第17話 その人の名は

 長いとも短いとも感じる沈黙を経て、


「……まだ」


 オレンジ色の髪の少年――アレスが口を開いた。


「この国にいたんだな。ジュリ」


 それは奇しくもシンシアと同じ台詞だった。

 しかし、気まずさはあるが、彼女のような嫌悪は含んでいない口調だ。


「……ええ」


 だからこそ、ジュリも普通の口調で返す。


「路銀を稼ぐためにね。ソロで活動してたの」


「え? ソロ?」


 その台詞にジュリのもう一人の幼馴染であるララが驚く。


「じゃあこの人たちは?」


 リタたちに目をやってそう尋ねる。

 リタたちは互いの顔を合わせつつ、


「えっと、あたしたちは別パーティーなの。ダンジョンでジュリに助けてもらってそのお礼に食事を誘ったの」


 リタが代表して事情を告げる。


「えっと、F……いえ、E級パーティーに上がったばかりの星照らす光ライジングサンよ」


「おお。そうなんか」


 その時、武闘家らしき青年が前に出る。

 糸のような細い目が印象的な、二十代半ばの黒髪の青年だ。


「俺らはC級パーティーの輝ける星シャインホルダーや。俺の名はバン。よろしゅうな」


 言って、一番近くいたカリンの手を取った。

 カリンは「は、はあ……」と困惑しながら生返事をした。


「勇者アレスのパーティーって知らへん? 竜殺しドラスレパーティーなんやけど」


「「「――竜殺しドラゴンスレイヤー!?」」」


 リタたちは目を剥いた。

 すると、シンシアが「おい」とバンの肩を掴んで、


「まるで自分の手柄のように言うな。バン。私とお前が加入する前の話だろう」


 そう告げる。が、すぐに険しい眼差しでジュリを見据えて、


「もっともその当事者の一人は男の後を追ってパーティーを抜けたがな」


「………」


 ジュリは無言だった。

 ただその台詞にリタたちの方が驚いた。


「なんと! 君は竜殺しドラゴンスレイヤーだったのか!」


 と、ジョセフが羨望の眼差しをジュリに向ける。

 最強の魔獣であるドラゴンの討伐。

 それは冒険者――いや、騎士にとっても最大の栄誉である。

 途中からいささか以上に置いてけぼりを喰らっていたジョセフだったが、リタの騎士を自称する彼としては実に興味深い話だった。

 当然、リタたちも驚いている。


「そう言えば、あの新人狩りたちがそんなふうにあなたのことを呼んでいたわね。ホントなの? ジュリ」


 リタがそう尋ねると、ジュリは深々と嘆息した。


「レッドドラゴンと戦ったのは事実よ。まだ幼生体だったけど。それに竜殺しドラゴンスレイヤーはアレスよ。トドメを差したのはアレスだから」


「……耳の痛いことを言うなよ。ジュリ」


 すると、当人のアレスがそんなことを呟いた。


「俺が勝てたのはおっさん・・・・がいたからだ。そもそもあのドラゴン、ずっとおっさんにビビってただろ。俺はその隙を突いたに過ぎねえよ」


「……アレス」


 その時、シンシアが割って入った。


「その話は私も何度も聞いたが謙遜しすぎた。ドラゴンが人間に怯えるなど君の錯覚だ。君の剣技は凄い。自信を持て。竜殺しドラゴンスレイヤーの栄誉は君が実力で勝ち取ったものだ」


 と、どこか熱っぽい口調でそう語る。

 彼女がこの少年に心酔していることがよく分かる。

 なにせ、リタと話す時のジョセフとそっくりな表情をしているからだ。

 まあ、彼女の場合はそこに恋慕も入っているかも知れないが。


(……勇者パーティーか。なるほどね)


 リタは何となく状況を察した。

 勇者は英雄たる素質も持っている。過去には王になった者も多くいた。

 それだけに勇者にはハーレムが付きものだった。


 ジュリはいわゆるハーレムメンバーだったのだろう。

 恐らくシンシアと、未だ名前を聞いていない神官の少女も。


 しかし、ジュリは別の男性に心を惹かれて脱退した。

 神官の少女は分からないが、シンシアの方は面白くないと感じているようだ。

 自分の愛する英雄が別の男に負けたと言っているようなものなのだから、その気持ちは分からなくもない。

 だが、当の彼女の英雄は違う感情を抱いているようだ。


「シンシアはおっさんを知らねえからそう思うんだ」


 ボリボリと頭をかいて、アレスは言う。


「ジュリは俺の大事な幼馴染だ。もしろくでもない男を追うって言うんなら絶対に脱退なんてさせねえよ。相手がおっさんだから俺は認めたんだ」


「……アレス」


 少し驚いた様子でジュリがアレスの顔を見上げた。


「……うん。そうだね」


 ララも頷く。


「私もそう思った。それにジュリちゃんの気持ちの変化は薄々気付いていたから」


「……ララ」


 ジュリは親友の顔を見つめる。


「なあ、シンシアちゃん」


 と、その時、バンがシンシアを見て苦笑を浮かべた。


「俺らよりずっと付き合いの長い幼馴染の三人が納得しとんのや。俺らがこれ以上口出すのは野暮ちゃうか?」


 シンシアは「……う」と呻いた。


「……ジュリ」


 アレスが幼馴染の名を呼ぶ。


「路銀はそろそろ溜まったんだろ? いつ出立するんだ?」


 その問いに対してジュリは「……二、三日後にはね」と答える。


「……そっか。おっさんに会えたらよろしくな」


 アレスが少し寂しそうな顔で言った。

 ジュリも一瞬だけ同じ表情を見せるが、


「それよりララのこと泣かせたら承知しないんだからね。二人ってもうそういった関係なんでしょう? それとシンシアのこともね」


 ジト目でそんなことを言う。

 アレスは「うぐ!」と顔を強張らせて、


「い、いや、ララはともかくシンシアは……」


「あのね」


 口籠るアレスにジュリは、ますますジト目を見せた。


「勇者パーティーに女の子が加入する覚悟の意味を知りなさい。特にシンシアなんて丸わかりじゃない」


「い、いや待て。ジュリエッタ、私は……」


 と、シンシアが分かりやすいほどに狼狽える。

 ララはクスクス笑い、バンは後頭部で腕を組んで苦笑を浮かべていた。


(やれやれだね。リタ)


 様子を窺っていたライラはアイコンタクトでそう伝えてくる。


(どうやら丸く収まりそうだよ)


(ええ。そうね)


 リタもアイコンタクトでライラに応えた。

 カリンやジョセフも、どこかホッとしたような顔を見せている。

 どうやら修羅場は納まりそうだった。


 だが、ここで別の波乱が起きる。

 ――そう。リタにとって全く想定外だった波乱が。


「ジュリちゃん」


 ララが微笑んで告げる。


ライド・・・さんによろしくね」


 ………………………。

 …………………。


(……………え?)


 リタは数秒ほど硬直した。


「まあ、おっさんのことだから今も飄々としてんだろうけどな」


 と、アレスが肩を竦めて言う。

 この情報でリタの頭が少し整理される。

 ライドというのは、アレスの言う『おっさん』の名前らしい。

 ジュリの言う『先生』のことでもある。

 それはリタの父と同じ名前だった。


(……え? 偶然?)


 最初はそう思った。

 だが、不意に思い出す。




『私の魔法の先生も「ブルックス」だったのよ』




 ジュリがそう言っていたことを。

 そして二つの名前を繋げれば――。


「えっ!? ちょ、ちょっと待って!?」


 リタは思わずそう叫んで立ち上がった。

 唐突な行動に、その場にいる全員がキョトンとする。


「え? リタちゃん? どうしたの?」


 カリンも驚いてそう尋ねるが、興奮したリタには聞こえない。


「――ジュリっ!」


 横に座るジュリの両肩を掴んだ。


「教えて! あなたの先生ってなんて名前なの!」


「え? せ、先生の名前?」


 肩を揺さぶられつつ、ジュリは答える。


「ラ、ライド=ブルックスだけど?」


「――はあっ!?」「ええっ!?」「なんとっ!」


 ライラ、カリン、ジョセフも立ち上がった。


「……? 突然どうしたんだ? あんたら?」


 アレスたちは困惑するばかりだ。

 リタはより強くジュリの肩を揺さぶった。


「その人って黒髪で黒目!? 髪は短いけど、うなじ辺りで髪を纏めてる!? 年齢は三十歳!? 痩身で身長はジョセフより少しだけ低いぐらい!? 魔法剣士なの!? あと腹筋はバキバキなの!?」


「ほ、ほとんど合ってるけど……」


 そこでジュリは頬を赤くして視線を横に逸らした。


「ふ、腹筋はまだ知らない……」


「そこで乙女の顔はいらないから!」


 そう叫ぶリタに、


「……いや、そこが重要なのかは知んねえが」


 アレスが少し引きつつも代わりに答えた。


「まあ、おっさんはバキバキだったな。一緒に温泉に入ったことがあるから。三十代の体じゃねえって憶えてる」


 それ以外にも、男としてかなり衝撃的に打ちのめされる気分にもなったのだが、女性の多いこの場では流石に口にはしない。

 そもそもリタはそれどころではないようだった。


「マジで!?」


 リタがアレスの顔を見て叫んだ。

 そしてジュリを離して碧色の瞳を大きく見開いた。

 星のような輝きを瞳に宿して、リタはググっと両の拳を掲げた。

 それから全身を大きく震わせて、


「――やっぱりパパだあっ!」


「…………え?」


 ジュリが唖然とした顔で立つリタを見上げた。


「パパだ! パパだ! パパだ!」


 リタは興奮しきった様子で再びジュリの両肩を掴んだ。


「ねえっ! パパは今どこいるのっ! ジュリは居場所を知っているんでしょう! 教えて! すぐに教えてっ!」


「え? え? え?」


 一方、ジュリは完全に困惑していた。

 アレスたちの方もだ。

 ちなみにリタの叫びで他の冒険者たちの注目も集め始めていた。

 すると、


「少し落ち着け。ファザコン娘」


 ライラが身を乗り出して向かい席のリタの頭をはたいた。

 リタが「あいたっ!?」と声を上げた。


「どうどう。気持ちは分かるけど落ち着いてリタちゃん」


 カリンもジュリ越しにリタの肩を抑えて言う。


「姫。まずは深呼吸を」


 と、ジョセフにまでそう進言される。

 そして、


「ああ。悪かったね。あんたら」


 ライラがアレスたちに言う。


「実はね。あんたらが言う『おっさん』とか『先生』とか呼んでる人ってさ」


 リタを親指で刺して苦笑を浮かべる。


「どうもこの子の行方知らずの親父さんと同一人物っぽいんだよ」


 ………………………………………………。

 …………………………………………。

 ……………………………………。

 ……数十秒の間を空けて。


「「「……………え?」」」


 アレスと、ララ。

 そしてジュリの目が点になったのは言うまでもない。



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