもかけず、ロザリンは言う。


「そなたの望みは贖罪よな。具体的に言うならば、リタ=ブルックスを陰から護衛することであろう」


「……ええ。そうよ」


 アニエスは答える。


「リタとライドを守る。それが私の望みよ」


「ふん。後半はあまりに身の程を知らぬ台詞ではあるが……」


 一拍おいて、ロザリンは告げる。


「ならばそのための力を与えよう。妾ならばそなたの望む力を与えられる」


「……まるで悪魔の誘い文句のようね」


 警戒するアニエスに、


「無論、ただではないぞ」


 ロザリンは淡々と告げる。


「代わりに妾はそなたのすべてを貰うことにしよう。そなたの血も肉体も魂もじゃ。そなたには妾に絶対服従してもらうぞ」


「……本当に悪魔の台詞だったわね」


 アニエスは言い直す。

 が、数秒間、瞳を閉じてから開いた。


「けど、構わないわ。どうせ穢れ切った体と魂よ」


 右腕を薙いでアニエスは言う。


「ここから逃げられないのも分かっているわ。なら、とっとと私に力を与えなさい」


「……ふん。吠えるのう」


 ロザリンが軽く口角を上げた。


「まあ、よかろう。これで契約は完了じゃ。そなたはこれより妾の眷属よ。じゃが、容易に力を得られると思うでないぞ」


 一拍おいて、


「試練を与えるは竜種の宿業」


 ロザリンの笑みが妖艶に輝く。


「力が欲しくば、見事、我が試練を乗り越えてみせよ」




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