第12話 その頃のライドは②

 それは余りにも――。

 余りにも理解しがたい存在だった。


 夜の闇が凝縮されたような漆黒の巨体。

 八本の腕はどこまでも長大であり、その爪は天地も裂く。

 光を放つのは頭部の六眼のみ。

 人型であるが、下半身は巨大な闇の中に沈んでいる。

 その威容は数万年も生き続けた大樹のようだった。

 八つの枝葉を持つ闇夜の大樹である。


『GOAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAッッ!』


 空は曇天。雷雲が覆う。

 元は巨大な森だったのか。

 だが、今は荒野にも等しくなった戦場で、六眼八腕の化け物は咆哮を上げた。

 それだけで大気が軋み、大地に亀裂が奔った。

 思わず彼女・・は全身を震わせた。


(な、なにこれ……)


 酷く困惑する。


「ガハハッ! タフよのう!」


 その時、砲弾のごとく大地を駆ける者が現れた。

 風――いや、自身が起こす突風で三つ編みにした髪が揺れる。武闘家のようだった。

 巨大な怪物の前で武闘家は大跳躍した!


「――ゴウガ流奥義!」


 両の拳を腰だめに構える!


破軍破城大滅壊はぐんはじょうだいめっかいイィ!」


 振り抜いた右拳が巨大すぎる拳と成って飛んだ。視認できるほどに練り込まれた氣の塊だ。それらが化け物の腹部に打ち付けられる!

 隕石を叩きつけたようなものだが、それでも化け物は揺るがない。

 絶叫と共に右の二本の腕を振るった。

 それだけで嵐が巻き起こる。接近していた武闘家がそれに呑み込まれるが、

 ――キンッ!

 強力な三層の防御結界が展開された。

 後方に長い髪の女性らしき姿が見える。恐らくは彼女の魔法だ。

 それにしても同時に三層。恐るべき力量だった。


(凄い……)


 彼女・・は目を瞠った。

 だが、嵐はその二枚までを破壊した。

 最後の一枚にも亀裂が奔ったが、どうにか堪えて嵐をやり過ごした。


「うおお、おっかないのう」


 おかげで無事に着地する武闘家。


「前に出過ぎだよ! ガラサス!」


 その時、少年の声が響いた。彼女・・がギョッとして振り向くと、そこには自分の背と同じぐらいの黒い大剣を持つ十二歳程度の少年がいた。


(こんな子供が!?)


 彼女・・が驚く間もなく少年が叫んだ。


「ティア!」


 大剣を振りかぶり、肩に担いだ。


「腕の数を減らすよ! 右側お願い!」


「分かった!」


 少女の声が答える。十六歳ほどの精霊魔法師の少女だ。

 恐らくは森人エルフだろうか。それが分かる美貌の少女だった。

 彼女は化け物に向けて杖を構えた。

 同時に巨大な魔法陣が展開される。彼女・・は息を呑んだ。

 魔法陣の構築。それは第十階位の魔法である証だった。

 極大魔法たる第十階位は魔法陣で制御しなければ使用できないのだ。

 一方、少年も重心を低く身構えていた。

 大剣の黒い刀身からは、黄金の光が溢れ出ようとしていた。


「目覚めろ! ボクの聖剣!」


 少年がそう叫ぶと、黒い刀身が砕け散り。新たな刃が解き放たれる。銀色の刀身に黄金の光を纏う剣だ。そして少年は黄金の大剣を全身で振り抜いた!


「いっけええ!」


 大剣から黄金の光刃が撃ちだされる!

 それと全く同じタイミングで、


「魔を貫け! 夜を統べし女神の槍よ!」


 精霊魔法師の少女が魔法を放つ!


神威裂光セイン=オルベスイクス!」


 それは雲さえも撃ち抜きそうな極大の裂光だった。

 やはり第十階位の魔法だ。

 彼女・・にとっては噂でしか聞いたことがない極大魔法だった。


 二つの光は左右の腕に直撃する!

 ――しかし、


『GOAAAAAAAAAAAAAッッ!』


 六眼八腕の化け物はまるで怯まない。

 腕が二本撃ち抜かれたが、闇が集まってすぐに復元し始めていく。

 だが、同時に他の六つの掌に闇の塊を凝縮し始めた。反撃をするつもりだ。

 少年も少女も青ざめる。部外者である彼女・・もだ。

 すると、


「させるかよ!」


 どこからか男性の声が届く。


「うおおおおおおおおおおおおッ!」


 雄たけびと化け物の胴体に斬撃が奔る!

 余波で大地にまで巨大な亀裂が奔り、右掌にあった闇の塊が霧散する。

 それは巨大な斧槍を持つ戦士の一撃だった。

 ただ、こんな軍隊さえも薙ぎ払いそうなレベルの戦士は見たこともないが。


 しかし、今の一撃でもまだ左の闇が残っていた。

 化け物が左の掌をかざすが、


「そっちもやらせんわいッ!」


 武闘家が再び巨拳を化け物の左腕に放つことで軌道を逸らさせた。

 ――ズズゥンッッ!

 あらぬ方向に撃ち出された闇の塊が大地を深く大きく抉る。自身の攻撃の反動と巨拳によってバランスを崩した化け物は勢いよく左側の腕を大地に突いた。


 それだけで地割れが起きる中、戦士の男性が叫ぶ!


「まだか! ライド!」


「待たせた!」


 声が応える。

 彼女・・は、ハッとした顔でその声の主に目をやった。

 そこにはあの・・魔剣を天に構えた少年がいた。

 年齢は十八歳ほどだが、間違いなくの面影があった。


「――充分に蓄えた。行け! バチモフ!」


 天に向かってそう叫ぶ。

 直後、雷雲の中から巨大な何かがゆっくりと姿を現してくる。

 化け物にも匹敵する体躯。全身が雷で造られた獅子を彷彿させる巨獣だ。

 雷の王。名付けるとしたら雷王獣か。


『――バウウウウウウゥ!』


 降臨した雷王獣は咆哮を上げて、化け物の肩に喰らい付いた。

 そしてそのまま莫大な雷を解き放つ!


『GOAAAAAAAAAAAAAAAAAAッッ!』


 流石に絶叫を上げる六眼八腕の化け物。

 荒ぶる雷光は化け物の全身を覆っていた。

 並みの魔獣なら即死するような威力だった。

 だが、これでもなお終わらない。


『GOAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAッッ!』


 化け物は全身から闇を噴出して雷光を呑み込んでいった。

 体を撃ち抜かれて、今度は雷王獣が絶叫を上げた。


 ――闇の裂光。

 光ではないが、そう表現するしかない闇の光線が縦横無尽に世界を刻む。


 パーティー全員が、それぞれ光の結界に覆われる。

 それは十層を超える防御結界だった。パーティー全員が回避行動を取るが、それでもかわしきれない。次々と結界の層が破壊されていく。

 全員が険しい表情を見せていた。


(……ああ……)


 部外者であり、ただの傍観者に過ぎない彼女・・は、その地獄のような光景を前にしても見ていることしか出来なかった。


 ――何も出来ない。

 いや、たとえ干渉できたところで即死するだけだ。


 彼女・・はどうしようもない無力感を抱いていた。

 そんな時だった。

 すうっと。

 あの魔剣を持つ少年が剣を水平に構えたのである。

 防御結界が次々と砕けても、静かに意識を集中させていた。

 知らずに、彼女・・はその姿に魅入っていた。

 そして、

 ――ドンッッ!

 彼は跳躍した!

 凄まじい跳躍だ。まるで足場が爆発したかのような加速だった。

 そうしてどうやってなのか何もない空中を蹴りつけて何度も軌道を変えつつ、化け物へと迫る。危険を承知の上で攻勢に転じたのだ。


「――ライド!」


 その時、少女の叫びが響いた。

 精霊魔法師の少女の声だった。杖に乗ることで高速飛行をしている。必死に闇の裂光を回避していた彼女はキュと唇を噛むと、片手を少年に向けた。


「お願い! ライドに力を貸して!」


 呪文でもない。ただ願う。

 けれど、それによって風の精霊が少年を覆った。

 少年はさらに加速する!

 魔剣の切っ先は、化け物の眉間だけを狙い据えていた。


『GOAAAAAAAAAAAAAAAAAAッッ!』


 危険を感じ取った化け物が左の腕で少年を迎撃しようとする!

 ――が、その時。


『バウウウウゥッ!』


 崩れかけた体でなお、雷王獣が背後からその腕に喰らい付いた。

 六眼八腕の化け物の動きがわずかに拘束される。

 その一瞬の隙に少年は力いっぱい空中を蹴りつけた!

 それは最後の加速だった。

 彼女・・は目を瞠る。

 魔剣と共に少年は飛翔する。

 そうして――。



 ……………………。

 ……………。

 ……チチチ。


 小鳥の声に彼女・・――サヤ=ケンナギは目を覚ました。

 故郷から持ってきた寝間着である白装束の間からは白い肌が露になっており、そこには玉のような汗を滲ませていた。緊張による汗だった。

 それも仕方がない。

 あんな別次元の戦闘を目の当たりにしては。

 それがただの記憶であったとしてもだ。


「…………」


 胸元をギュッと握りしめて、サヤは上半身を起こした。

 ここは港町・ラガストリアにある宿屋の一室だった。

 すると、『バウっ』という声と共に巨大な犬がサヤにのしかかってきた。


「バ、バチモフ……」


 尻尾を振る巨犬に朝から頬を舐められるサヤ。

 彼女はバチモフのモフモフの頭を撫でながら視線を壁に向ける。


 そこには二振りの剣があった。

 一振りは彼女の愛刀。霞桜だ。

 もう一振りは昨夜彼から預かった魔剣だ。


 はらり、と。

 彼女の前髪で隠された左の目が露になる。

 そこにあった瞳は色のない透明な瞳だった。

 一族の直系のみが受け継ぐこの無色の瞳には邪氣を視認し、世界の裏側に潜む怪異――『うつろおに』を見つけ出すことができる特殊な力があった。


 その瞳に魔剣が映る。相も変わらない凄まじい邪氣だった。

 少しでも邪氣を祓いたいと彼に頼み込んで一晩だけ預かったのである。

 こちらから襲い掛かった上に負けたのだ。しかも命も見逃してもらっている。その上で実に図々しいとは思ったが、とにかく必死にお願いしたのである。

 元々サヤとは面識もあったため、彼は困惑しつつも預けてくれた。

 まあ、流石に雷を吐く犬バチモフの監視付きではあったが。


 ともあれ、実際にこの魔剣に触れてみると、やはり生半可な邪氣ではなかった。

 結果、サヤは魔剣の邪氣に当てられて、魔剣に刻まれていた記憶を追体験のように覗くことになったのである。


(……あうゥ)


 サヤは大きな胸をたゆんっと揺らして肩を落とした。

 破邪の一族。祓魔剣薙の直系の娘が何とも情けないことだった。

 だが、おかげで邪氣の元凶を視ることが出来た。

 それは良しと考えるべきだ。

 サヤは衣服を和装に着替え直して、腰に愛刀を差した。

 次いで魔剣を大切に抱きかかえて部屋を出る。

 階段を降りて一階の食堂に向かった。

 バチモフも尻尾を振りながらついてくる。

 と、そこには、


「お前ってマジで強いよなあ」


 食堂のテーブルの一つ。

 ニカっと笑って隣に座る青年に絡むゼンキの姿があった。

 もう一人の仲間――正確にはゼンキも含めて従者なのだが――であるマサムネも「その若さで恐るべきものじゃな」と髭を擦りながら会話に混じっている。

 何とも気心の知れたような様子だった。

 昨夜はこっちから襲い掛かったというのに。


 一戦を交えれば友人という奴だろうか?

 彼の方もこういった相手に慣れているのか気にした様子もなかった。


(男の人ってよく分からない)


 そんなことを思いつつ、サヤはゼンキに絡まれている青年に目をやった。

 すると、彼もこちらに気付いて微笑んでくれた。

 ――トクンっと。

 サヤの鼓動が鳴った。


(うわ、うわ、うわ……)


 サヤは我知らず耳を真っ赤にした。

 鼓動がどんどん高鳴っている。

 こうして見ると、はっきりと分かる。

 間違いなく彼は記憶の中にいたあの少年だ。

 あの少年が凛々しく成長した姿がそこにあった。


(この人は……)


 サヤは理解する。


(本物の英傑なんだ)


 昨夜は三人がかりでも勝てなかった。

 記憶の中の戦闘を見れば、当然の結果である。

 サヤは緊張しつつも「お、おはようございます」と頭を垂れた。

 ゼンキとマサムネも彼女に気付き、「おう、おはようさん。おひい」「ほほ。おひい。良き朝ですな」と返してくる。

 青年も「おはよう」と返してくれた。バチモフが尻尾を振って主人の元へと駆け寄っていく。青年は「バチモフ。ご苦労さま」と愛犬に骨付き肉を与えた。

 そして、


「サヤ。邪氣は祓えたのか?」


「ひゃ、ひゃいっ!」


 青年に自分の名を呼ばれただけでサヤの心臓が早鐘を打った。


(お、落ち着いて。私……)


 魔剣を抱きしめたまま、サヤは何度か大きく息を吐いて、


「い、いえ。やはり難しくて。けど、どうやらこの魔剣の邪氣は人を狂わせるような危険はなさそうです」


 そう告げて、丁重に魔剣をライドに差し出した。


「そうなのか?」


 青年――ライドはサヤから愛剣を受け取る。


「珍しいタイプじゃな」「つうか初めて見るな」


 と、マサムネとゼンキが言う。

 彼らの感想をよそに、


「ただ代わりに呪いに似た影響があるみたいです」


 サヤは言葉を続ける。


「その魔剣、どうも持ち主に不運トラブルを呼び込むみたいです」


「……なに?」


 ライドは魔剣を手に眉をひそめた。


「何か心当たりはありませんか?」


 そう尋ねるサヤに、


「いや。普通に昨夜襲われたのもそれになるんじゃないか?」


 ライドは率直に答えた。

 サヤは心の中で「あうっ!」と軽く仰け反った。


「だが、他にも心当たりはある。トラブルもそうだが、オレの店も畳むことになった」


 ライドがしみじみとした感じで呟く。

 ちなみにライドの店が潰れたことが呪いのせいかは定かではない。

 まあ、ライド生来のトラブル体質に比べれば、魔剣の不運など誤差程度のような気もするが、愛剣が呪われているというのはあまり良い気分ではないのは確かだ。

 ライドはサヤを見やり、


「その呪いとやらは解けないのか?」


「すみません。私では……」


 サヤはすまなそうに告げてから、


「けど、本国なら可能だと思います。専用の設備もありますから」


 そこでポンと手を叩く。


「ライドさん。なんなら私たちと一緒に本国に行きませんか? 東方大陸ですけど、この国の王都クラスの港町なら便はあると思います」


「……東方大陸か」


 ライドはあごに手をやった。


「元々オレも海に出るつもりだった。しかし路銀がな……」


「ろ、路銀なら私が出します!」


 バンっとテーブルに手をつき、食い気味にサヤは身を乗り出した。

 いつにないサヤの様子にゼンキとマサムネも目を丸くした。


「さ、昨夜のお詫びです! 呪いも無償で解きますから!」


「そ、そうか……」


 ライドも少し気圧されつつ、


「そうだな。東方大陸には友人もいる。だったら先にそこへ行ってみるか」


 そう言った。バチモフも『バウっ!』と吠える。

 サヤは思わず内心で「やった!」と叫んでいた。


(も、もしかして、これって……)


 サヤの鼓動が高鳴る。

 頬や肌がどんどん火照っていく。

 心が落ち着かなかった。

 予感があるのだ。


(私の使命を果たす時が近づいているのかも)


 ――英傑の血を祓魔剣薙に。

 それが彼女の旅の重要な使命の一つなのである。

 ただ今は、


「そ、それじゃあ行きましょう! 東方大陸に!」


 ポンと手を叩き。

 嬉しそうに笑ってそう告げるサヤであった。


 こうして。

 ライド=ブルックスの旅は続く。


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