第15話 仮初の世界

 その日。

 とある『世界』にて。

 彼女は一人、ガチガチに緊張していた。


 場所は彼女の私室。

 とても豪勢な部屋だった。

 壁には一流の絵画。棚には美しいバラが飾られた花瓶。

 天蓋付きのベッドもある。


 ただ奇妙な点もある。

 この部屋には窓もあるのだが、そこには景色がなかった。

 外にはどこまでも真っ白い世界が続いているのだ。

 そんな部屋の中央に置かれた丸テーブルの席に、彼女は座っていた。

 膝同士をぴったりとくっつけて、その上に両手を置いている。


「………」


 ずっと口元をヘの字に結んでいる。

 緊張が隠せないためか、素肌を見せる両肩は少し浮いていた。

 部下の前では女王の風格を見せる彼女も、今だけはただの少女だった。


 ――知識海図ミストライン盟主レディ

 黒いドレスを纏う竜人ドラゴ族の少女である。


 椅子に座ったまま、ちらちらと部屋の入口に何度も目をやっていた。

 たまにベッドの方にも目をやり、


「~~~~~~っっ」


 ブンブンと真っ赤な顔で純白の髪を横に揺らした。

 ふ~ふ~と息を吐いて鼓動を落ち着かせる。

 と、その時だった。


 ――コンコン。

 入口のドアがノックされた。


 彼女はビクッと肩を震わせてドアを凝視して、


「ど、どうぞなのじゃ」


 そう告げた。

 ドアの外からは『失礼するよ』という男性の声が返ってきた。

 ドアが開けられる。

 少女の鼓動が跳ね上がる。

 そこに立っていたのは彼女の愛しい人。

 アーマーコートを身に纏う青年――ライド=ブルックスだった。


「久しぶりだな。元気だったか。ロザリン」


 ライドは微笑んで彼女の名を呼んだ。



 そうして五分後。

 ライドは彼女――ロザリン=ベルンフェルトの向かい側の席に座っていた。

 ロザリンの前には紅茶を。ライドの手にはコーヒーが握られていた。


「不思議なものだ」


 コーヒーの香りと楽しみ、口につけて味を堪能する。


「まるで本物のようだ。やはり古代の宝具とは凄いものだな」


 そう呟く。

 この世界は現実ではない。

 古代の宝具によって造られた仮初の世界だった。

 すべてが本物そっくりでありながら何一つ実像はない。

 ライドやロザリンさえも仮初の肉体である。

 本物の二人の体は、それぞれ眠りについている状態だった。

 宝具によって意識だけがこの仮想世界に連れて来られているのである。


 古代では、この宝具で遠く離れた場所であっても交流を深めることが出来たそうだ。

 なおこの仮初の世界こそが二人の縁を結び付けた場所だった。

 ロザリンが宝具を試した結果、何故かライドが巻き込まれたのである。


 それが二年ほど前のことだった。

 知識海図ミストラインと関りを持つようになったのもそれ以降だった。


「ああ。そうだ。ロザリン」


 ライドが彼女に声を掛ける。


「アロの弟の件では助かったよ。情報をありがとう」


「き、気にすることではない……」


 顔を横に逸らしつつ、ロザリンが応える。


「妾の気まぐれじゃ。それよりもどうなのじゃ? ヌシ――」


 いつも使っている名前で呼びそうになって一瞬言葉が止まるロザリン。


「……ライドの近況は?」


 と、呼び直す。これはこれでドキドキしていた。


「狼娘とは縁が切れたのじゃろう? 今は海岸沿いの街か?」


「ああ。実はそこで通り魔と間違えられてな」


 ライドは苦笑を浮かべて腰に差している魔剣を取り外して掲げた。


「どうもこの剣は呪われているらしい」


 そう切り出して、サヤたちのことを語り始めた。

 じいっと話を聞いていたロザリンは、ポツリと呟いた。


「察するにそやつらは虚塵鬼ウロヴァス狩りじゃな」


虚塵鬼ウロヴァス?」


 知った名称にライドが少し驚いた。

 ロザリンは「うむ」と頷く。


「東方ではうつろおにとも呼ばれておる。あやつらはダンジョンなどに潜んで人を喰らいおるからの。そやつらを密かに狩る冒険者を兼ねた専門の輩がおるのじゃ」


「……そうだったのか」


 ライドは魔剣をテーブルの上に置いて腕を組んだ。


「オレは、最近まであいつらは魔王領にしかいないとばかり思っていたよ」


「魔王領を徘徊しておるのは流石に別格じゃぞ。人類圏におるのは精々中級魔獣程度。罠を張って弱者を狩り、細々と生きながられている程度の輩じゃ」


 ロザリンが「ふふん」と鼻を鳴らして言う。


「ロザリンは相変わらず博識だな」


 ライドが微笑んでそう褒めると、ロザリンは顔を逸らして「と、当然じゃ」と返した。


「そ、それよりもじゃ!」


 唐突にロザリンは立ち上がった。


「この空間は不安定なのじゃ。時間がないのじゃ」


 言って、ロザリンはライドに背中を向けた。


 そして、ストンと。

 ロザリンの黒いドレスが床に落ちた。少女の雪のような肌が露になるが、それも一瞬だけ。瞬く間に紫色に輝く竜鱗が彼女の肢体を覆った。鎖骨辺りから胸元、腹部以外は完全に覆われている。指先には鋭い爪。裸体の時にはなかった長い竜尾も生えてきた。


 ロザリンが笑顔と共に振り返る。

 すると、そこには額に片手を当てたライドの姿があった。


「……ロザリン」


 ライドは深々と嘆息して言う。


「竜鱗を出すのはオレの見えないところでしてくれと言っただろう」


 一拍おいて、


「オレの娘も着替えにどうも大雑把なところがあったんだが、君ぐらいの年齢だともう少し他人の目を意識しないといけないぞ」


 そう忠告する。


(むしろ、あえて見せておるのじゃが)


 と、心の中でロザリンは反論する。

 ちらり、とベッドの方にも目をやる。

 どうせここは仮想世界だ。予行練習も想定して常に期待と覚悟もしているのだが、ヌシさまは気付いてくれそうもない。


(やはり妾には成熟する時間が必要よな)


 改めてそう思う。

 だが、子供ならば子供にしか出来ない甘え方もある。


「むむむ……」


 ロザリンは両の拳を固めて唸った。

 すると、一瞬でその小柄な体がさらに小さくなった。

 そこにいたのは小さなドラゴンだった。

 紫色の体躯に黄金の角と瞳。純白の鬣を持つドラゴンだ。

 背中には小さな翼も持っている。

 幼生体よりも遥かに小さく、ネコ程度の大きさの小竜だった。


『ライド、ライド』


 小竜は鎌首を上げてライドの名を呼んだ。

 特別な竜人ドラゴ族にしか出来ない完全竜化だった。

 ライドは嘆息しつつも立ち上がり、小竜を抱き上げた。

 そのままベッドに向かい、その縁に腰を下ろして足を組んだ。

 小竜は抱きかかえたままだ。

 クルル、と喉を鳴らす小竜ロザリンの白い鬣を撫でる。

 彼女は気持ちよさそうに双眸を細めていた。


「次からは気を付けるんだぞ」


『……うん』


 素直に頷く小竜ロザリンだが、そんな気はない。

 というより、夢心地で適当な返事だった。

 彼女にとっては久方ぶりの至福の時だ。

 しかし、それも長くは続かなかった。


 ――ビシリと。

 部屋の壁や床に亀裂が入ったのだ。


 この空間は古代の宝具によるもの。

 だが、遥か過去の遺物だけあって欠落した機能もあった。

 現状ではこの仮想世界の維持は三十分が限度。

 そしてインターバルには三ヶ月を要した。


(……口惜しや)


 小竜ロザリンは内心で呻いた。

 知識海図ミストラインでも欠落の解析を急がせているが、現時点では不明点が多すぎた。


「そろそろ時間のようだな」


 ライドが天井を見上げて言う。

 その呟きを聞き、ロザリンは竜化を解いた。

 一瞬でライドの膝の上で竜鱗を纏う姿に戻る。

 そしてその姿でライドを押し倒した。

 ライドが肩肘をつき、ベッドが大きく揺れる。

 彼女はライドの胸板の上で上目遣いに唇を尖らせて一言。


「……寂しい」


 そう告げる。

 ライドは少し驚いた顔をしていたが、


「……ロザリン」


 少女の頭にポンと手を置いた。


「前にも伝えたが、オレには娘がいるんだ。こう見えても父親なんだ」


 一拍おいて、


「君が誰にも甘えられないような立場なのは薄々察している。だから、オレで良ければ甘えてくれていい。いつでも呼んでくれてもいい」


 優しい声でライドは言う。


「これでも子育て経験者だ。父親代わりぐらいは務めて見せるさ」


 そう告げられて、ロザリンは上半身を起こした。

 じいっとライドの顔を見つめる。

 その間も部屋の亀裂は増えていっていた。


「……ライド」


 そしてロザリンは口を開いた。


「イヤじゃ。父親代わりではイヤなのじゃ」


 彼女はニカっと笑い、小さく舌を出してそう返した。

 世界が砕け散ったのはその直後のことだった。



 そうして。

 現実世界。王者の間にて。

 紫色の竜がゆっくりと目を覚ました。

 ロザリンである。

 だが、仮想世界の愛らしい姿ではない。

 古竜にも劣らない巨大な姿だ。

 これこそが彼女の真の完全竜化の姿だった。

 仮想世界での姿も偽りではない。

 この巨竜の姿よりもずっと体力の消費が少ない姿だ。

 だが、現実世界では絶対に見せない。

 無力な姿、無防備な姿を見せる相手は愛しい人の前でだけだ。


 ……ズズズ。

 巨竜は太い鎌首をゆっくりと上げた。


 天井を見上げてしばしの沈黙。

 ややあって、巨竜の姿が小さくなっていく。

 紫色に輝く竜鱗のみを纏ったロザリンの姿だ。

 竜尾を揺らし、カチャリ、カチャリと爪を鳴らして彼女は歩く。

 その先には玉座があった。

 そこに彼女は座って肘をつき、足を組んだ。


「古代の秘宝であっても夢とは儚きものよな」


 そう呟く。

 そこには先程までのライドに甘えていた少女はいなかった。


 愛しい人の前では天真爛漫に愛らしく。

 されど、女王としては尊大かつ妖艶に。


 それがロザリン=ベルンフェルトという少女だった。

 どちらも偽りなき彼女の姿だった。


ヌシさまとの逢瀬はまたの楽しみとしよう。しかし、祓魔の娘か」


 ライドから聞いた話を思い出す。

 東方に拠点を置く虚塵鬼ウロヴァスを狩る一族の娘。

 ロザリンは双眸を閉じた。

 そして彼女は口元に微笑を浮かべて呟く。


ヌシさまの寵姫に相応しき器か。見極めねばならぬ娘がまた増えたようじゃな」


 ――と。



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