第26話 その頃のライドは④

 さて。

 その頃のライドと言えば――。


 ザザザザザ……。

 波を掻き分ける音。

 巨大な鉄鋼船が海を渡っていた。

 東方大陸へと向かう貨物船である。

 そこにライドとサヤたち一行は同乗していた。


 ――そう。すでにライドは船上の人だった。

 立場としては船の護衛者である。

 海にも危険な魔獣はいる。海賊などもだ。西方から東方大陸間の海域には『海賊島』なる海賊の拠点もあるらしい。

 そのため、冒険者を雇うことは多い。

 主に大陸を渡りたい冒険者が好んで受ける依頼である。

 幸運にもラスラトラス王国の王都のギルドにそういった依頼が入っていたのだ。

 渡りに船とばかりにライドたちは依頼を受けた。

 なおライドたち以外にも複数のパーティーが依頼を受けていた。

 しかし、護衛者と言っても船が襲撃でもされない限り仕事はない。

 だから、ライドは剣の修行に集中していた。


 空は晴天。甲板の上。

 相手は金棒を肩に担ぐゼンキだった。

 ライドは魔剣の切っ先を降ろして構えていた。

 完全に脱力した自然体だった。

 血気盛んなゼンキらしからぬ慎重な眼差しでライドを見据えていた。

 そして、


「――うおおおおおッ!」


 ゼンキは咆哮を上げて跳躍した!

 渾身の力でライドの頭上に金棒を振り下ろす!

 しかし、


(……ここか)


 ライドは魔剣を動かした。

 刀身は音もなく金棒を受け止める。さらには巻き付くように動き、ライドが頭上に振り上げた時には、金棒は遠い甲板の上へと落ちていた。

 ガランガランと回転する金棒をゼンキは茫然と見つめていた。

 ややあって、ライドは小さく息を吐く。

 それから、


「こんな感じでいいのか? サヤ」


 観察している師である少女に尋ねた。

 サヤの隣にはマサムネやバチモフの姿もあった。

 サヤは「は、はい」とコクコクと頷いた。


「見事な『巻斬まきぎり』でした。そのまま無手になった相手を斬り伏せる剣技です」


「おい。おっかねえこというのは止めてくれ。おひい


 奪われた金棒を拾いに行きつつ、ゼンキが言う。

 しかし、サヤは聞いていない。


「……けど、本当に凄い。巻斬りをこんなにも早く習得するなんて」


「サヤの教えがいいからだろう」


 と、ライドが言う。サヤは視線を伏せて「い、いえ」と返した。


「そうだな。ゼンキ」


 続けてライドは金棒を拾い上げたゼンキに告げる。


「次は『ざんてつ』を試してみたいんだがいいか?」


「ダメに決まってんだろ! 俺の金棒あいぼうを両断する気か!?」


 思わずそう叫ぶゼンキだった。

 サヤがクスクスと笑うと、


「……ふむ。凄まじいモノじゃのう」


 サヤの傍らに立つマサムネが髭を擦りつつ呟いた。


「極意技の一つをああも容易くのう。ところでおひい


「え? なに?」


 サヤがマサムネの方に目をやった。


「いつ夜伽をされる予定なのですかのう」


「――――え」


 マサムネの台詞にサヤは固まった。


「あの御仁の実力はまごう事なき英傑。その上、人格者でもある。あれほどの御仁は儂も見たことはない。当主が見初めた英傑以上じゃ」


 遠い目をしてマサムネは語る。

 この老戦士はサヤの先代からの従者だった。


「すでにおひいもあの御仁の見極めを済まされておられるのじゃろう? おひいの御仁を見る目をみれば一目瞭然じゃ」


 そう告げるマサムネに、サヤはパクパクと口を動かすだけだった。

 マサムネは「ほっほっほ」と笑い、


「まあよい。長い船旅じゃ。機会は幾らでもあろう。だが、我が姫よ」


 少しだけ悲し気な眼差しを見せる。


「祓魔剣薙の直系に婿はおらぬ。無用な争いを避けるため、胤は貰えど共には生きられぬのが掟。先代の時もそうであった。当主の妹姫もじゃ。甘えられる時は短いと知ることですぞ」


「…………」


 サヤは無言になった。


「当主は相思相愛であった。されど、それでも当主は掟を守られたのじゃ」


 そう告げて、マサムネは髭を擦りながら船室へと戻っていった。

 サヤはずっと悩んでいた。

 自分の想いはすでに理解している。

 けれど、一族の掟の前に想いを伝えることさえも躊躇っていた。


(……私はどうしたいんだろ)


 ギュッと拳を固める。

 しかし、そんな彼女の悩みは長くは続かなかった。

 あまりに大きすぎる事件が、この三日後に起きたからだ。



 その日は嵐だった。

 轟く雷雲。

 滝のような雨が、暴風に煽られて船体に叩きつけられる。

 そんな中、そいつらは現れた。

 船体に張り付き、よじ登って来る。甲板に辿り着いたそいつらは巨大な魚の体に鱗を持つ人の四肢が生えたような姿をしていた。

 中級魔獣・アマンダだ。

 海の魔獣は海底のダンジョンにて魔石を喰らう。

 しかし、それ以外にもこうして獲物も襲って喰らうのだ。

 ライドたちも含めて冒険者たちは総出で迎え撃った。


 アマンダの数はおよそ八十か。

 冒険者たちは二十人程度だが、個々の実力はアマンダより上だった。

 サヤもアマンダの一体を斬り伏せていた。雨風で視界が阻害され、群れた衣服を重く感じるが、後れを取るほどのハンデではない。

 ゼンキもマサムネも次々と掃討している。他の冒険者たちもだ。

 だが、ここで想定外のことが起きる。


「まずい! 何かに掴まれ!」


 ライドがそう叫んだ!

 サヤは咄嗟に近くにあった荷縄を掴んだ。

 直後、荒ぶる波が襲い来る!

 津波ほどではない。だが、甲板の上を流し落とすような激しい波だ。


「うわああああッ!」


 運悪く何も掴めなかった冒険者たちが何人か波に呑まれて、そのまま荒れ狂う海へと投げ出された。そして二度と浮上することはなかった。

 激しい海流のせいでもあったが、恐らくアマンダに引きずり込まれた者もいる。

 サヤはゾッとするが、動揺している暇もない。


「第二波が来るぞ!」


 今度はゼンキが叫んだ。

 サヤは再び荷の縄を掴んだが、そこで目を瞠る。


『ギャギャギャッ』


 すぐ近くにアマンダがいた。

 だが、攻撃してはこない。そのアマンダは鋭い鉤爪で縄を斬り裂いていたのだ。

 ――そう。サヤが持っている荷の縄だ。

 サヤは思わず硬直した。


 その直後、新たな波が襲い来る!

 サヤは立っていることも出来ずに呑み込まれ、海へと放り出された。


「ッ!? おひいッ!?」


 それを目撃したゼンキが蒼白になる。

 持っていた金棒を捨て、海へと飛び込もうとするが、


「待ていッ!」


 それはマサムネに止められた。


「おんしも死ぬぞッ!」


「ふざけんなッ! おひいを見捨てる気かッ!」


「それでも行くでないッ!」


 マサムネがゼンキの肩を掴んだ。


まだ生きている者・・・・・・・・までみすみす死なせる訳にはいかんッ!」


「――――な」


 ゼンキは愕然とした顔をする。次いで荒れ狂う海を見やり、


「~~~~~~ッッ!」


 ギシリと歯を鳴らした。


「ちくしょおおおおおおおおお――ッ!」


 ゼンキは絶叫した。マサムネも唇を強く噛んだ。

 ――と、その時。

 マサムネの目に真っ直ぐ海を見つめる者の姿が映った。

 魔剣を鞘に納めるライド=ブルックスだ。


「ゼンキ。マサムネさん」


 ライドは言う。


「悪いがここで一旦お別れだ。だが約束しよう。必ずサヤを救うと」


「―――な」「………は?」


 マサムネが目を剥き、ゼンキは唖然とした。


「ま、待て! おんしッ!」 


「大丈夫だ。死ぬ気はない」


 ライドはそう告げた。

 彼の横顔には絶対の意志があった。

 必ず生きて戻るという意志だ。

 マサムネは一瞬言葉を失っていたが、


「……ひめを頼む」


 この英傑に姫君のすべてを託した。


「了解した。ああ、それとゼンキ」


 ライドはまだ唖然とするゼンキに目をやり、ふっと笑う。


「今度会う時は『斬鉄』に付き合ってもらうぞ」


 そう告げて。

 ライドは大海原へと跳躍した――。




 ……ボコボコッ!

 肺から空気が漏れていく。

 浮上しなければならないと分かっていてもどうにもならない。

 激しい海流で上下も分からず、何よりずっと足から引きずり込まれていた。

 アマンダの手だ。ここは自分の足を斬り落としてでも脱出しなければならないのだが、愛刀である霞桜は海流に奪われてすでに失っていた。

 ……ゴポッ!

 最後の空気も口から頭上へと離れていった。

 徐々に意識が暗転していく。


 と、その時だった。

 突然、引きずり込んでいたアマンダの体が圧し潰された。

 まるで水圧が何倍にも跳ね上がったような潰れ方だ。

 即死したアマンダの手が離される。


(………?)


 サヤは状況がまるで分からなかった。

 すると不意に腕を掴まれた。それから強く抱き寄せられる。


(…………――)


 今にも消えそうな意識では何が起きているのか知ることが出来ない。

 ――と、唇に何かを押し当てられた。

 サヤは微かに瞼を動かした。わずかにだが肺に空気を注ぎ込まれた。

 そのまま上へ……いや、下だったのかも知れないが、体が浮上していく。

 次にサヤが意識を取り戻したのは嵐の中だった。




「――サヤ! しっかりしろ! サヤッ!」


 暴風と雷雨の音の中でそんな声が聞こえてくる。

 サヤがゆっくりと瞼を上げると、そこにはライドの顔があった。


「良かった。意識を取り戻したか……」


 ライドが安堵の息を零した。


「……ライドさん……」


 サヤは未だ朦朧としていたが、頬を叩く豪雨にハッと記憶を取り戻す。


「ラ、ライドさん! 私は確か――」


 思わず彼の肩を掴もうとするが、


「すまない。少し大人しくしてくれ」


 ライドにそう言われて手を止めた。


「流石に不安定なんだ」


 続けて、ライドはそう告げる。

 サヤは目を見開いて自分の状況を確認した。

 どうやら自分は彼に抱きかかえられているようだ。いわゆるお姫さま抱っこである。普段なら赤面してしまうところだが、周囲の状況はそれどころではなかった。


「な、なにこれ……」


 そこは荒れ狂う大海原の上だった。

 周囲には何もない。陸はもちろん貨物船の姿もだ。

 そんな場所から少し上がった空中に、サヤを抱いて彼は浮いていた。


空歩エア=レスという魔法だ」


 ライドが説明する。


「簡単に言えば空気の塊を足場にする魔法だ。だが、本来は長時間維持する魔法ではないからな。嵐の中では制御も難しい」


 言って、ライドは周囲に目をやった。


「かなり遠くまで流されたか。船を見つけるのはもう無理だな」


「そ、そんな……」


 サヤはライドの服を掴んだ。


「ど、どうして……まさかライドさん、私を助けに来たんですか!」


「ああ。そうだ」


 ライドは頷く。サヤは絶句した。


「まだ間に合う。そう思ったからこそ来た」


「――――な」


 サヤはパクパクと口を開ける。


「実際に間に合っただろう?」


 ライドは悪戯っぽく笑った。


「け、けど、船がなくちゃ……」


 そう呟くサヤに、


「まだ出港して四日ほどだ。西方大陸ならいざとなれば空中を走って戻ってみせるさ」


 そんなことをライドは平然と言う。

 流石にサヤも唖然としたが、ややあって、


「……あはは、あはははっ」


 思わず目尻を指先で抑えて笑い出しまった。


「凄いです。本当に。ライドさん。助けてくれてありがとうございます」


 そうしてサヤは顔を上げた。


「本当に大きな恩義が出来ました。これは必ずお返しします」


「いや。そう気にする必要はないぞ」


 と、ライドは言うが、サヤはかぶりを振って、


「いいえ。お返しします。私は本来ならここで死んでいました。これで私は正真正銘、死人しびとになりました。だから決めました。私の人生でお返しします」


 そう言ってライドに眼差しを向ける。


「あなたに私のすべてを……」


 そう小さく呟く。

 その瞳は恋する乙女――いや、愛を捧げた乙女だった。

 しかしながら、雨風の轟音のせいもあるが、基本的にティア以外の女性には鈍感なライドは気付かない。


「そこまで気負う必要はないさ。それにまだ危機は去っていないしな」


 嵐は未だ続いている。何より場所も悪い。悪天候の大海原の上。波は避けられる高さに立っているが、海面には無数の光が輝いていた。


 アマンダの群れだ。

 やつらは未だライドたちを獲物として狙っているようだ。

 隙あらば海中に引きずり込むつもりだろう。


「とりあえずこの場から離れるか」


 そうライドが呟いた時だった。

 ――ぞわり、と。

 ライドの背中に悪寒が奔った。

 ハッとして空を見上げる。サヤが「ライドさん?」と眉をひそめた。

 その直後だった。


 ――ズゥンッ!

 空から何かが降り注ぐ!


 それは一瞬光の柱のように見えたが、海に突き刺さった途端、海面が凍結し始めた。

 凍気は凄まじい勢いで広がり、アマンダごと海が凍り付いてしまった。

 ライドは空高く跳躍して難を逃れたが、海の一角が氷の大地と化してしまった。

 あれだけ吹き荒んでいた風も雨も止んでいた。

 代わりに氷雪が降り始めていた。


「―――な」


 あまりの事態にサヤが愕然とする。と、


「……これは流石に……」


 ライドが珍しく険しい表情を浮かべた。


「魔剣の呪いどころじゃないな。オレのトラブル体質もここまで極まったか……」


 そんなことを呟いた。

 サヤは「え?」と呟きつつ、ライド同様に空を見上げた。

 そしてギョッとする。

 雷雲の中に巨大な何かがいたのだ。

 それはゆっくりと雲を切り裂いて姿を現した。


 空を覆うような巨大な翼。

 長い鎌首に鋭いアギト。尾は一撃で鉄鋼船さえ沈めそうな雄々しさだ。

 さらには膨れ上がった全身の強靭な筋肉。

 それは水晶のように輝く青い鱗で覆われていた。

 ただ現れるだけで天候をも変える存在。


 ――氷結の『青』。

 天空に君臨するその巨大なる獣の名は、ブルードラゴン。


 七色の竜種の一角である。

 だが、かつてアレスたちの前に現れたレッドドラゴンとはまるで違う。

 その巨大さも。その威容も。


「……う、うそ」


 サヤは震えが抑えきれずにライドの服を強く掴んだ。

 そして、


『グオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ――ッッ!』


 凄まじい咆哮が大海原に響き渡った。

 それはただのドラゴンではない。

 まごう事なき最強の魔獣。

 古竜と呼ばれる存在だった――。



 ライド=ブルックス。

 彼の冒険は続く。



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