第25話 ティア先生は厳しい

 その日の夜。

 とある部屋の見晴台ウッドデッキでアロは故郷である集落を見つめていた。

 それぞれの家には明かりが灯っている。

 儚いが確実にある営みの輝きだった。


「…………」


 アロはしばし静寂に心を任せていた。

 すると、


「寂しいの? アロ」


 後ろから声を掛けられる。

 振り返ると、そこにいたのはレイだった。大剣は室内に、制服のような上着も脱いでおり、黒いタンクトップ姿で頭の後ろで手を組んでいる。


「……まあな」


 アロは苦笑を浮かべた。


「少し複雑な想いだ。まずはホロ……」


 琥珀色の双眸を細める。

 この森にいる獣人族を統べると宣言した弟。

 それからたった一ヶ月半。

 弟は凄まじい躍進を見せた。

 まず狼人ウルフ族の長となり、虎人ティガ族と兎人ラビト族と同盟を組んだ。さらには鷹人ホウク族とも友好関係を築き、一ヶ月後には鷹人ホウク族の長の娘を第三妃に迎える予定だ。


 同盟を結んだ集落の数は百に近い。

 まだこの森には他の獣人族はいるが、およそ半数がホロの元に集ったことになる。

 我が弟ながら恐るべきカリスマ。

 まさに獣王と名乗るのに相応しき偉業だ。


「ホロはとても立派になった。だが」


 とても頼もしくはあるが、アロとしては寂しくも感じるのは事実だった。


「弟くんが巣立ちして寂しい?」


 的確にレイが指摘してくる。

 アロは苦笑を浮かべて「そうだな」と答えた。


「私たちは奴隷狩りのせいで両親を早くに失った。私はずっとあいつの親代わりだったんだ。だから、これが母の寂しさなのかもな」


 小さく嘆息する。


「けれど、もう一つの寂しさはまた違うな」


 アロは微かに頬を朱に染めた。


(……きっと、これが嫁ぎに行く花嫁の気持ちなのかもな)


 そんなことを思う。

 ホロと約束した半年。

 それを待たずして弟はアロを送り出すと言ってくれた。

 無論、アロは反対した。

 まだすべての獣人族の協力を得た訳ではない。

 ここからいかなる困難が待っているのかも分からないからだ。

 しかし、ホロは頑として譲らなかった。


『これは獣王としての勅命だ』


 ホロは命じる。


『ライド=ブルックスは生涯にわたり友好関係を築くべき相手だ。彼の者には返せぬほどの大恩もある。ゆえにアロよ』


 一拍おいて、


『我が姉よ。彼の者の妻となり絆を深めよ。それが獣人族の未来へと繋がるのだ』


 王にそこまで言われては、アロに断ることなど出来るはずもない。

 アロは片膝をつき、『承知いたしました』と応えた。

 ちなみにティアもレイも呆気にとられていたが。


『んじゃ、姉貴のことをよろしく頼むよ。ティアさん。レイさん』


 ニカっと笑うホロの顔が印象的だった。


「嫁ぐために故郷を出る寂しさ?」


 レイがジト目でアロに言う。


「一応言っとくけど、仮にライドのお嫁さんになるとしてもアロは第三夫人だからね。第一と第二はボクかティアのどちらかってもう決まっているから」


「ああ。それに異論はない」


 アロはあっさりと承諾する。


「お前たちに比べれば私は新参者だからな。獣人族では当たり前の一夫多妻をお前たちが受け入れてくれるのはむしろ有り難い。私は末席で充分だ。まあ、そうだな」


 そこで少し頬を赤らめて、


「……ただ主人が愛してくれるのなら……」


「うん。そだね。そこはボクも同じ気持ちだよ」


 レイが頷く。


「もう会いたくて仕方がないんだ。会ったら爆発しそう。だからね」


 レイは踵を返しつつ、くいくいとアロを手招きした。


「旅の心得とか冒険者の心構えとかは旅をしながら教えて上げる。次の街で冒険者資格も申請した方がいいね。けど、今夜は来たるべき決戦に向けて、現時点でたぶん世界でたった一人だけの専門家の講習を受けよう」


「……むむ」


 アロは少し渋面を浮かべた。


「……本当にそれを頼むのか?」


「もちろんだよ」


 レイは即答する。


「備えておかないと。アロも気になるから同意したんでしょう?」


「むむむ。確かにそうなのだが……」


 アロはまだ少し躊躇っていたが、レイが近づいてその腕を掴んだ。


「もうっ! ボクらは出遅れているんだよ! 再会さえすれば、ほとんどゴールが確定しているティアとは違うの!」


「……分かった」


 レイの言葉に、アロも頷く。

 そうして二人は部屋の中に入った。

 そこにいたのはベッドに腰をかけて久しぶりに趣味の読書に勤しむティアだった。

 ティアは二人に気付き、


「……どうかした?」


 と、声を掛ける。

 二人の表情がどこか緊張した様子だったからだ。

 レイとアロは互いの顔を見合わせると、ティアの前の床で二人して正座した。


「……え?」とティアが困惑する。


 そして、


「「教えてください。ティア先生」」


 同時に頭を下げた。


「え? え?」


 と、さらに困惑するティアをよそに、


「ライドを」「主人を」


 レイとアロは同時に顔を上げて言う。


「「脳殺するポーズを教えてください」」


 ……………………………。

 ………………………。

 ……十数秒の間。


「………は?」


 ティアは口を開けて唖然とした。


「だって、それって多分ティアだけが知っているんでしょう?」


 レイが真剣な眼差しで言う。


「ボクたちだって備えておきたいんだ。そもそもティアってずるいよ」


 いつも明るいティアの妹分は珍しく拗ねた顔をした。


「なんでティアだけなの? ボクもライドにマーキングされておきたかった……」


「……当時のあなたがそれをされていたら、もの凄い大問題案件」


 ティアが呻く。


「とにかくボク、ティアに比べると凄く出遅れてるって今更実感したんだ」


 そう告げるレイに、


「……私もだ」


 アロが続く。


「共にいた期間は短かったが、私も主人の前では私なりに頑張ってたんだ。獣耳や尾も撫でてもらったりして。獣人族ではつがいにしか認めないことなんだぞ。けど、主人は優しい顔で撫でてくれるだけで、しかも渾身の服従求愛ポーズまでスルーされて……」


 唇を尖らせてアロは震える。


「も、もう分かんない。どうしたら主人は振り向いてくれるの……」


 そんなことを言ってきた。

 凛々しく大人びたアロだが、こういう表情はまだ十代の少女のモノだった。

 ともあれ、二人とも真剣なようだ。


「~~~~っ」


 思わず息を呑むティア。

 返す言葉が出てこない。

 手に持った本をぎゅっと掴む。

 これは一体どうすればいいのか。

 ティアは本気で悩んだ。

 悩んで悩んで悩んで悩んで悩み抜いて……。

 そして、


「ま、まずは『お願い』のポーズから……」


 そっと本を横に置いてそう告げた。

 レイとアロは瞳を輝かせた。



 その後、


「違う。『寂しい』のポーズはそうじゃない」


「もっと上目遣いで。ギュッとしてくれるから」


「ダメ。そうじゃない。それと『おねだり』のポーズはタイミングが重要」


「『子鹿』のポーズはその後ちょっと怖くなるから覚悟してて」


「頬に触れられてから長いキスをされたら激流の予兆だから。できれば背中か首を掴んだ方がいい。これは経験上のアドバイス」


「違う。『子猫』のポーズは……え? どうして二人とも私と同じポーズのはずなのに『女豹』になるの……?」


 と、ティア先生の厳しい指導が夜遅くまで続いたとか。



 何はともあれ。

 奇しくも、リタたち同様にティアたちもまた新たな仲間を迎えて。

 ライドを追う旅を続けるのであった。



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