第14話 黒仮面の足跡

「……『黒仮面』?」


 リタはその名を反芻する。

 そこは同じく応接室。

 だが、今は人数が違う。

 昼食を終えて、リタたちはその部屋に集まっていた。

 リタとジュリとカリンが並んでソファーに座り、その後ろにライラとジョセフが立っている。家主であるワンズは一人用のソファーに座って、傍らには全員分のコーヒーを運び終えて、トレイを抱えたままの執事服のクロがいる。

 そして、ロッドとキアは並んでリタたちの対面のソファーに座っていた。


「そう。少し前に王都を騒がした怪人っすよ」


 コーヒーを口に付けてロッドは語る。


「それはもう悪趣味な大富豪がいてさ。そいつの館に侵入して獣人たちを解放した人物っすよ。俺も偶然その付近にいたんすけど、もうえげつないぐらい強くてさ。警護とか全員ねじ伏せて堂々と凱旋していったんすよ」


「……その人があたしの父ということですか?」


 リタが眉根を寄せてそう尋ねると、ロッドは「多分っす」と頷いた。


「俺もキアに指摘されるまで分からなかったっすから」


 言って、懐から似顔絵を取り出した。リタから受け取っていた彼女の父の似顔絵だが、それは眉や頬の辺りを黒く塗り潰されていた。


「こうして仮面の部分を作ったら『うわっ』って思ったっす」


「この人を見た時のことはよく憶えている」


 キアが淡々とした声で呟く。

 全員の視線が彼女に集まった。


「ある意味、私が絶望した日だったから。あの奴隷オークションの日。私は壇上に立たされていた。そこからはオークションの参加者もよく見えたの」


 そこでキュッと唇を噛む。


「そこに彼の姿があった。だけど、私が絶望したのは彼の隣にいた狼人ウルフ族にだった」


 キアはかぶりを振った。


「正直、目を疑ったわ。彼女は隷属の首輪を付けられていた。そして自分が彼の所有物でもあるかのように体を委ねていた。あの誇り高き戦巫女が」


 そこでキアはクロの方に目をやった。

 クロは「え?」と目を瞬かせるが、


「信じたくなかった。行方知らずの虎人ティガ族の戦巫女が奴隷にされたという嘘か本当か分からない噂は聞いていたけれど、まさか、あの今代最強と謳われる神狼の戦巫女まで奴隷落ちしているなんて」


「――『アロ』さまが!?」


 続くキアの台詞に、クロが声を張り上げた。

 普段は大人しいクロの声に、リタたちはギョッとする。

 クロはキアに詰め寄って、


「あり得ません! 『アロ』さまが奴隷落ちなんて!」


「ああ~落ち着け。クロ」


 主人であるワンズが立ち上がり、クロの襟首を持ち上げた。


「知り合いなのか? その『アロ』って人は?」


「は、はい」


 クロが主人を見上げて言う。

 すると、キアが小さく嘆息して、


狼人ウルフ族のその子が知っているのは当然よ。戦巫女というのは各種族の集落に一人いる最強の戦士であり、始祖に仕える巫女のことよ」


 一拍おいて、


「特に、今代の神狼の戦巫女は有名なのよ。始祖の御力をその身に降ろすことまで出来る戦巫女は彼女ぐらいだから。兎人ラビト族の私でさえ顔を知っているぐらい」


「『アロ』さまは最強なんです!」


 ワンズに持ち上げられたまま、クロは熱く語る。


「神狼化すれば『アロ』さまはドラゴンよりも強いんです!」


「……ドラゴンって」


 静かに話を聞いていたリタは、ジュリの方に目をやった。

 仲間たちもジュリに注目する。

 ジュリは深々と嘆息した。


「まあ、仮にドラゴンよりも強いのなら奴隷落ちなんてあり得ないわよね」


 そう告げる。クロはコクコクと頷いた。


「ああ~、けど、その姉ちゃんらしき子は俺も見たっすよ」


 と、ロッドが語る。今度はロッドに注目が集まった。


「たぶん、その子ってライトグレーの髪で褐色の肌の女の子っすよね? 十代後半ぐらいの。凛々しい顔立ちで無茶くちゃ綺麗で、腰は細くて、足もスラっとしてて。しかも胸はたわわで、それはもうたゆんたゆんで……」


 少し興奮気味になってきたロッドに、


「……そんなに大きいのがいいのなら別の女を買い直したら?」


 底冷えするような冷たい眼差しを向けて、キアは主人に告げる。

 ちなみにキアはスレンダーな美女だった。

 ロッドはハッとした顔で「ち、違うっす! キア最高ッ!」と叫んだ。

 一方、クロは具体的に『アロ』の容姿を言い当てられて青ざめていた。


「う、うそ……まさか本当に『アロ』さまが……」


「あ、それはきっと違うっすよ。クロちゃん」


 ロッドは慌てて手を振った。


「その『アロ』って子は黒仮面と行動を共にしてたっすから。黒仮面は奴隷を解放しているんすよ。だから協力者ってことだと思うっすよ。隷属の首輪はライラちゃんと同じ偽装の可能性が高いっす」


「……そ、そうなんですか……」


 クロはホッとした表情を見せる。


「……よかったな。クロ」


 ワンズはクロを降ろして、いつものようにクシャクシャとその頭を撫でた。

 当然のようにクロの獣耳ごとだ。クロは嫌がっていない。


「え?」


 すると、キアが目を丸くした。


「うそ。あなたたちってそういう関係なの? あなたっておん――」


「シィ! シィ! それは内緒なんです! それに違いますからっ! これは旦那さまの癖で、旦那さまは何も知らないんです!」


 人差し指を立てて、慌ててキアの口を封じるクロ。

 一方、ワンズは「……? 何を知らないんだ?」と首を傾げた。

 と、その時。


「あのっ!」


 リタが声を上げた。


「話をまとめると、父はこの国では黒仮面と名乗って、その『アロ』って人と共に行動していたってことですよね? それで父は、結局、どこに行ったんですか?」


 リタにとって最も重要なことを尋ねる。

 当然、それはジュリにとっても重要なことだ。

 二人揃って、ソファーから腰を浮かせて前のめりになる。

 すると、ロッドは、


「別に黒仮面って自称していた訳じゃないっすよ」


 と、前置きして、


「まあ、最終的には解放した獣人たちと一緒に森の奥へ消えていったっす。『アロ』ちゃんも最後まで黒仮面と一緒だったっすね」


 ロッドはその場面を直に見ていたので、この情報は確かだった。


「なるほどね」


 ライラが腕を組んで呟く。


「なら、親父さんは狼人ウルフ族の集落に行ったってことみたいだね」


 ライラの推測に、リタとジュリは勢いよく振り返った。

 少し血走った瞳の少女二人に、ライラは「うおっ!」と驚いた。


「……うん。確かにそうだね」


 今まで沈黙していたカリンも言う。


「リタちゃんのお父さんはきっと獣人族の人たちを見捨てられなかったんだよ。だから、その『アロ』さんって人に協力したんだよ」


「うむ。このジョセフもそう思う」


 と、ジョセフが首肯する。


「姫やホウプスから聞いている父君の性格ならばこの現状は許せぬはず。義を見てせざるは勇無きなり。それは騎士の心得だ」


「……いや、パパは騎士じゃないんだけど」


 ジョセフの方を見やり、リタは小さく嘆息した。


「けど、大いにあり得るわ。というより巻き込まれたんじゃないかしら。パパって何気にトラブル体質だったし」


「……そうね。けど、私は別のことも気になるわ」


 ジュリが神妙そうな顔であごに手をやった。

 すると、リタも眉をしかめて「ええ。そうね。あたしもよ」と、ジュリが何も言わないうちから頷いた。

 リタとジュリは互いの顔を見合わせた。


 そして、


「「『アロ』って女」」


 声を揃えてその名を呼ぶ。


「なに? いきなり出てきた女なんだけど?」


 リタが半眼で語り、


「ええ。オークションの時、体を預けるって何なの?」


 ジュリも半眼で応じる。


「ただの協力者なのね? やり過ぎじゃない?」


 リタが額に青筋を浮かべて、


「ええ。過剰すぎる演技だわ」


 ジュリも同じように青筋を浮かせて見せた。

 険悪な様子の二人にカリンたちが頬を引きつらせる中、


「とても演技には見えなかったわよ」


 他人事のようにキアが言う。


「あれは完全に女の顔だったわ。それも一晩中ぐらい愛された後の。だからこそ私は絶望したのよ」


「「…………」」


 リタとジュリは無言でキアを睨みつけた。

 その恐ろしすぎる眼光に、隣にいるロッドの方が「ひいっ! ダ、ダメだぞ! キア!」と叫んで、キアを守るように彼女の頭を抱え込んだ。


「ま、まあ、そこは推測しても意味ないだろ? 分かんないんだし。とにかく情報は掴めたんだ。これで次の行き先は決まったんじゃないか」


 と、ライラが話題を変える。

 リタとジュリは「「……むむ」」と呻きながらもライラの方を見やる。

 確かにそれは事実だった。


「いや。待て待て。お前ら」


 すると、ワンズが声を上げた。


「まさか狼人ウルフ族の集落に行くつもりなのか?」


 そう尋ねる。


「うん。だって手掛かりはそれぐらいしかないし」


 リタがそう答えると、ワンズは「おいおい」と深々と嘆息した。


「この国が獣人族に何をしてきたか分かってんだろ。当たり前だが、獣人族は人間を嫌ってんだよ。ましてや集落になんかに近づいたら殺されるぞ」


 一拍おいて、


「そもそも狼人ウルフ族の集落がどこにあるかなんて誰も知らねえよ」


 そう指摘した時だった。


「それなら分かるじゃない」


 ロッドに頭を抱きしめられたままのキアが言った。

 人差し指を向ける。クロの方へと。


「その子は狼人ウルフ族でしょう? その子がいればいきなりは襲われないんじゃないの? 最低でも対話する機会はあるんじゃないかしら?」


「「「…………あ」」」


 全員がクロに注目する。

 クロは緊張するように背筋を伸ばした。


「そうか。クロは……」


 ワイズがあごに手を当てた。

 十数秒ほど考え込む。

 そうして、


「……クロ。頼めるか?」


 クロを見据えて、ワイズはそう尋ねた。

 クロは目を瞬かせるが、リタたちを見やり、


「……皆さんには命を助けてもらった恩義があります」


 ややあって、クロは答えた。


「だから、ぼくが皆さんを集落まで無事に送り届けます」




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