第10話 海賊島グラダゾード

 ――海賊島グラダゾード。

 それは西方大陸近海のどこかにあると言われている島だった。

 大陸間を渡ろうとしている商船や貨物船を襲いやすい場所として海賊たちが拠点を築き、いつしか要塞並みの勢力に至ったと船乗りたちは噂していた。


 曰く、海賊島の総戦力は千を超える大船団である。

 曰く、海賊島に連れていかれた男は労働力として死ぬまで酷使され、女は奴隷となって売られるか、日夜、荒くれどもの相手をさせられる。

 曰く、海賊島には海賊王がいて、ドラゴンを使役している。


 噂は実に様々だった。

 他にも海賊島には蓄えられた財宝があり、それは国家予算規模だという噂もあるが、意外とこれが最も信憑性があるかも知れない。

 なにせ、それほどまでに近年の海賊による被害は大きいからだ。

 まさに民衆にとっては海難とも呼べる拠点がグラダゾードだった。


 そして誰も知らないその実態。

 グラダゾードとは、巨大なる要塞島だった。

 それも島の六割の占めるほどの大建造物である。

 楕円状の構造をしており、海岸側から第一層、第二層、第三層と続く。島の中央に向かうほどに要塞の位置は高くなっていった。また第一層の一角は海へと繋がっており、そこから多くの帆船や鉄鋼船が行き来していた。


 まさしく大要塞である。

 そんな要塞の第三層。最上階の一室にその男はいた。

 年齢は三十代半ばか。恐らくは人族なのだろうが、角が生えていれば間違いなく鬼人族だと思われるような焼けた肌の大男だ。赤毛の総髪に、頬からあごに髭を蓄えている。美丈夫とは呼べないが、豪胆さを窺える風貌ではある。


 男の名はゴーグと言った。

 家名は分からない。出身もだ。

 分かっているのは、ゴーグこそがこの海賊島の大頭ボスだということだけだ。


「……くそ」


 ゴーグは、おもむろに手を伸ばす。

 机の上に置いていた酒を掴み、一気にあおる。

 そこはゴーグの寝室。煩雑な部屋であり、そこら中に酒や食い物、金貨や宝石が散らばっている。ゴーグはベッドの上に腰を下ろしていた。

 酒を呑み干し、ボトルを部屋の片隅に投げ捨てる。

 どこか落ち着かない様子だった。

 苛立っているのか、少しずつ足も震わせ始めていた。

 と、その時。


「随分と落ち着きがないね。ゴーグ」


 不意に声を掛けられる。

 ゴーグは目を見張り、声の方に視線を向けた。

 そこには赤い海賊のコートに身を包んだ女がいた。

 年の頃は二十代後半ほどか。栗色の長い髪に、男物の服でも分かる抜群のプロポーション。右目には眼帯を着けた美女である。

 彼女は部屋のドアに背中を預けて腕を組んでいた。


「おお! ランダ!」


 ゴーグが軽く腰を上げた。


「ようやく準備が出来たのかよ!」


「いや、まだだよ」


 ランダと呼ばれた女が嘆息して返す。


「女の支度には時間がかかんだよ」


「もう二時間も待たされてるじゃねえか!」


 ゴーグは立ち上がり、ランダに詰め寄った。


「あんたねえ」


 一方、ランダは呆れたように肩を竦めた。


「相手は眠り姫。ずっと寝てんだよ。そんな女を入浴させたりすんのにどんだけの労力がかかると思ってんだよ。しかも、それをしてんのは女だけなんだぞ。寝ている人間の面倒臭さを舐めんじゃねえよ」


「……うぐ」


 ゴーグは口ごもる。


「そもそも、どうせ剥ぐ気なのにわざわざ着飾れとかあんたの注文だろうが。自業自得だよ。あと一時間はかかるから、もう少し我慢しな」


「うぐぐ」


 ランダの容赦ない言葉に、ゴーグは唸る。


「だったらよ」


 が、すぐにランダの手を掴んで、


「それまでお前が相手してくれよ。けっこう限界なんだよ」


 ランダは眉をしかめた。


「やだよ」


 言って、ゴーグの手を振り払う。


「あんたっていつも加減を知らないじゃないか。すぐに調子に乗るし。せいぜい溜め込んでオキニのお姫さまにぶつけりゃあいいだろ」


 一拍おいて、


「それに私にはこれから仕事があるんだよ。なんかうちの配下で厄介そうなのを拾ってきた馬鹿がいてね」


「あン? どういうことだ?」


 今度はゴーグが眉をしかめた。


「まさか余所モンを島に入れたのか? 聞いてねえぞ。そんな話」


「私もさっき聞いたからね」


 ランダが嘆息する。


「男と女の二人組。あとデカい犬が一匹いるそうだ。一応あんたにも伝えてこれから顔を拝みに行くとこだよ」


 ランダは海賊島の幹部の一人だった。

 そのため、大頭ボスにこうして報告しに来たのである。


「そいつらは今どうしてんだ?」


 ゴーグが問うと、


「第一層はタチの悪い連中ばかりだからね。第二層の来客室にいるよ。今ンところ変な動きはないらしい」


 ランダはそう答えた。

 部下は捕らえたのではなく、来賓として迎えたそうだ。

 それは、少なくとも今は敵対関係ではないということだった。


「そっか。なら一時間ぐらい待たせてもいいだろ」


 と、ゴーグは気軽に考える。

 対し、ランダは険しい表情を見せた。


「あんたね。どんな相手かも分かってないんだよ」


「仮に敵だとしても、そいつらもこの海賊島でいきなり暴れ出したりしねえだろ」


 それよりも、と続け、


「俺の方が緊急だ。悪いが付き合ってもらうぜ。ランダ」


 言って、ランダを肩に担ぎあげた。


「ちょっとあんた!」


 ランダがゴーグの頭を叩いて文句を言うが、ゴーグの方はお構いなしだ。

 そのまま部屋のドアを閉じた。

 そうしておよそ一時間後。

 ――コンコンと。

 ドアがノックされる。


「おう。何だ?」


 ドアに向かってゴーグが尋ねると、


『ゴーグさま。準備が整いました』


 という女性の声が返ってきた。

 この屋敷を管理する奴隷の一人だった。

 ゴーグは「おお!」と感嘆の声を上げる。

 いそいそとズボンを履いて、


「そんじゃあ行ってくるぜ。ランダ」


「……とっとと行け。クズ」


 うつ伏せにベッドに横たわった全裸のランダが言う。

 息は荒く、全身には玉の汗を浮かべている。


「……せっかく手間を掛けてやったんだ。せいぜい楽しめ」


 大きく息を吐き、皮肉を込めてそう告げるが、


「カカッ! おうよ! 行ってくるぜ! ランダ!」


 ゴーグには通じず、意気揚々と部屋を出て行った。

 部屋に残されたのはランダだけだ。


「………くそ」


 ランダはどうにか上半身を立ち上がろうとするが、カクンと肘が崩れてベッドに倒れ込んでしまった。ふう、と再び大きく息を吐く。


「……だからあいつの相手は嫌なんだよ」


 たった一時間でこのざまだった。

 底知れない体力でひたすらに弄ばれる。

 あれではまるで獣だ。

 一晩も付き合えば寿命が減るような気分だった。


「こりゃあ、客人って奴らの顔を見るのはもう少し後になりそうだね」


 今はとても立ち上がれない。

 ランダはベッドに倒れたまま溜息をついた。

 認めるのも癪だが、やはりゴーグは怪物だった。

 その精力も、その武力もだ。

 誰よりも強い。だからこその海賊島の王なのである。


 ランダも甘んじて幹部の座に。

 そして情婦の立場を受け入れていた。


 まあ、幹部としての権力は大いに活用させてもらっているが、女としてあの男に気に入られたのは運の尽きだと諦めていた。


「まったく。眠り姫さんよ……」


 ランダは疲れ切った笑みを作って言う。


「あんたも私も大概な男に見初められたもんだねえ……」




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