第13話 旧友の元へ

 南方大陸にあるバラトス王国。

 所属する村や街の数がゆうに三百を超えるその国は南方大陸屈指の大国だ。

 その中には人口が百万人クラスの大都市は幾つもあるが、特に海岸沿いに居を構える王都ダノンは有名だった。整えられた最先端の公共機関。街並みの景観の美しさもそうだが、特にエイジスア大聖堂の荘厳さは圧巻の一言である。

 そこで式を上げた者たちは必ず幸せになれる。

 そう噂され、近隣諸国でもエイジスア大聖堂での式は憧れの的だった。


 そしてそんな大聖堂で式を挙げた幸福な者がここに一人。

 とある大きな館の一室に彼女はいた。


 年の頃は三十代半ばほどか。

 おっとりとした美貌に大きな丸い眼鏡。

 長い亜麻色の髪を三つ編みに束ねて豊かな胸の前にて垂らしている。頭上の二本だけピンと跳ねていた。お腹が大きく、ゆったりとしたドレスを着ている。


 彼女の名はソフィア=ルーグス。

 かつて『法皇ほうおう』と呼ばれた冒険者である。

 ――そう。ライドの仲間。悠久の風シルフォルニアのメンバーの一人だ。


 四年前に冒険者を引退して、バラトス王国にてとある要職に就いていた。

 ただそれも今は産休中であるが。


 彼女は自室の机の前で筆を走らせていた。

 手紙ではない。図面を描いているのである。

 筆の速さは凄まじいが、おもむろに眉をしかめて、


「う~ん、ダメだわ」


 ペンの先で額をぐりぐりと押し当てた。


「やっぱり動力源が問題かぁ……」


 深く嘆息している。

 どうにも行き詰っている。

 そんな風に悩んでいる時だった。

 ――コンコン、と。

 ドアがノックされた。


「ん~、誰かしら?」


 振り向かずにそう返すと、『ノエルです。奥さま』と返答が来た。


「ノエル? どうしたの?」


 ペンを置いてドアの方に振り返る。


『実は奥さまにお客さまがお越しになられまして……』


「え? 今日ってアポあったっけ?」


 ソフィアは目を瞬かせた。


「あ。ダグのお客さん? まだ昼だし、ダグはまだ王宮だけど……」


『い、いえ。確かに旦那さまにとってもお客さまになられると思いますが……』


 と、ドアの向こうのメイドが少し困ったような口調で言う。

 ソフィアは小首を傾げつつ、立ち上がった。

 お腹に負担をかけないように歩いて、ドアを開ける。

 そこに立つのは二十代半ばのメイドの女性だった。

 彼女がノエルだ。

 ただ今は凄く困惑した顔を見せていた。


「どうしたの? 誰が来たの?」


 ソフィアがそう問うと、


「はい。実は」


 一拍おいて、ノエルは答える。


「ティア=ルナシスさまと、レイ=ブレイザーさまがお出でになられているのです」


「…………は?」


 ソフィアは目を瞬かせた。


「え? ティアとレイ?」


 友人であり、かつて苦楽を共にした仲間たちだ。

 ソフィアと夫が結婚を機に引退した時、パーティーは解散となった。ガラサスはそのまま故郷に帰ったのだが、現役を続ける彼女たちはギルドとの色々なしがらみで二、三年ほどはこの国で活動していた。しかし、その後は西方大陸に旅立ったはずだ。

 一年以上も前のことである。

 二人はライドをまたパーティーに誘うのだと言っていた。

 順調に旅が進んでいるとしたら、今頃は西方大陸にいるはずだ。


「え? 本人たちなの?」


 ソフィアがそう尋ねると、ノエルは「はい」と答えた。


「私もお二人とは面識がありますから。間違いなくティアさまとレイさまです」


「……いや、なんで二人が?」


 ソフィアは困惑しつつも歩き出した。

 ノエルも彼女に続く。


「二人は応接間?」


「はい。お待ちして頂いています」


「そう」


 ソフィアは一階の応接間に向かった。

 そうして五分ほど歩いて、応接間に到着する。

 ノエルは彼女の前に進むと、「失礼します」とドアに声を掛けて開いた。

 応接間の客人たちが、ソフィアたちに顔を向けた。


「ティア! レイ!」


 ソフィアは目を見開いた。

 本当に友人たちだった。


「ソフィアねえ!」


 レイがソファーから立ち上がって駆け寄ってくる。


「久しぶり! って、わわっ! お腹が大きくなってる!」


「そうなんだ……おめでとう。ソフィア」


 ティアが微笑んで告げる。

 ソフィアも笑って、


「うん。四年目でようやくね」


「いま何ヶ月ぐらいなの?」


 レイがそう尋ねると、


「六ヶ月ぐらいよ」


 ソフィアも自分のお腹を擦りながら微笑む。


「それよりも突然で驚いたわ。どうしたの二人とも。ライドに会いに西方大陸に行ったんじゃなかったの?」


 ソフィアが早速疑問をぶつけてくる。

 それに対し、ティアとレイは互いの顔を見合わせて、何とも言えない表情を見せた。


「話せば長くなる」


 ティアがそう切り出す。

 そして、


「出来れば力を貸して欲しいの」


 そう願った。




 そうしてその夜。

 場所は同じく応接間。

 ティア、レイ、ソフィアの三人はソファーに腰をかけている。

 そしてそこにはもう一人、新たな人物が座っていた。

 赤茶色の髪に顎髭を蓄えた巨漢の人物だ。

 今は筋骨隆々な両腕を組んで「う~ん……」と唸っている。

 彼もまた悠久の風シルフォルニアのメンバーの一人。

 ダグ=ルーグス。

 冒険者時代は『戦神せんじん』と謳われた戦士であり、現在はバラトス王宮騎士団の第三騎士団長を務める人物だ。そしてソフィアの夫である。


「マジかぁ……」


 ダグは深々と嘆息した。


「ライドの奴、まさか俺らよりに先に親だったのかよ」


 王宮から帰宅したダグはティアたちの来訪に驚きつつも、彼女たちがここに飛ばされた経緯、そしてライドの実状についても聞いた。


「まあ、それにも驚いたけど、知識海図ミストラインね」


 頬に手を当てて、ソフィアが小首を傾げた。


「噂は聞いていたけど、こんな形で遭遇するなんてね」


「最悪だよ! あの髭オヤジ!」


 レイが、バンバンッとローテーブルを叩く。


「ボクたちの長旅を完全にリセットしてくれたよ! あと少しでライドに会えそうな雰囲気だったのに!」


「……まさか転移の宝具を持ち出すなんて思いもよらなかった」


 ティアは唇を噛んで呟く。


「しかし、ライドの奴、なんでそんな組織に関わってんだ?」


 というダグの疑問に、妻のソフィアが苦笑を浮かべた。


「というよりも、また巻き込まれたんじゃないかしら。ライドってレイに隠れて分かりにくかったけど、相当な巻き込まれ体質だったでしょう?」


「ああ~。確かにな」


 ダグも苦笑を浮かべる。


「実際、レイのトラブルの半分はライドが呼び寄せてたのかもな」


 と、腕を組んで唸る。

 当時のライドにはあまり自覚はなかったのかも知れないが、もしもライドに神聖魔法の適性があれば、間違いなく勇者認定されているとダグたちは思っていた。


「懐かしいなあ」


「ええ。もう十年以上も前なのね」


 と、しみじみと思い出を振り返る夫婦をよそに、


「とにかく、あの髭オヤジはなんか不穏な台詞も言ってたから! ボクたちはすぐにでも帰りたいんだよ!」


 と、レイが立ち上がって叫んだ。

 ダグとソフィアはレイに視線を向けた。

 ちなみにレイの想いや、ティアが実はライドの元恋人であったことも二人には伝えている。流石に一夫多妻の将来設計には二人とも目を丸くしていたが。


 ダグが帰宅する前、


『別に一夫多妻は否定しないけど、あのライドがそれを受け入れるかしら?』


 ソフィアがそう尋ねた時、レイは満面の笑みでこう返した。


『大丈夫! ボク、ライドを押し切るの超得意だから!』


 それから悪戯っぽく微笑むと唇に指先を当てて、


『それにね。決断さえさせたらもう大丈夫だよ。決断したらライドは迷わないし容赦もないから。今更ボクたちの方が怖気づいてもダメなぐらいにね』


 そんな台詞を言ったものだった。

 閑話休題。


「早く戻りたいのは私も同意見」


 ティアが言う。


「だからダグとソフィアに力を貸して欲しいの。出来るだけ速い船を。早い便を優遇して欲しいの」


「いや、そいつは構わねえが……」


 ダグが眉根を寄せた。


「それでも大陸間の航路だぞ。どんな船でも三ヶ月はかかる」


「うぐっ!」「………」


 レイが呻き、ティアが沈黙する。


「そっからは汽車もあるから陸路の方が速いだろうが、やっぱライドが住んでた街まで三ヶ月近くはかかるんじゃねえか?」


 合計で半年だ。それも強行軍を前提にした移動である。

 実際のところはもっとかかる可能性が高かった。

 応接間に沈黙が降りる。


「ふっふっふ……」


 と、その時だった。

 不敵な笑い声が零れる。それはソフィアの声だった。


「可愛い妹分たちが、可愛い弟分の元に嫁ぎに行こうとしているのよ。ならお姉さんも立ち上がるしかないわね」


 そんなことを言う。実際にお腹を抱えながら立ち上がった。

「いや。座れって」とダグに言われてすぐに座ったが。


「とにかく二人は一日でも早くライドに逢いたいのね?」


 ソフィアがそう尋ねると、レイは「うん!」と即答し、ティアは少し恥ずかしそうだったが、こくんと頷いた。


「なら任せておきなさい!」


 レイには少し劣るが、充分に豊かな自分の胸をぽよんっと叩くソフィア。


「過去の宝具がなんぼの物よ。ならこっちは未来の魔石具よ」


 そこでソフィアはティアとレイを見やる。

 特にティアの方を見据えて、


「ティア。あなたがいるのは僥倖だわ。遂にあれが使えるわ」


「……おい。ソフィア」


 ダグが少し顔を引きつらせて妻を凝視する。


「まさか、お前、また変な物を……」


「今回は自信作なの。任せておいて」


 そう言って、ソフィアは再び自分の胸を叩いた。

 同時に丸い眼鏡がキラリと輝く。

 そして、


「バラトス王立魔石具開発研究所。その所長であるこの私にね!」


 と、自信と共に告げるのであった。



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