第3話 腐敗の国の衛兵

 ここは腐り果てた国だ。

 幼い頃から彼はそう思っていた。


 彼の名はワンズ=ダワーズ。

 今年で二十六になる。グラフ王国の衛兵だった。

 一応は貴族の末席ではあるが、落ちぶれきった家系だ。

 唯一の資産である代々受け継ぐ無駄に広い実家の館には使用人もおらず、家格の低さから嫁いでくれる相手もいない。

 両親もすでに他界しているため、本当に一人きりだ。


 そんなワンズは、今日も槍を片手に王都シンドラットを巡回していた。

 いつもは部下が一人いるのだが、今日は風邪らしい。


(まあ、嘘だろうな)


 槍を手に歩きながらワンズは「ふん」と鼻を鳴らした。

 部下は最近、娼館に嵌っていた。

 なんでもお気に入りの兎人ラビト族がいるらしい。

 昨夜も娼館に行って、そのまま寝坊してしまったというところか。

 なにせ、娼館の使用人が、ワンズまで休みを伝えに来たのだから間違いない。


(そんなに気に入ったんなら身請けぐらいしてやれよ)


 自分と違って部下は中級の貴族さまだ。

 まだ二十歳と若く、入団したばかりなので今はまだ最下層の衛兵の身分だが、中級の家格ならいずれ王城の騎士にも昇格するだろう。娼婦……奴隷・・の一人身請けして使用人にでも出来るはずだ。


(……ああ。うんざりするな)


 見慣れた街並みを見やり、ワンズは眉をしかめた。

 王都――いや、この国はとても豊かだった。

 街並みも法も整備されて発展されている。交通網も馬車のみではなく、富裕層以外ではまだ流通が乏しい『自動車』の姿も多々ある。この国の生活水準は先進国だろう。

 だが、これはとても歪な産物だった。


 ――森の国・グラフ王国。

 その呼び名の通り、国土の大半を広大な森林に覆われたこの国の最大の資源は、実のところ、森ではない。

 その森に住まう獣人族だ。

 彼らを奴隷として捕らえて、労働力として強制する。

 数こそ少数だが、鬼人族や森人族、要は人族以外がその対象だ。

 他国では奴隷制度など次々と廃止されているというのに、この国では今も続いていた。

 廃止の議論さえ挙がったこともない。

 誰もが享受していた。

 富のために獣人たちを使い捨てることを。


(本当にうんざりする)


 ワンズはいつもそう思っていた。

 街の至るところに獣人たちの姿がある。

 隷属の首輪を嵌められ、強制的に人化を維持するという手錠も付けられている。

 彼らは決して逆らうことは出来ない。

 どれほど非情な扱いを受けようとも、隷属の首輪がそれを許さないからだ。


 ――パシンッ!

 その時、鞭の音が響く。


 そこにいたのは黒い尾を持つ、短い黒髪の少年。

 まだ十代前半の狼人ウルフ族の少年が商人らしき男に叩かれていた。

 恐らく馬車からの荷下ろしに失敗したのだろう。狼人族の少年は丸まって必死に謝罪していたが、激怒した商人は何度も何度も鞭を振るう。


 それを行き交う通行人は気にもしない。

 この国では、もはや当たり前の光景だからだ。

 ワンズも一瞥しながらも、特に制止はしなかった。


 商人は犯罪をしている訳ではない。

 奴隷がミスをして、それに対して罰を与えているだけだ。


(この国は腐り果てている。けど、それは俺も同じか)


 巡回の足は止めずに、ワンズは自虐の笑みを零す。

 奴隷を使うような真似こそしていないが、現状を受け入れているのは事実だ。

 内心でどう思おうが、結局のところ、同じ穴の狢だった。


(ああ~、どこかにいないもんかね)


 未だに鞭で叩かれる少年を横目で見やりつつ、


(あの噂の黒仮面みたいにスカッとさせてくれるお人好しがよ)


 とある貴族の館から多くの獣人族を解放したという『怪人・黒仮面』。

 ワンズ自身は遭遇することはなかったが、偶然その場に立ち会った部下は興奮気味に語っていたものだ。

 黒い礼服に身を包み、黒い仮面を着けた件の怪人は、襲い来る奴隷狩りの冒険者や衛兵たちを殺すこともなく返り討ちにしたそうだ。


『あまりに圧倒的だったんすよ。むしろこれぞ貴族だってぐらいに優雅だった』


 そんなことを部下は語っていた。

 なお黒仮面の傍らには、ドレス姿の美しい狼人族の少女がいたらしい。

 そうして障害を一掃した黒仮面と狼人族の少女は、救出した獣人たちと共に森の奥へと消えていったそうだ。

 だが、それ以降、彼らの姿を見たという者はいない。


(すでにどっか行っちまったのか? そうだとしたらつまんねえな)


 ワンズは溜息をつく。

 腐敗したこの国の悪臭を吹き払うような存在。

 ワンズは心の奥でいつもそういった存在を望んでいた。

 何も変えられない。

 変えるだけの覇気もないワンズの妄想であり、願望だった。


 ――パシンッ! パシンッ!

 その間も鞭の音はますます激しくなっていた。

 流石にワンズも眉をしかめる。足を止めて再び商人たちの方に目をやった。


「――この愚図が!」


 商人が叫んでいる。

 襤褸ぼろ切れのようだった奴隷服も破れ、狼人族の少年の背中には血が溢れていた。

 遠目にも目は虚ろで、鞭を振るわれるたびに、ビクンッと体を震わせている。

 丸めていた防御姿勢もいつしか解け、見るからにぐったりしている。

 暴力に酔い切った商人は、少年の様子にも気付いていないようだった。


(……おいおい)


 ワンズも流石に顔色を変えた。


(やりすぎだろ。いくらなんでも殺しまでは黙認できねえぞ)


 あれ以上は危険だった。

 奴隷は使い潰すモノと言っても意図的な殺害だけは禁止されている。

 そういった状況に遭遇した時は、衛兵にはある権利も認められていた。


「おい――」


 と、ワンズが鞭を振るうのに夢中になっている商人に、制止の声を掛けようとしたその時だった。


「――やめなさい!」


 不意に少女の声が割って入った。


「子供相手に何しているのよ!」


 それは冒険者らしい少女だった。

 片方に纏めた黄金の髪を揺らす綺麗な少女だ。

 他にも数人の仲間がいる。全員で五人か。騎士らしき少年が一人いるが彼以外は全員少女だった。隷属の首輪をした鬼人オウガ族の少女は少し気になった。

 ともあれ、


「何だお前らは!」


 鞭を持つ腕を金髪の少女に掴まれて、商人が激昂する。


「うるさい! この子を殺す気なの!」


 が、そんな商人を少女が一喝する。

 それから仲間の方を見やり、


「カリン! その子をお願い!」


「うん。分かってる」


 仲間の一人である少女はすでに動いていた。

 真剣な顔で狼人族の少年の前で膝をつき、ずっと治癒魔法をかけている。

 みるみる狼人族の少年の傷が治癒されていく。


 その様子を見て、ワンズは少し安堵した。

 あの治癒魔法をかけた少女は服装からして神官か。

 まだ十代の少女のようだが、それなりの実力者でもあるようだ。

 失った血までは回復できないが、おかげでこれ以上の出血の心配はなくなった。


「……もう大丈夫だ。少年よ」


 狼人族の少年は赤い外套で包まれて、騎士の少年によって抱き上げられた。


「……しかし、なんと惨いことを……」


 不快感を隠せずに眉をしかめる騎士の少年。


「ええ。そうね。けど、まだ安心はできないわ。出血量がかなり酷かったから。すぐにでも医院に連れて行くべきね」


 精霊魔法師らしい少女が、狼人族の少年の頬に触れて告げる。

 一方、苛立ちを見せるのは商人だった。


「おい! 貴様ら、何を勝手に――」


「うるさいわね!」


 商人の声を遮り、再び少女が怒気を叩きつけた。


「文化が国によってそれぞれだってことぐらい分かってるわよ! 異邦人はその国の文化は尊重すべきだってことも! けどね!」


 商人の腕をより強く握って、彼女は叫んだ。


「子供を殴ってもいい文化なんて納得できる訳がないでしょう!」


 ほんの少しだけ。

 ワンズは新しい風が吹くのを感じた。



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